私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

さんしゅうの木と卒業式

2008-03-18 19:27:13 | Weblog
 今日は鯉山小学校の卒業式です。
 「4月上旬の暖かさです」と、いうテレビについ誘われて、現代の小学生の卒業式の雰囲気でもと思って吉備津の田圃道を通り小学校の近くまで歩いていきました。
 コンクリートで固められた溝には、もう昔の面影は何一つ残ってはなく、生活廃水が各所から流れ込んだ随分と薄汚れた水が流れています。これが、現代の「春の小川」なのです。でも、突然にそなん水面にチィチィと小さな小さな漣が出来るではありませんか。メダカでしょうか、私の歩く影に驚いたのか急いで水藻の中に逃げ込んでいき、その跡が小さな水輪となって水面に漣を打ち立てています。真冬の小川ではこんな光景は目にすることは出来ませんが、春の暖かさ運んでくれた小さな漣です。こんな自分だけの楽しみをそっと懐の中に抱きながら我田圃道をなんとなくそぞろみ歩いてみました。
 しばらく行くと、これも昔、息子達が小鮒を釣っていたやや深めの溝があります。そこには何処から流れ着いたのかもしれませんが白い沢山の梅の花びらが悪水の上の一箇所に漂い、そこだけにほのかな梅の香を残すように留まっています。

 『仰げば尊し わが師の恩 教えの庭にも 早幾年 思えばいと疾し この年月今こそ別れ目 いざさらば・・・・・・蛍の灯火 積む白雪 忘るる間ぞなき 往く年月 今こそ別れ目 いざさらば』

 そんな歌声が、もしかして聞こえてくるかもと思いながら小学校の校門を左手に見ながらゆっくりと通り過ぎます。今は、体育館からは防音装置やらが整っているのでしょう卒業生の発する声一つさえ漏れ聞こえては来ません。
 もう何年も前から同じものを使っていたのでしょうあまり立派ではない少々古ぼけた感のする『卒業証書授与式』という立看板だけがひっそりと玄関に立てかけてあります。紅白の飾りもなく、なんとなく「これがこの学校の卒業式」かとさへ思えるような環境です。これが「現代の卒業式」なのだと主張しているようです。寂しさが胸の辺りになんとなく寄せ来て、「今の世の中ってなんだろうかな」と老人の戯言がまたもや湧き登ってくるのを禁じえません。

 何時だったかははっきりとはしていませんが もう4,50年も前のことだったと思いますが、私は三月の終わり頃、卒業した小学校の側を流れている谷川に沿った道を懐かしさも手伝って歩いた事がありました。
 当時は公害という言葉もなく、小川の水は何処までもきれいに澄み切って、春の柔らかな光を一杯に浴び無数の漣を撒き散らすようにして清らに流れていきます。岸辺に生えている芹の若芽がぎらぎらと愛いらしい緑を輝かせていました。小鮒もメダカもそれはそれはすいすい自分の生を謳歌しながら、そこらじゅうに影を撒き散らすように泳いでいました。岸辺の猫柳も真綿の産毛の中から薄黄色の花を一杯に覗かせて空を突き刺すように咲き誇っていました。
 この小川は辺りの急峻な山々を深く切り込んで真一文字に山裾まで落ち込むように流れ下ってきます。その山裾から川までのわずかな平地を、今度はうねうねと曲がりくねって深いV字形の谷川となって高梁川へと流れ下ります。その急峻なv字形の谷川の崖の上のわずかばかりの平地に私の小学校は建ていたのです。
 ふと屈んで小川に生えている芹に手を伸ばしたその時です。その崖の上に建っている赤みを帯びたセメント瓦の屋根と薄桃色した壁を持つ、その当時としては随分とモダンな感じがしていた小学校の講堂から卒業式の練習でしょうか『仰げば尊し』の歌声が聞こえてきます。