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外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

青春の墓標

2010-01-21 18:25:10 | 都立青山高校
昨年11月に、早稲田スポーツ応援仲間のdawase86さんが、「二十歳の原点」(高野悦子さん)をブログで取り上げていらっしゃいました。
二十歳の原点・携帯用リンク
二十歳の原点・パソコン用リンク

その時は、同タイトルの映画で主演女優であった角ゆりこさんが、私の小中学校の同級生のお姉さんだったことをdawase86さんのブログにコメントさせていただきました。

今日は、少し暗い話題となってしまいますが、「二十歳の原点」との、もう一つの私の接点をお話ししたいと思います。
若い世代の方々にとっては、ピンとこない話題だと思うのですが、新左翼の政治活動に参加する大学生や高校生たちが、教室や部室棟などを普通に闊歩している時代があったということを踏まえて、しばしお付き合いください。


「二十歳の原点」の高野悦子さんは、立命館大学で学生運動に身を投じて、最終的に行き詰まって自らの命を断ちました。
その彼女の考え方に大きな影響を与えたのが、彼女が高校二年生の時に読んだ、横浜市立大学の中核派活動家・奥浩平さんの遺稿集「青春の墓標」だったと言われています。

奥浩平さんは、横浜市立大学在学中に、政治活動と恋愛の狭間で苦しんで満21歳6ヶ月で自殺してしまったのですが、添付した写真にも記してあるように、彼は目黒区立六中-都立青山高校という、私の直系の先輩でした。

そして彼の恋人Nさんも青山高校出身。
Nさんは青高から早大法学部に進学しましたから、こちらも私の直系の先輩です。

奥浩平さんとNさんは、青山高校二年生の時に60年安保のデモに参加したことをきっかけに、その後、学生運動に深く関わっていくことに。

高校時代から、奥さんとNさんは革共同という新左翼組織に揃って所属していたのですが、その組織が中核派と革マル派に分裂し、二人は対立するセクトに分かれ分かれという関係になってしまったのです。

そして二人は、深く愛し合いながらも思想面で対立して論争を繰り返すようになり、その断絶と絶望感が奥浩平さんの自殺の原因になったと言われています。

「青春の墓標~ある学生活動家の愛と死」は、奥浩平さんが高校時代、大学時代に書いた手紙、特に彼が思いを寄せるNさんに宛てた手紙を時系列でまとめて、彼の死から半年後の昭和40年10月に文藝春秋から出版された本です。

この本が青山高校の図書室の本棚にありまして、それを読んで中学の先輩だと知り、別途買い求めたものが今も私の手元にあります。
私が高校二年生だった昭和48年3月に印刷された第38刷です。

大変な増刷回数をみても、当時の多くの若者に読まれていたことが分かります。
※この本以外にも、東大や日大の全共闘委員長の著書なども図書室に揃っていたのが、当時の青高らしいところ
(;^_^A

「青春の墓標」は、高野悦子さんの「二十歳の原点」三部作と共に、当時の若者たちのバイブル的存在でした。

なお、奥浩平さんの遺稿を本にまとめたのは彼のお兄さんでして、そのお兄さんも目黒六中-青山高校-早稲田という、まさに私と全く同じ道を歩まれた大先輩でした。

もっとも、私自身は音楽とスポーツ、そして麻雀に明け暮れるダメ学生でしたし、一回り年長の方々である彼らとは、全く面識はありません。
今となれば、命を擦り減らしながら学生運動に没頭する青春は、理解し難いところもあります。

率直にいえば、奥浩平さんのように完璧を求めていたら、とても保たない、いずれ行き詰まるのは避けられなかっただろうと、最初に読んだ時に感じました。

「『なぜ中核派の女の子を好きにならないの』なんてNさん本人から言われたら、それは傷つくよ」
「もしNさんが、主義主張の壁を越えて、奥浩平さんの愛を受け入れたら、二人はどうなっていただろうか」
「それにしても、そこまで自己を犠牲にする学生運動って、何なのだろうか」
「落城した東大の教室の壁に『花も嵐も踏み越えて、行くが男の生きる道』とか落書きされてただろ。あの心境、彼らの美学だろう」
「その東大落城の前に、バリケード内に立て籠もる愛する息子に、キャラメルを差し入れしたママさんたちもいたらしいね」
「日本で革命を起こそうなんて本気で考えたら、身の破滅だよ。僕は賛成できないな」
正確には記憶していませんが、概ねこんな内容を、高校の友人たちとワイワイと話したこともありました。

いずれにしても、奥浩平さん、お兄さん、そして恋人のNさんという、同じ校舎で神宮外苑の空気を吸って過ごした先輩方の、真摯な、しかし悲劇的な生きざまは、思想信条は異なっても、決して遠い過去の出来事、他人事とは青高生の僕達には思えませんでした。

この本を手に取ると、若さゆえの生真面目さと焦燥感、Nさんへの断ちがたい思いと絶望など、揺れ動く奥浩平さんの感情が手紙の文面から伝わってきて、読むたびに胸が一杯になります。

そんな生きざまに昭和40年代の若者たちの多くが心を揺さ振られました。

ともあれ、多くの若者たちの人生に大きな影響を与え、時には命を断つきっかけにまでなった60年安保から、今年で50年目。
あの年に国会議事堂前に結集して安保反対を叫んだ20歳の若者たちも、今年で70歳になります。

この節目の年に、お一人お一人が様々な想いと感慨を抱いて、あの時代や友人たちの面影を振り返っていらっしゃるのではないでしょうか。
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8 Comments

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そうだったのですか (dawase86)
2010-01-22 01:08:00
こんばんは。
「青春の墓標」のお二方はともに青山高校の
御出身だったのですね。
この本は読んだことはありませんが、立花隆
さんの「中核VS革マル」という本に引用
されていました。文春文庫と書いてあったので
本屋で探しましたが見つからなかった覚えが
あります。
「二十歳の原点」にしろ、「青春の墓標」に
しろ、「人間」についていろいろと考えさせ
られます。
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青春の墓標 (ay1881)
2010-01-22 05:45:46
dawase86さん、いつもありがとうございます。

かつての青山高校の先輩方の積極性には驚くばかりですが、客観的に見れば、彼らの激動の青春も、過去の出来事として風化していると言わざるをえないでしょう。

残念ながら「青春の墓標」は絶版になっていると思います。
しかし、一世を風靡した本ですから、大きな図書館には置いてあるのではないでしょうか。


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小三治師匠 (enjin)
2010-01-22 18:08:00
70歳と言えば、青山高校OBの柳家小三治師匠もそうですね。今年、落語協会会長に就任されることが報道されております。
ロングラン上映中のドキュメンタリー映画『小三治』。この映画でも何度か登場する柳亭 こみちさんは早稲田OG(社学だったかな?)。他にも川柳つくしさん(なんとゼミの後輩です)、桂右團治さん(法学部OG)などが女流落語家として活躍しております。
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落語研究会 (ay1881)
2010-01-22 20:21:56
奥浩平さんも、青山高校一年生の時は落語研究会に所属していたようです。
ひょっとしたら、小三治さんと接点があったかも知れませんね。

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青春の墓標とN.M.さん (ジイジ)
2014-11-18 06:39:25
45年前に購入し『青春の墓標(第23刷)』を再々読している際に、『外苑茶房』に立ち寄りました。
奥紳平氏が房主殿の中学→高校→大学の直系の先輩とのこと、一言申しあげたくコメントいたしました。
それはNのこと、彼女の実家は学芸大学駅の前にありましたので、彼女も中学→高校→大学と直系の先輩にあたるのでは…。
因みに私は九州から房主殿と同じ大学(ただし理工学部)に1968年に入学し、卒業後は外苑前に本社を構えていた建設会社に勤務しましたので、房主殿のご近所さんとなるのでしょうか。
今年も娘と秋期高校野球東京大会の応援で神宮球場に足を運びましたよ。
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N・Mさんと外苑前の建設会社 (ジイジ)
2014-11-18 09:59:05
今確認しましたがHAさんは確かに外苑前の建設会社の2年後輩です。 
N・Mさんの実家が学芸大学のすぐそばにある事は『青春の墓標』の“ノート8月16日=178頁~190頁”に奥浩平自身が書いてありますよ。 またその実家が金物屋を営んでいる事は”兄への葉書 十一月十九日消印=202~201頁”を読めばわかると思います。 
もし可能なら外苑茶房の実店舗で房主殿と珈琲を飲みながらゆっくりお話したいですね。
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Re:N・Mさんと外苑前の建設会社 (ay1881)
2014-11-18 10:33:44
やはりそうでしたか。
Hさんは、青山高校バレーボール部の先輩で、就職されてからもバレーボールの練習を見に来て下さったこともあります。
となると、1975年の爆破事件で大変なご苦労をされたのですね。私が大学入試と格闘している時期に起きた大事件でした。
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青春の墓標の復刊 (ジイジ)
2015-08-07 09:34:49
絶版になって久しく、今ではAMAZONによる古書の入手もむつかしくなっている『青春の墓標』が社会評論社より6月26日復刊されました。
ただ残念なのは、著作権を継承し本書のの編集にあたった『レッド・アーカイヴズ刊行会(奥浩平とほぼ同時期に横浜市大に在学し同じグループに属した人々)』が書き下した第二部。奥浩平のさいごの2年間のみがハイライトされ、その前の目黒六中、青山高校時代の事が埋没し偏った内容になっている事です。
青春の墓標は当時の事を知らない若い人々にも読んでもらいたい素晴らしい本ですが、読み方に正解があるはずもなく、本の読み方は読者に任せるのが本来のあり方だと思うのですが…。
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