外苑茶房

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山城新伍さん

2009-08-14 17:55:59 | 映画、テレビ、漫画
俳優の山城新伍さんがお亡くなりになりました。

私の思い出に残る山城さんは、何と言っても「白馬童子」!

まだ私が富山の幼稚園に通っていた頃、山城さんは「白馬童子」というテレビ番組で主演されていて、子供たちの間での人気はそれは大変なものでした。

白馬童子の二刀流をチャンバラごっこで真似しようと、私は東京に出張する父にねだって、二刀流の刀のオモチャをお土産に買ってきてもらったり。

白馬童子の画像・携帯用

白馬童子の画像・パソコン用

そうは言っても、50年近く昔の番組なので、どんな画像だったのか、記憶は曖昧でした。

改めてYouTubeの画像を見ると、頭の片隅の残像とは、かなりギャップを感じました。
何だか、時代劇の中に「伝説怪獣ウー」が迷い込んで、日本刀を振り回して暴れているような印象。
でも、これが当時の子供たちの目には実に格好良く見えたんです。

(注)怪獣ウーは、「ウルトラマン」に登場した怪獣の中の一頭。
後に「ウルトラ・ファイト」と題された、マイナーでマニアックな怪獣番組のレギュラー級となり、「喧嘩が飯より好きな怪獣」「喧嘩屋」として、テキトーな台本、けだるいエレキサウンド、そして鈴木二郎アナウンサーの軽妙な実況のもと、ウルトラセブン、キーラー、イカルス、バルタン、エレキングらと、野山や海岸を舞台に、低レベルな喧嘩を連日繰り広げました。

「ウルトラファイト」について、詳しくはこちらをご参照ください。最近、DVDボックスも発売されています。
ウルトラファイトの解説

ウルトラファイトの画像・携帯用

ウルトラファイトの画像・パソコン用


さて、話題を白馬童子に戻します。

白馬童子は、主題歌の歌詞も実に分かりやすかった。
というか、テキトーというか、なんというか。

「ちゃんちゃんちゃんばらりん、ちゃんちゃんちゃんばらりん、ちゃんばらりん」
「白馬童子が飛んで行く、さあ大変だ、大変だ・・・(大変だあ)」
「それゆけ、見に行け、みんな行け」

ここまでくると、怖いものは何も無いっていうような歌詞ですよね。
(;^_^A

東映が制作した番組でしたが、まだ昭和35年前後は映画が娯楽の保守本流で、テレビは付け足しの存在で、あまり予算も時間もかけられない状況だったのかも知れません。
でも、それこそ盆か正月ぐらいでなければ子供は映画館に行けない時代だったのですから、そこで若くしてヒーローの一人となった山城さんは、運の強い俳優さんだったと思います。

私の早稲田でのクラスメートに京都府立・山城高校の卒業生Sくん(卒業後は野村證券)がいまして、彼が「俺の母校は、サッカーの釜本選手と白馬童子の山城新伍が卒業生だ」と常々自慢していたことも思い出します。
山城さんは、母校から名前をいただいて芸名を決めたんだとSくんは話していました。


それにしても、山城さんは、まだ満70歳を過ぎたばかり。

若い頃に無理をされたのでしょうか、早すぎる訃報をとても残念に思います。
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1 Comments

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また、昭和が (MT)
2009-08-15 10:52:21
大原麗子さんの孤独死、石塚の急死に続き、またも……

山城新伍さんが司会していた深夜番組、「独占!男の時間」でしばしば、白馬童子の映像が流されて、その度にテレて嫌がって大騒ぎしていたのを思い出します。

山城新伍さんは、「自分は評論家でもコメンテーターでもなく、“冷やかし”をしているだけ。一流でもない芸能人のクセに、社会正義を背負ったような顔をしてワイドショーで話をしているヤツはおかしい。」
と言ったことがあり、印象に残っています。

合掌〓
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