酔眼独語 

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刑法199条「殺人の罪」

2008-05-28 04:57:32 | Weblog
 刑法26章199条「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する」。

 殺人罪の量刑は懲役3年から死刑までと幅広い。個別の殺人事件にどう適用していくかは裁判官の裁量に任されているようにも見える。それでは判決に揺らぎが出る。判例を積み重ねることで、量刑の妥当性が決まっていく。これが日本の司法の流れだった。

 長崎地裁が下した市長射殺犯への死刑判決は、判例をあえて踏み越えた感がある。午前中に主文を言い渡せないほど長文に及んだ判決理由の朗読は、「民主主義の根幹を揺るがす犯行」「行政対象暴力として極めて悪質」「暴力団特有の身勝手な犯行」などと言葉を重ね、よって極刑は免れないと述べた。

 殺人の前科がない被告が単純に一人を殺したケースで死刑が言い渡されるのは極めて異例である。裁判長が長々と言葉を費やしたのも、この事件がいかに悪質化を際立たせるためといっていいだろう。

 1983年に最高裁が「永山判決」で示した死刑適用基準に照らせば、今回のケースは死刑の範疇には入らない。地裁が最高裁基準を踏み越えたことになる。

 新聞各紙を読んでみると、概ね判決に好意的だ。「選挙妨害によって市民全体が被害者になった」「テロに対する厳しい姿勢はうなずける」(朝日新聞)などと評価している。そんなきれいごとにしていいのだろうか。

 選挙中の候補者を射殺する。この行為が許されないものであることはいうまでもない。民主主義へのテロとの見方もできないわけではない。しかし、これはテロなのだろうか。また、民主主義へのテロなら即死刑となるのだろうか。

 さえない中年ヤクザが自暴自棄になって起こした犯罪と見るべきだろう。仕事がらみで長崎市に恨みをいだいた。「あの市長は勘弁できない」。で、ズドンである。折りしも市長選の最中だった。「選挙テロ」「民主主義の破壊」。ご大層なハクがついてしまった。そういうことではないか。

 ヤクザの存在は許されない。そんな男が市長の命を奪うなんて…。死刑しかない。世間の反応は概ねそのようだ。各紙の報道と論調も異口同音だ。

 キーワードがいくつかある。「民主主義へのテロ」「暴力団」「市長」などだ。民主主義へのテロは暴力をもってしても殲滅しなければならない。これはアメリカが「テロ支援国家」のアフガンやイラクを攻撃した論理だ。声高な正義が幅を利かせる社会は、寛容さとは縁遠い。

 暴力団は撲滅すべきだ。スローガンとしては間違っていないかもしれない。だが、ヤクザの犯行については罪を5割り増しにする、などという論理が妥当なのかどうか。法の下の平等の精神に反することは自明だろう。

 市長が選挙中に撃たれた。確かに大変なことだ。だが、無職の青年がパチンコ店で襲われたのと本質的な違いを見出すことは困難だ。本件は政治テロなどという「勲章」を付けられる事件とは思えないからだ。

 テロを容認する気は毛頭ないが、テロリズムは政治的意思の発露であるはずだ。こんな事件までテロに仕立て上げてはいけない。

 裁判員制度に与える影響は深刻だろう。それでなくても一般市民は報復感情や被害者感情に流されることが懸念されている。厳罰化の流れがますます急になる。司法制度の行く末が案じられる。
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