花のたより☆山のふみ~青森県立名久井農業高等学校~

農業と環境の研究グループ「チームフローラフォトニクス」と弟分である「ハンターズ」の取組みを紹介します!

天災は忘れた頃に

2022年03月11日 | 学校
今から10年前の2011年、結成3年目のTEAM FLORA PHOTONICSが
LEDを利用した作物栽培研究に明け暮れていた頃、
LEDの活用や植物工場という新しい技術を
農業高校でも学習をさせる時代になってきたのではと考えていました。
すると運良く、当時生物生産科でLEDなどを活用して作物の総合防除について
研究を始めた野菜班の先生とともに先端技術を見学できる機会をいただきました。
伺ったのは四国の愛媛大学農学部と四国電力の研究所。
どちらも当時、植物工場研究をリードしていた研究機関で
新鮮な驚きとともに名農生にも扱える学習内容のヒントをたくさんいただきました。
さてお話は松山空港から羽田空港経由で、青森の三沢空港を目指していた時のことです。
羽田空港で三沢行きの飛行機を待っていると突然の大揺れ。東日本大震災です。
空港内はパニックにこそなりませんでしたが、すべての飛行機が欠航。
さらに空港から各地を結ぶ電車もストップ。陸の孤島となってしまいました。
この写真は北ウイング。左側にコーンが並んでいますが
高いところの飾りガラスが割れて降ってきたようです。
行くところがなくなったたくさんの人たちはここで一晩を過ごすことになります。
てきぱきと床にダンボールや梱包の時に使うプチプチを敷いて寝床を作ったり、
毛布や非常食を配るスタッフには感心しました。携帯電話がつながらず、
いったい何が起きているのかわかりませんでしたが、持参していたiPadや
空港のテレビでとんでもないことが起きているのがわかってきて驚いたものです。
夜になるとダンボールの寝床でも3月は冷えます。すると空港内のスターバックスが
在庫のある限り、無料でコーヒーを提供してくださったのを覚えています。
飛行機が飛んだのは翌日の午後。夕方に帰ってきましたが地域はみんな停電中で
ストーブが使えず、さらにまもなくガソリンが手に入らなくなりました。
あれから11年。天災は忘れた頃にやって来る。今日は3月11日です。
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理由

2022年03月11日 | 研究
誰もいない体育館で発表練習をしている名農生たち。
これは2代目のTEAM FLORA PHOTONICSの女子メンバーです。
2011年3月11日の東日本大震災後、大きな被害のなかった名久井農業高校は
まもなく授業を再開。残っていた農業クラブの行事などをこなしていきます。
これはプロジェクト発表会の前日。課題研究の授業がもうないので
みんな放課後に体育館に集まり余震におびえながら練習していました。
実はここで不思議な出来事がおきます。
当時のメンバーは農業クラブの役員がいっぱい、さらに生徒会長もいます。
意欲も能力も最高だった彼女たちの目標はプロジェクト発表で県大会に出場すること。
テクノ愛をはじめ、いろいろな全国大会で最優秀を受賞していた彼女たちは
すでに一目置かれていましたが、何としても学校代表になろうと、
なんと研究発表の3分野すべてにエントリーします。ところが全分野とも2位。
かろうじて一人が意見発表の代表になりましたが、これにはショックを隠せません。
農業クラブの県大会は6月、文化部が多かったメンバーは目指すものがなくなり
いったい何をして過ごそうかと途方にくれていました。
そこで立ち上がったのが震災で被害を受けた種差海岸のサクラソウ救出。
彼女たちは4月から被災地や県庁などいろいろなところに働きかけ
人工受粉でサクラソウの種子をとり、保護栽培を行う許可を県知事からいただいたのです。
5月から毎週、海岸にいっては調査。結実は6月。播種は7月。無我夢中で走り出します。
震災に立ち向かう女子高生たちの姿は新聞はもちろん、テレビで何度も紹介されたので
地元市民はもちろん、日本中のサクラソウ愛好家が注目。
激励の手紙や支援金などが山ほど届きました。
そして見事、2012年春に花を咲かせることに成功し、社会貢献を果たします。
今考えると、すべてはこのプロジェクト発表会で負けたから。
行き場のないやる気を、後輩とともに復興への活動に全力で投入した成果です。
神話では女神フローラは亡くなった息子をプリムラ、つまりサクラソウにかえたといいます。
サクラソウのピンチ。きっとフローラが彼女たちを海岸に向かわせたのではないかと
集まるとみんなで話をしています。意見発表に出場したメンバーは東北大会まで駒を進め
ともに活動した2年生たちは2012年、
この活動で水の国際大会でストックホルムに招かれています。
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