オフ会のオリジナル・メンバー、私が敬愛するmytochigiotokoさん、dawase86さんのお二人が、ご自身のブログで、期せずして明治大学を話題にしていらっしゃいました。
日本の大学スポーツは、明治大学の存在抜きには何も語ることができません。
各競技種目における明治の優れたチーム力はもちろんなのですが、神宮・秩父宮・国立競技場を埋め尽くす学生応援団の姿こそが、大学スポーツの一つの理想形を示してくれていると、いつも私は思います。
---------
大学ごとに長年培われてきたチームカラーが基本にあります。
しかし、主将以下の主力選手が毎年入れ替わる学生スポーツですから、学年ごとの個性があるのも、ファンにとって大きな魅力です。
--------
明治スポーツについて、私が一目置く学年を挙げると、野球ならば1975年度(昭和50年度)の丸山主将(上田高校-明大-朝日新聞)の明治。
そして、ラグビーならば、1991年度(平成2年度)の吉田義人主将(秋田工業-明大。現・明大ラグビー部監督)の明治です。
--------
その1991年度の明治ラグビー部は、吉田主将の強力なリーダーシップの発揮により、個々の豊かな素質が猛練習で磨き上げられた、敵ながら惚れ惚れとするチームでした。
1佐藤豪一(3年、久我山)
2西原在日(4年、大工大)
3飯塚淳(4年、大工大)
4青木聡史(3年、久我山)
5坂元勝彦(3年、都城)
6佐藤久富(3年、秋田工業)
7小村淳(3年、函館有斗)
8富岡洋(4年、東福岡)
9永友洋司(2年、都城)
10鈴木博久(3年、本郷)
11吉田義人(4年、秋田工業)
12元木由記雄(1年、大工大)
13岡安倫朗(2年、明大中野)
14丹羽政彦(4年、羽幌)
15小杉山英克(3年、秋田高校)
--------
この学年の早稲田ラグビーも、堀越主将(熊谷工業)が率いる素晴らしいチームでした。
もちろん私は早稲田を応援していましたが、負けた時にも「今年の明治ならば負けても悔いなし」と感じられるようなチームでした。
-------
当時勤務していた邦銀の丸の内支店では、毎日の朝礼で行員が交代で三分間スピーチをやることになっていました。
三分間スピーチの順番が回ってきた私(当時は、融資課長)は、
「今年の明治ラグビーの吉田主将は大した人物だ」
「彼のリーダーシップをお手本にして、私も仕事に取り組みたい」
と支店行員を前にして話しました。
朝礼が終わった後、早稲田OBの副支店長(大学ラグビー好き)が融資課にやってきて、
「ayくん。きみは、どこの卒業生なんだ?」
というので、
「副支店長、確かに吉田ははライバル明治の選手ですが、実際に大した人物なんですよ」と私が答えると、副支店長はニヤリと笑って自席に帰って行きました。
スポーツでも、学業でも、そして卒業後の実社会においても、明治大学に負けないように早稲田は頑張りましょう。
-------
今日、介護施設に入って1週間の父に会ってきました。
自宅とは異なり、食事や就寝の時間を気ままに決めることはできない点が、父にとっては不自由に感じられようです。
でも、概ね快適に生活できているようなので一安心いたしました。
日本の大学スポーツは、明治大学の存在抜きには何も語ることができません。
各競技種目における明治の優れたチーム力はもちろんなのですが、神宮・秩父宮・国立競技場を埋め尽くす学生応援団の姿こそが、大学スポーツの一つの理想形を示してくれていると、いつも私は思います。
---------
大学ごとに長年培われてきたチームカラーが基本にあります。
しかし、主将以下の主力選手が毎年入れ替わる学生スポーツですから、学年ごとの個性があるのも、ファンにとって大きな魅力です。
--------
明治スポーツについて、私が一目置く学年を挙げると、野球ならば1975年度(昭和50年度)の丸山主将(上田高校-明大-朝日新聞)の明治。
そして、ラグビーならば、1991年度(平成2年度)の吉田義人主将(秋田工業-明大。現・明大ラグビー部監督)の明治です。
--------
その1991年度の明治ラグビー部は、吉田主将の強力なリーダーシップの発揮により、個々の豊かな素質が猛練習で磨き上げられた、敵ながら惚れ惚れとするチームでした。
1佐藤豪一(3年、久我山)
2西原在日(4年、大工大)
3飯塚淳(4年、大工大)
4青木聡史(3年、久我山)
5坂元勝彦(3年、都城)
6佐藤久富(3年、秋田工業)
7小村淳(3年、函館有斗)
8富岡洋(4年、東福岡)
9永友洋司(2年、都城)
10鈴木博久(3年、本郷)
11吉田義人(4年、秋田工業)
12元木由記雄(1年、大工大)
13岡安倫朗(2年、明大中野)
14丹羽政彦(4年、羽幌)
15小杉山英克(3年、秋田高校)
--------
この学年の早稲田ラグビーも、堀越主将(熊谷工業)が率いる素晴らしいチームでした。
もちろん私は早稲田を応援していましたが、負けた時にも「今年の明治ならば負けても悔いなし」と感じられるようなチームでした。
-------
当時勤務していた邦銀の丸の内支店では、毎日の朝礼で行員が交代で三分間スピーチをやることになっていました。
三分間スピーチの順番が回ってきた私(当時は、融資課長)は、
「今年の明治ラグビーの吉田主将は大した人物だ」
「彼のリーダーシップをお手本にして、私も仕事に取り組みたい」
と支店行員を前にして話しました。
朝礼が終わった後、早稲田OBの副支店長(大学ラグビー好き)が融資課にやってきて、
「ayくん。きみは、どこの卒業生なんだ?」
というので、
「副支店長、確かに吉田ははライバル明治の選手ですが、実際に大した人物なんですよ」と私が答えると、副支店長はニヤリと笑って自席に帰って行きました。
スポーツでも、学業でも、そして卒業後の実社会においても、明治大学に負けないように早稲田は頑張りましょう。
-------
今日、介護施設に入って1週間の父に会ってきました。
自宅とは異なり、食事や就寝の時間を気ままに決めることはできない点が、父にとっては不自由に感じられようです。
でも、概ね快適に生活できているようなので一安心いたしました。
そういえば、仕事で近くに寄ったので早稲田本校キャンパスを訪れ、仲のよい早稲田OBおじいさんのためにいろんなグッズを買いました。驚いたのはきれいではつらつとした女子学生が「早稲田の杜」にうんと増えたことです。正直、早稲田のイメージが変わりましたよ。
明治のスターティングメンバーを見て、卒倒しそうになりました(笑)その選手にも徹底的にやられたイメージしかありません。早稲田、悲しき90年代です。管理人様が書かれてますようにこの頃はラグビーの話題が職場にも持ち込まれていました。当時、勤めていた会社の社長が(慶応卒でしたが)会議の席上、興奮して終了直前、今泉選手のトライ&守屋選手のゴールで同点にした試合を語っていたのを覚えています。この頃の明治のキャプテン、吉田さんや永友さん、信野さんにしろ受け答えのしっかりとしたリーダーシップをいかんなく発揮していましたね。