軽井沢キャンプが順調に進行して、秋季リーグ戦に向けて期待に胸が膨らむ時期。
しかし、このブログに記しておかねばならない悲しいニュースを、先週の火曜日に耳にしました。
私が早稲田に入学した年に四年生で正二塁手であった西村一貴さん(平安高校-早大-日本生命)がご逝去されたという、にわかに信じられない、とてつもなく悲しい知らせです。
----------
西村さんの写真は、このブログでも2008年7月にご紹介したことがあります。
↓この記事の写真の左側が、私が入学した時の西村さんです。
1975年の早大野球部
何度かここで書いたことがありますが、私の憧れのポジションは二塁手です。
高校時代は、同い年の金光興二選手(広島商業-法政)に対して「同い年で、こんな凄い選手がいるのか」と、甲子園のテレビ放送を観ながら思いました。
大学に入学した時の早稲田の正二塁手が西村一貴さん。
私は、西村さんの醸し出す雰囲気が大好きでした。
ちょっと非力な印象があるものの、守備でも、打撃でも、とても大人びた雰囲気を感じさせる職人肌、かつ才気溢れる二塁手。
いかにも、名門・平安高校で一年生からレギュラーで、甲子園5回出場という実績を引っ提げて早稲田にやってきたという選手が西村さんでした。
--------
早稲田では、一年生からレギュラーとなって、二年生春と三年生の春にベストナイン獲得。
特に三年生の春は、早稲田の二回目の大学選手権優勝に貢献されました。
ちなみに、その時の春季リーグ戦で早稲田からベストナインに選ばれたのは、次の4人でした。
矢野投手(今治西)
西村二塁手(平安)
八木遊撃手(興国。現・早大コーチ)
吉澤外野手(日大三高。現二年生の吉澤くんのお父上)
この次に早稲田が大学選手権で優勝するのは、何と田中幸長くん(宇和島東-早大-トヨタ)が主将の年まで、二十年以上も待たなくてはなりません。
ちなみに、その年の正二塁手は、これまた非力な印象を受けるものの才気溢れる上本くん(広陵)でした。
-----------
私の早稲田在学四年間の正二塁手を振り返ると、
1975年:西村さん(平安)
1976年:松本さん(報徳学園。卒業後に巨人。肩の脱臼で早々に戦線離脱)→岡村さん(佐賀西。現在の早大監督)
1977年:岡村さん(佐賀西)
1978年:亀山さん(平安。卒業後に三菱自工京都)
すなわち、現監督の岡村さんは、実質的に平安出身の西村さんから二塁を引き継ぎ、平安出身の亀山選手に二塁を引き継いだのでした。
-------
軽井沢キャンプにおいでになった八木さんに西村さんの思い出を尋ねたところ、
「クサい球を、カット、カット、カットでしのぐ、隙のない選手だった」
同じように、カットで粘るのが持ち味であった岡村さん。
西村さんをお手本にして腕を磨いていらっしゃったに違いないと、私は確信いたしました。
--------
最後に、平安高校野球部で西村さんと同期生でいらっしゃった方のブログ記事をご紹介いたします。
平安高校での球友のブログ
私の憧れ、西村一貴さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。
しかし、このブログに記しておかねばならない悲しいニュースを、先週の火曜日に耳にしました。
私が早稲田に入学した年に四年生で正二塁手であった西村一貴さん(平安高校-早大-日本生命)がご逝去されたという、にわかに信じられない、とてつもなく悲しい知らせです。
----------
西村さんの写真は、このブログでも2008年7月にご紹介したことがあります。
↓この記事の写真の左側が、私が入学した時の西村さんです。
1975年の早大野球部
何度かここで書いたことがありますが、私の憧れのポジションは二塁手です。
高校時代は、同い年の金光興二選手(広島商業-法政)に対して「同い年で、こんな凄い選手がいるのか」と、甲子園のテレビ放送を観ながら思いました。
大学に入学した時の早稲田の正二塁手が西村一貴さん。
私は、西村さんの醸し出す雰囲気が大好きでした。
ちょっと非力な印象があるものの、守備でも、打撃でも、とても大人びた雰囲気を感じさせる職人肌、かつ才気溢れる二塁手。
いかにも、名門・平安高校で一年生からレギュラーで、甲子園5回出場という実績を引っ提げて早稲田にやってきたという選手が西村さんでした。
--------
早稲田では、一年生からレギュラーとなって、二年生春と三年生の春にベストナイン獲得。
特に三年生の春は、早稲田の二回目の大学選手権優勝に貢献されました。
ちなみに、その時の春季リーグ戦で早稲田からベストナインに選ばれたのは、次の4人でした。
矢野投手(今治西)
西村二塁手(平安)
八木遊撃手(興国。現・早大コーチ)
吉澤外野手(日大三高。現二年生の吉澤くんのお父上)
この次に早稲田が大学選手権で優勝するのは、何と田中幸長くん(宇和島東-早大-トヨタ)が主将の年まで、二十年以上も待たなくてはなりません。
ちなみに、その年の正二塁手は、これまた非力な印象を受けるものの才気溢れる上本くん(広陵)でした。
-----------
私の早稲田在学四年間の正二塁手を振り返ると、
1975年:西村さん(平安)
1976年:松本さん(報徳学園。卒業後に巨人。肩の脱臼で早々に戦線離脱)→岡村さん(佐賀西。現在の早大監督)
1977年:岡村さん(佐賀西)
1978年:亀山さん(平安。卒業後に三菱自工京都)
すなわち、現監督の岡村さんは、実質的に平安出身の西村さんから二塁を引き継ぎ、平安出身の亀山選手に二塁を引き継いだのでした。
-------
軽井沢キャンプにおいでになった八木さんに西村さんの思い出を尋ねたところ、
「クサい球を、カット、カット、カットでしのぐ、隙のない選手だった」
同じように、カットで粘るのが持ち味であった岡村さん。
西村さんをお手本にして腕を磨いていらっしゃったに違いないと、私は確信いたしました。
--------
最後に、平安高校野球部で西村さんと同期生でいらっしゃった方のブログ記事をご紹介いたします。
平安高校での球友のブログ
私の憧れ、西村一貴さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。
今頃になって、西村さんの訃報に出会ってしまいました。
30年近くお会いしていなかったのですが、数年前、ニュースステーションに出られている時に偶然テレビをオンにし、お元気な姿を拝見することができ、昔と少しもお変わりないことを知り嬉しくもあり…、お父様西村進一監督の少し早いご逝去を哀しく知るところでもありました。
齢を重ねて、現役世代を卒業したら、いつか昔語りができる日が来るかと楽しみにしておりました。
その日のために、恥ずかしくない人生を歩まなければ…と、生きる意味を問いかけながらの毎日だったような気がします。
西村さんとは平安高校で同じく5回甲子園に行かれ、明治大学に進学された奥田さんも10年程前に亡くなっており、昔語りを楽しみにしていた方が次々と現役世代のまま逝ってしまわれることが何とも、言葉が見つかりません。
この年代はみなさん生きることを急がれるのでしょうか?
閻魔大王がノックされた「あの世」へのボール、目の前に来たら思わず受け止めてしまう、名選手だからでしょうか。
こんなボール、ミスをしてくれればいいのに…。
西村さん、奥田さん、高校3年、須坂園芸に負けて夏が終わり、各大学のセレクションが始まるまでの短い間、まだまだ暑い盛りの大阪万博に行きました。
暑い中をあちこちと歩き回り、行列に並び、人ごみにのまれ疲れてはて皆不機嫌になる一方の時
「野球してるほうが楽や…。」
とつぶやいた西村さん。
大学に入られてからは、思い出にはこでまりの花が・・・。
こでまりの花が咲くころがちょうどオフだったのでしょうか。
大学時代の西村さんの写真も拝見させていただきました。
青春の思い出が走馬灯のようにめぐります。
貴重なお知らせ、ありがとうございました。 合掌