青木宣親選手から高校球児へのアドバイスです。
いわゆる野球強豪校ではない公立高校から、大学を経てプロ野球を目指す。
ごく普通の高校球児だった青木くんの道が、なんとMLBまでつながっていました。
でも、振り返ってみても、何か奇抜なことをやっていたわけではないのですね。
早大在学中の青木くんは、四年間 野村徹さんから指導を受けました。
練習でのボール回し 一つをとっても、ポロリとやったり 送球を逸らしたりすると、野村監督から「外れろ!」と厳しい一声。
ミスした選手は 練習の輪から外れて、見学に回らなければなりません。
野村さんは、隣のポジションからの声も届かない超満員の早慶戦でプレーしているつもりで 、練習から一つ一つのプレーに取り組めというのが口ぐせでした。
また、クリーンアップを任された鳥谷、比嘉らがオープン戦で凡打に終わったときには「早稲田の4番は、他の大学とは違うんだ。大学野球を代表するんだという気概を持て」と。
一つのミスも許されないという凄まじい緊張感の中で毎日の練習が行われ、それが四連覇という形で結実したのでした。
青木くんの野球人生は、あらゆる高校球児の道標になるでしょう。
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カーラジオを聴いていたら、若手のフォークシンガーがゲスト出演していて、初めて買ったCDが何だったかという話題で、その番組の司会者と盛り上がっていました。
私が初めて自腹で買った音楽メディアは、ソノシートでした。
正式にはflexi discというソノシート。
EP/LPレコードが高価だった時代に、子供向け雑誌の付録、あるいは通信販売の形で広まりました。
私は少年サンデーの広告をみて、加山雄三、ベンチャーズなどを買いました。
お小遣いで郵便切手を何百円分か買って、それを郵送しました。
もう50年以上昔の買い物ですが、ソノシートを捨てた記憶はないので、戸棚の どこかに眠っているはず。
もっとも、見つかったとしても、音質は聴くに堪えないレベルでしょう。
皆さんの初レコードは何でしたか?
ヒューストン・アストロズ 青木 宣親選手(日向出身)「失敗しなければ自分のことは分からない」 | 2017年インタビュー | 高校野球ドットコム
いわゆる野球強豪校ではない公立高校から、大学を経てプロ野球を目指す。
ごく普通の高校球児だった青木くんの道が、なんとMLBまでつながっていました。
でも、振り返ってみても、何か奇抜なことをやっていたわけではないのですね。
早大在学中の青木くんは、四年間 野村徹さんから指導を受けました。
練習でのボール回し 一つをとっても、ポロリとやったり 送球を逸らしたりすると、野村監督から「外れろ!」と厳しい一声。
ミスした選手は 練習の輪から外れて、見学に回らなければなりません。
野村さんは、隣のポジションからの声も届かない超満員の早慶戦でプレーしているつもりで 、練習から一つ一つのプレーに取り組めというのが口ぐせでした。
また、クリーンアップを任された鳥谷、比嘉らがオープン戦で凡打に終わったときには「早稲田の4番は、他の大学とは違うんだ。大学野球を代表するんだという気概を持て」と。
一つのミスも許されないという凄まじい緊張感の中で毎日の練習が行われ、それが四連覇という形で結実したのでした。
青木くんの野球人生は、あらゆる高校球児の道標になるでしょう。
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カーラジオを聴いていたら、若手のフォークシンガーがゲスト出演していて、初めて買ったCDが何だったかという話題で、その番組の司会者と盛り上がっていました。
私が初めて自腹で買った音楽メディアは、ソノシートでした。
正式にはflexi discというソノシート。
EP/LPレコードが高価だった時代に、子供向け雑誌の付録、あるいは通信販売の形で広まりました。
私は少年サンデーの広告をみて、加山雄三、ベンチャーズなどを買いました。
お小遣いで郵便切手を何百円分か買って、それを郵送しました。
もう50年以上昔の買い物ですが、ソノシートを捨てた記憶はないので、戸棚の どこかに眠っているはず。
もっとも、見つかったとしても、音質は聴くに堪えないレベルでしょう。
皆さんの初レコードは何でしたか?