外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

「言葉の鉄拳」後日談

2009-09-25 17:41:59 | 大学野球
先日、中大の高橋善正監督の著書「言葉の鉄拳」を話題に採り上げました。
「言葉の鉄拳」の記事へのリンク

実は、リーグ戦が始まる前に、三年生の学生コーチ・野崎くんに一冊進呈しました。

後日、彼に読後の感想を聞いたところ、
「本の中で高橋監督が、オープン戦で訪ねた早稲田の東伏見グラウンドのダッグアウトにはチリひとつ落ちていなかった、これが早稲田の強さを支えているのだと本の中で誉めていただいており、なるほど、そのような目線で他校の監督さんたちは早稲田を見ていらっしゃるのかと思いました。」
「そこで高橋監督が本に書いていらっしゃる点検ポイントに従って、寮やグラウンドなどを改めて点検してみると、寮の玄関の整理整頓、あるいはグラウンド周辺で清掃が行き届いていない場所が何ヶ所か見つかりました」
「これでは高橋監督が次に来られた時に顔向けできないと、部内で相談して、掃除や整理整頓の基準を改善しました」

嬉しいことを言ってくれるじゃありませんか。

野崎くんのような男が学生コーチで、練習だけでなく日常生活でも目を光らせていてくれる。
こういう学生の頑張る姿が、早稲田の誇りだと私は思います。

ところで、サッカーの岡田監督、駅伝の瀬古さんの対談記事をネットで見つけましたので、皆様にご紹介します。
対談へのリンク
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Unknown (吉江一行さんのこと)
2009-09-27 07:54:46
吉江一行さんは昭和18年三年生のとき「最後の早慶戦」に五番中堅手で先発出場、翌19年早稲田野球部35代主将
に選ばれましたがリーグ戦中止で空襲警報中のバット、ボールの防空壕への出し入れをしていました。そして19年7月半ば飛田先生の指示により主将自ら倉庫の整理をして
終了後学徒出陣されました。早稲田野球部史に「心の中で
は気の毒に堪えなかったが彼よりほかに面倒な仕事を成し遂げてくれるものがないと考え助力をこうた」と書いて
あり
終戦後の20年10月28日神宮で六大学OB戦が行われたのはこの整理された早大野球部倉庫の用具が役立ったとのこと。他の大学野球部にも役だったとのことです。なお吉江さんは戦地で病にかかり20年10月3日故郷いわき市で逝去。闘病の中、野球が復活するとどこかから
訊いていたと信じたい。
「彼が復帰すれば野球部のリーダーができる、彼なら野球部を健全に守り抜く」と思っていた飛田先生が吉江さんの
死を知り「早大野球部が吉江一行を失ったことは眞に大きな損失であった」と述べています。
返信する
吉江さんのこと (myotochigiotoko)
2009-09-27 08:17:31
先ほどのコメントは私のコメントです。
吉江一行(福島県磐城中卒)
勤労奉仕を命じられた時非力な級友をいたわりつつ
三人前の土運びをして軍部の係官を驚嘆させ
早稲田野球部にはどえらい奴がいると評判になった
剛力と誠実さを持っていた(早稲田野球部史)
返信する

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