外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

大金星

2015-09-20 09:37:22 | 大学ラグビー
ラグビー日本代表が、なんとW杯で強豪 南アフリカを撃破しました。
South Africa 32-34 Japan: Rugby World Cup 2015 – as it happened | Sport | The Guardian

南アフリカを相手に、モールやラックで力強く押し込んでいくジャパンの力は本物だと感じました。

五郎丸(佐賀工業)、畠山(仙台育英)の早稲田OB二人が 歴史的な試合で堂々とプレーしたことも嬉しいですね。

これからの対戦も難敵ばかりですが、練習どおりのプレーの積み重ねを心掛けて、ぜひ勝利を!

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小泉政権で財務相を務めた、「塩爺」こと塩川正十郎さんが19日、大阪市内の病院でお祈り申し上げます亡くなりになりました。
93歳でした。

塩川さんは、旧制 大阪府立八尾中学から慶應義塾大学卒業。
もちろん政治家としての素晴らしい足跡が記憶に新しいところ。
でも、私個人としては、「怪物 江川卓投手(作新学院)の慶大受験をバックアップした有力者」という印象が強烈です。

江川卓投手と同い年の私ですから、彼の大学受験が社会を揺るがす大騒動となったことを興味津々で見守っていました。

高校2年生の時から豪速球投手として全国に知られた江川投手が、阪急ブレーブスのドラフト1位指名を蹴って慶應を受験するというニュースは、新聞の社会面で取り上げられるような一大事となりました。

新聞の投書欄には、「わが家の息子は慶應に入りたいと、毎日深夜まで勉強している。なのに、江川投手は野球が得意というだけで慶應に入れるのか。それは不公平だ。」と母親が投稿。
すると、その投書を読んだ評論家の一人が「何万人に1人という才能を持った天才アスリートと、必死に勉強して慶應に受かるかどうかという凡人を比較しても始まらない。」と切って捨てる。

入試の当日、慶應の入試会場に向かう江川投手に新聞記者が群がり、その様子はテレビの全国ニュースでも報道されました。

こんな具合で世間が大騒ぎになってしまったために、慶應の若手教授陣の中から「こんな状況で江川投手の入学を認めたら、塾の名誉に傷がつく」という声が公然とあがり、結局 不合格に。
あれほどの騒ぎになっていなければ、すんなり慶應に入っていたはずと、まことしやかに噂されていました。
また、「一浪すれば入学OKと、慶應が約束した」という噂も。

あくまでも噂にすぎませんが。

結局、江川投手は法政進学に方向転換し、在学8シーズンでリーグ優勝5回、通算47勝という怪物ぶりを発揮することになりました。

もし江川投手が慶應に入っていたら、どうなったか。

これは、私たちの世代にとって、とても身近な「歴史のIf」です。

まず、江川投手在学中の8シーズンに慶應が何度かリーグ優勝したことは間違いありません。

そして、ひょっとしたらアイビーファッションの江川投手を見ることができたかも知れません。

そして、ドラフト指名における運命、彼のツキのなさにも変化が生じて、大学4年時のドラフト会議で すんなり希望球団から指名を受けることができ、あの「空白の1日」事件も起きなかったのではないでしょうか。

江川投手の怪物ぶりが並外れて凄すぎたために、多くの人物が彼の周りに群がり、結果的に彼の人生は翻弄され、ダーティーな印象も定着してしまいました。

たぐいまれな天才投手を、社会が寄ってたかって揉みくちゃにしてしまった………

塩川さんの訃報に接して、昭和49年の大学受験シーズンにおける大騒動を、凡人の一受験生だった私は思い出しました。








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1 Comments

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江川投手 (かずかず)
2015-09-20 19:29:29
江川投手が空白の1日と言われた記者会見を見てファンになりました。
そこから私の野球観戦が始まりました。
順風満帆に過ぎて行く人がたくさんいるのになぜ江川投手はあんなにも苦難の道が続いたのでしょう。
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