今日は、システム・トラブルが発生し、オフィス内は早朝からお昼ごろまでドタバタでした。
私の勤務する銀行におけるアジア地区のホスト・コンピュータは、シンガポールと香港にあるのですが、そのメンテナンス部隊の大半はインドにいます。
インドは日本と3時間の時差があります。具体的には、インドは日本の標準時よりも3時間遅れということです。
したがって、日本が営業時間を終了した後にデータを送ると、そのデータ処理を時差の3時間の所定勤務時間中で行なってくれるので、バックオフィスとしてのインドは、とても使い勝手の良い存在です。
しかし、システム・トラブルの対応となると話は別。
日本時間でお昼近くにならないとインドのスタッフが出勤してこないので、なかなかシステムを復旧することができません。
今日も、日本のスタッフが対応に追われて疲れてきた頃に、やっとインドは全員が揃い、ようやくシステムが復旧しました。
さて、一部の新聞で、次期監督の候補の1人として、谷澤健一さんの名前が挙がっていると報じられています。
まだ、応武監督が今年度で勇退すると発表されたわけでもないのに、ずいぶんと気の早い報道ではあります。
でも、応武さんが監督に就任される際には、その直前の秋のシーズンに助監督としてベンチに入っていましたから、この時期から水面下で動きがあるのかもしれません。
谷澤健一さんは、昭和40年代半ばの東京六大学を代表する打者の1人で、二年生の春にいきなり首位打者を獲得するや、以降、卒業するまで6シーズン連続で打率3割以上を記録。四年生では主将を務めました。
最終的には四年間通算で82試合に出場し308打数111安打、18本塁打、63打点、打率.360という、確実性と長打力の両方を兼ね備えた、素晴らしい打者でした。
(写真は、早稲田のON砲と呼ばれた頃の、谷澤健一さん(左)と荒川尭さんの雄姿)
谷澤さんは、早稲田の大学院(2年制)の修士課程を卒業されましたし、最近も、時々グラウンドに現れて現役部員にアドバイスする姿をみかけましたし、早稲田に対しての思い入れは、かなり強くお持ちであるとお見受けしました。
そして、今もシェイプアップされた体形で、実に格好良い方です。
ちなみに、谷澤さんのサイトはエンジ色が基調です。
リンク
もし報道されているように、応武さんが今季一杯で勇退されることになれば、きっと自薦・他薦を含めて、多くの方々のお名前が取り沙汰されてくる状況になることでしょう。
その中に、谷澤さんの名前も含まれることになるのでしょうか。
私の勤務する銀行におけるアジア地区のホスト・コンピュータは、シンガポールと香港にあるのですが、そのメンテナンス部隊の大半はインドにいます。
インドは日本と3時間の時差があります。具体的には、インドは日本の標準時よりも3時間遅れということです。
したがって、日本が営業時間を終了した後にデータを送ると、そのデータ処理を時差の3時間の所定勤務時間中で行なってくれるので、バックオフィスとしてのインドは、とても使い勝手の良い存在です。
しかし、システム・トラブルの対応となると話は別。
日本時間でお昼近くにならないとインドのスタッフが出勤してこないので、なかなかシステムを復旧することができません。
今日も、日本のスタッフが対応に追われて疲れてきた頃に、やっとインドは全員が揃い、ようやくシステムが復旧しました。
さて、一部の新聞で、次期監督の候補の1人として、谷澤健一さんの名前が挙がっていると報じられています。
まだ、応武監督が今年度で勇退すると発表されたわけでもないのに、ずいぶんと気の早い報道ではあります。
でも、応武さんが監督に就任される際には、その直前の秋のシーズンに助監督としてベンチに入っていましたから、この時期から水面下で動きがあるのかもしれません。
谷澤健一さんは、昭和40年代半ばの東京六大学を代表する打者の1人で、二年生の春にいきなり首位打者を獲得するや、以降、卒業するまで6シーズン連続で打率3割以上を記録。四年生では主将を務めました。
最終的には四年間通算で82試合に出場し308打数111安打、18本塁打、63打点、打率.360という、確実性と長打力の両方を兼ね備えた、素晴らしい打者でした。
(写真は、早稲田のON砲と呼ばれた頃の、谷澤健一さん(左)と荒川尭さんの雄姿)
谷澤さんは、早稲田の大学院(2年制)の修士課程を卒業されましたし、最近も、時々グラウンドに現れて現役部員にアドバイスする姿をみかけましたし、早稲田に対しての思い入れは、かなり強くお持ちであるとお見受けしました。
そして、今もシェイプアップされた体形で、実に格好良い方です。
ちなみに、谷澤さんのサイトはエンジ色が基調です。
リンク
もし報道されているように、応武さんが今季一杯で勇退されることになれば、きっと自薦・他薦を含めて、多くの方々のお名前が取り沙汰されてくる状況になることでしょう。
その中に、谷澤さんの名前も含まれることになるのでしょうか。
大スターです。今でも東伏見や祝勝会で
お見かけしますが、緊張してしまいます。
一度、講演会にも行きましたが、気さくな
紳士という感じで、サインも写真も喜んで
応じてくれました。
中日時代は、星野さんと馬が合わなかった
こともあって、冷遇され指導者の経験は
西武での打撃コーチだけという惜しいことに。
縁あって早稲田の指導者になることができれば
これほど嬉しいことはありません。谷澤さんの
打撃理論は今こそ必要だと思います。
http://dawase86.exblog.jp/11718905
今回を含め、早慶決戦を3度目にしました。
過去の二回は拙いわたくしの駄文がありました
のでよろしければどうぞ。
http://dawase86.exblog.jp/10181346
http://dawase86.exblog.jp/14401738
昭和53年秋につきましては本ブログの
ay1881さまが随所に触れておりますので
過去記事をあたってみてください。
あと、5回はいつだったのでしょうか。
慶應三連覇のときがそうだったでしょうか。
と思います。ところで違う角度から谷沢さんのシーズン塁打数
を調べてみました。なお今シーズンは立教の田中君の27が最高でした。
2年春秋 27&25
3年春秋 36&45
4年春秋 30&35となっています。当時は法政
三羽烏もいてシーズン塁打が30を超える選手が
常に数人いましたが3年秋のような40以上はなかなかいませんでした。そのときは20安打のうち本塁打5、三塁打4、二塁打2
シングル9であり足も速かったようです。忘れましたが、この塁打数というのは真の強打者の判断基準
になりそうです。
小坂か安田、捕手コーチに阿野、
内野守備コーチに井石、外野コーチに千藤と専任でなくても手伝いに
来てくれるといいのですが。かっての谷沢主将のもとに集まるように。
特に荒川さんが来てくれると話題になると思います。学生時代二人は仲良しだったのですから。