酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

「朝日」社説の奇々怪々

2008-05-23 21:19:24 | Weblog
22日と23日の朝日新聞社説が「宇宙基本法」を続けて書いていたのにはびっくりした。選挙や先に終わった「提言シリーズ」を除いて極めて異例の出来事である。

 「続」を書くくらいなら、22日をワイド版にすれば済んだ話だ。22日の相方は「成田空港30年」だ。はっきりいって書いても書かなくてもいい代物だ。この時点で「宇宙」の続編を書く意図があったとは信じがたい。

 22日の社説に何か不都合な点があったのだろうか。読み直してみても問題になりそうなところは見当たらない。軍事の側面が強調されているが、法律の性格上そういう論調になるのはやむを得まい。

 23日の社説は意図不明だ。書き出しからしておかしい。前日も書いたと述べた上で、「この法律はさらに幅広く、官民の宇宙開発の進め方全体にかかわるものである」と説く。
 
 「さらに」は強調の副詞だ。それをいうならなぜ前日に書いておくべきだった。
 
 以下グダグダと書いているが、結局何を言いたいのか分からない。「科学研究で世界をリードしよう」といったかと思えば「だからといってあれもこれもやるわけにはいかない」などと泣き言を並べる。これでは福田首相の弁明と選ぶところがない。

 スポンサー絡みで社説を捻じ曲げるほど朝日も落ちぶれてはいまい。ならば、前日欠勤した論説委員が文句をつけて「俺にも書かせろ」とねじ込んだか。これも考えにくい。

 強いてあげれば、今の朝日が混乱しているということだろう。村山家との確執が再燃し始めたとも伝えられる。H氏とW氏のさや当て説も漏れてくる。編集局内もがたがたしているらしい。要は統制が取れなくなってきているということか。

 各人がてんでに書く。そういう朝日もまた楽しからずや、である。
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中国地震と援助の意識

2008-05-23 04:18:13 | Weblog
 中国四川大地震に派遣された日本の緊急援助隊と医療チームの活動場所をめぐって、日中間で軋轢が生じた。送り込む側と受け入れ側の微妙な立場の違いから生じた現象だろう。国際的な援助活動の難しさをあらためて教える出来事といえる。

 ①16日に青川省入りした緊急援助隊は当初、経験や装備と現場がミスマッチ、初動がさらに遅れた。実質的な救助が始まったのが、地震発生から5日目では生存者の救助がなかったのはやむを得まい。

②20日夜、成都に着いた医療チームは、病院での活動を要請されたが、現場での行動にこだわった。このため、翌21日をまるまる空費する結果となった。結局、活動は四川大学華西病院に落ち着いたが、行動開始は22日の夜にずれ込んだ。

 緊急援助隊の救出チームが威力を発揮できなかったのは、初動の遅れがすべてである。これは受け入れ側である中国の責任だ。外国の援助隊を、チベット人らも住む被災地に入れたくなかった。海外の反応に驚き、慌てて対応した。その結果が、近隣の日本、韓国、ロシアからの受け入れだ。

 救出可能性が高い72時間はとっくに経過していた。各国とも無駄足になることは承知で、中国が面子を立てることに協力した、ということだろう。これは政治の話だ。実際に派遣される方はこれではたまらない。

 最初から救助隊ではなく、医療チームを派遣すべきだった。しかも、もっと数を多く。

 今回派遣された医療チームは、調整官の能力に問題がありそうだ。活動場所に固執して40時間も浪費するなど、危機意識を疑う。現場に出るのも、病院で手当てするのも変わらないはずだ。違いがあるとすれば、「現場で役に立っている」という感覚の問題ではないか。

 被災者が1300万人という桁違いの災害である。自分の常識にこだわっていてはボランティアなどできまい。

 国際支援と簡単に言うが、実際に役立つには大きな壁が横たわっていることがよく分かった。

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