酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

中国大地震

2008-05-13 05:06:27 | Weblog
 中国四川省のチベット自治区付近を震源とする大地震による犠牲者は、13日未明時点で約9000人を数える。情報はまだ輻輳しており、犠牲者数はさらに大幅に増える恐れがある。

 北京五輪イヤーである。経済大発展を基盤とする国威発揚を高々と歌い上げる年だったはずだ。それがどうだろう。春節には大雪に見舞われ大混乱、チベットでは暴動が起き、その後の聖火リレーは散々だった。そこへ持ってきての大地震である。胡錦濤主席も青ざめているに違いない。

 二月の豪雪時に続き、今回も温家宝首相を現地に急派した。中国当局が事態を極めて深刻に受け止めている証左であろう。

 震源地はかなりナーバスな地域らしい。アバ・チベット族チャン族自治州ブン川県は成都から北西に約150キロ、人口は約12万人で少数民族チャン族が約35000人、チベット族が2万人前後といわれる。

 3月のチベット暴動以降、チベット自治区をはじめ周辺の甘粛省、青海省、四川省などチベット族や少数民族が暮らす地域では、自治権の拡大などを求めるデモが頻発していた。今回の地震の被災地とほぼ重なる地域である。

 少数民族は住宅環境は劣っており、被災の確率は高いと推定できる。この処理をもたつけば一段と反漢族意識や反政府感情が高まる恐れがある。中国指導部が一番恐れている事態だろう。

 今中国は、聖火リレーの話題で持ちきりらしい。この地震で五輪ムードは冷や水を掛けられた。指導部がどのような舵取りをするのか。まず、被災者救援に総力を挙げるのは間違いあるまい。その上で「この難局を乗り越えて偉大な中国人魂を示そう」というキャンペーンに移るのではないか。

 胡錦濤は国内の一部にあった自重論を振り切って日本を訪れた。その直後の大災害である。被災者の不満を押さえ込む素早い救出、救援活動ができるかどうか。処理を誤れば、胡・温体制は一気に弱体化する可能性も否定できない。

 一方で五輪施設の総仕上げやチベット問題の進展という懸案もある。もっとも、チベット・ダライ派との対話はこの事態によって小休止とならざるを得まい。世界の目が地震に向けられるのも好都合かもしれない。

 地震の処理が一段落する時点になると、今後の中国の針路がおぼろげながら浮かび上がってきそうだ。

 

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ロシア軍事パレード復活

2008-05-09 23:01:05 | Weblog
 18年ぶりですか。美しくも雄々しい姿がまた復活しましたね。メドベージェフ君、おめでとう。

 こんなメッセージを寄せるのは旧ソ連邦内の退役軍人ぐらいのものだろう。ガンダムの新製品を見せびらかすような軍事パレードを復活させて喜んでいるメド君とプーチンの気が知れない。いまどきこんなことをやるのは、金正日の国と○○と指を数えるほどしかない。

 トーポリ(ポプラ)というやさしい名前を持つ移動式大陸間弾道弾をはじめ、戦略爆撃機Tu160や新型戦車を繰り出して「強大国ロシア」を演じてみせる必要がどこにあるのか。軍部に溜まっているストレスを解消するためのデモンストレーションとしか思えない。
 
 地方や都市部の低所得者層に向けてのアピールかもしれない。こういう立派な軍を保つためには金がかかる。しばしのご猶予を。皆さんのところにもそのうち回っていきます。といういいわけだ。

 テレビで見る赤の広場はけっこう広そうだが、中国の天安門前広場の何分の一かでしかない。長い辺が500メートル弱、短い辺は150メートルといったところか。

 ロシア軍はレーニン廟の歩哨が、帽子を斜めにかぶり、あくびをしているような軍隊だ。一線の部隊では、新兵いじめが横行し社会問題になっている。士気の高さ(低さ)は、アメリカ軍に劣るとも勝らない。

 それやこれやでの軍事パレード復活だろう。こうした見栄っ張りは、ろくな結果をもたらさない。まず、反応するのはアメリカの軍需産業だろう。「多弾頭型のトーポリに対抗するにはいまのMDではだめだ」とか何とか言って、新兵器の開発を促す。ホワイトハウスはそれにほいほいと乗る。

 それを受けてロシアはまた…。無限連鎖軌道である。

 アメリカはドル下落の損失を原油価格の吊り上げでカバーしたがっているように見える。おかげでロシアはますます金が貯まる。こちらの循環も止まらない。原油価格が下落しないうちは、ロシアはアメリカの軍拡についていける。

 こういうくだらない競争は、地球外でやってほしいね。
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北京五輪 野球日本代表を選ぶ

2008-05-06 20:36:36 | Weblog
 連休もきょうでお仕舞い。外は暑いし、車はカネが掛かる、というわけでビデオと読書の日々を過ごしそれなりに納得の4日間だった。

 プロ野球を敬遠していたテレビが、GWの手抜き対策かいくつかの試合を中継していた。中で気になったのがNHKの解説に出てきた五輪代表監督の星野仙一氏のコメント「けが人が多くて選ぶのが大変」だ。確かにそうだ。有力候補ながら調子の上がらない選手も多い。星野君も頭の痛いところだろう。

 五輪まで後95日ほど。そろそろ顔触れを決めないと選手のモチベーションや覚悟にも響く。そこで、星野君に成り代わって独善的に選んでみた。現在の調子と実績を加味し、さらにアジア予選のデータも踏まえた(つもり)。結果としてパ・リーグ中心になった。リーグの活気から考えても妥当なところだと自賛ておこう。

 [投手]
 アジア予選同様先発陣はパ勢が並ぶ。ダルビッシュ(日ハム)と岩隈(楽天)は欠かせない。成瀬(ロッテ)と田中将大(楽天)、渡辺俊介(ロッテ)も入れたい。セからは吉見(中日)と石川(ヤクルト)。安藤(阪神)は中継ぎ、岩瀬(中日)と藤川(阪神)に抑えを託す。

 [捕手]
 調子は悪いが阿部(巨人)の潜在力を買う。里崎に代えて橋本(ロッテ)。ベテラン谷繁(中日)も面白い。

 [内野]
 一塁or代打候補に松中(ソフトバンク)と新井(阪神)、川崎(ソフトバンク)・西岡(ロッテ)に二遊間を任せたい。打撃好調の宮本(ヤクルト)はコーチも兼ねて控えに。三塁は一発のある村田(横浜)か。

 [外野]
 ベストメンバーは皆アメリカにいる。困ったものだ。機動力野球という面から青木(ヤクルト)は外せない。ファイター森本(日ハム)、シュアな打撃の稲葉(日ハム)が両翼を固める。万能の森野(中日)は内野にも。

 このメンバーでオーダーを組むと次のようになる。
⑧青木
⑥西岡
⑨稲葉
③新井
⑤村田
②阿部
⑦森本

④川崎

 割合地味なメンバーだが、まとまりは良さそうだ。五輪本番は派手な打ち合いより守り合いになる公算が高い。プロならシンに当たれば誰でも一発は期待できる。大物打ちがいないと悲観するほどでもあるまい。

 問題は上原(巨人)の取捨である。3回ぐらいまではいい投球をしていた。最後の1回だけなら藤川より信頼度は高い。連れて行く価値はあると思うが…。

 投手でアタマ限定はダル、岩隈、マー君。相手によっては左の成瀬。これだけで十分だろう。後はとっかえひっかえすればいい。

 打線の核は新井だ。ホームランこそ少ないが打点は稼いでいる。勝負強さに期待しよう。

 星野君がどういう選択をするか。半分以上はこのメンバーから選ばれるだろうと確信しているが、さて、
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「魔法の水着」に群がる愚

2008-05-05 15:31:23 | Weblog

 北京五輪まで後100日を切った。代表に選ばれたアスリートたちにとっては、これからの3カ月でどこまで調子を上げられるかがポイントになる。

 日本がメダルを狙える数少ない競技である競泳で、おかしな動きが始まっている。世界記録を連発しているスピード社製水着着用問題である。

 日本選手が着用する水着は、以前はミズノ、アシックス、デサントが順番に指名されていたが、数大会前から3社製ならどこを選んでもいい方式に変わった。

 アイテムのプール制自体を問題視する論議もある。ただ、オフィシャルサプライヤー契約は競技団体の貴重な収入源であり、各国とも自国のメーカーを優先する図式に変わりはない。

 
 スピード社は近年までミズノと提携関係にあり、日本代表も五輪で着ることができた。この提携が解消されたことが騒動の発端である。「スピードを着ないと勝てない」。選手に疑心暗鬼が広がっている。NTCでの合宿でスピードの水着をテストしたところ、軒並み100㍍で0・7秒ほどタイムが伸びたという。

 アスリートになればなるほど用具にはこだわる。自分の力を最も発揮できるアイテムを選ぶのは当然である。

 かつて、カール・ルイスは「10秒間もてばいい。とにかく軽いスパイクを作ってくれ」とミズノに特注品を開発させた。強い選手がいい用具を使用する。不公平なようだが、選手の特権でもある。悔しかったら強くなれということだ。

 水着やジャンプのスーツをスパイクと同列に扱うわけにはいかない。浮力や抵抗に大きな影響を与えるからだ。科学的なテストを行い、異様に記録が出やすい機能や構造だったら規制すべきだ。用具の進化を否定する気はないが、マンパワーの補助具であるべきだ。

 日本選手にもスピード社製を認めるべきだとの声が高まっている。選手のメンタル面を考えれば、分からなくもない。一ついえることは、五輪は選手が主役だということだ。アイテムに焦点が当たるのでは選手がかわいそうだ。強い選手が勝つ五輪でありたい。
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こどもの日が泣いている

2008-05-04 16:33:35 | Weblog
 あす5日は60回目のこどもの日である。

 過去26年間、15歳未満の子供人口は減り続けている。今年の推計でも減れば27年連続となる。1954年には子供人口は3000万人近かった。昨年の数字は1736万人である。ピークと比べると半減と言っていいほどだ。

 さまざまな少子化対策が講じられているが、若い人たちの琴線に響くようなものは見当たらない。児童手当を増額したり、保育環境を整えたりといったことで解決するほどたやすくはなさそうだ。

 何より、この国の将来が見通せないのが大きい。年金や医療問題もある。競争が激化し、子供たちがぎすぎすしている。そんな坩堝に子供を放り込みたくない。そういう心理もあるだろう。

 低賃金で若い人たちを使い捨てにしているツケが回ってきた。

 高齢者は年金と医療でいじめられる。子どもは教育競争の中で神経をすり減らす。政治が光を当てるべき子どもとお年寄りが、こんな状況におかれているということは、ろくな政治が行われていないということだ。

 改定学習指導要領では授業時数を増やすという。

 日本の学校は圧倒的に長期休暇が少ない。そのうえ平日の授業時間を増やせば、どんなことになるのだろう。学力は詰め込んで身に付くものではない。やる気がなければいくら時間をかけても無駄だ。

 子どもの興味を引き出す、好奇心に訴える。教師の資質が問われているが、多くの教員は疲れていてそれどころではない。小学校の教師の中には「英語なんか教えられない。辞めようかな」といっている人が少なくない。

 子どもの仕事は遊ぶことだ。遊びの中でさまざまなことを学ぶ。体を使って戸外で遊ぶ。がきのわめき声が響く街を取り戻さないと、街自体が窒息してしまう。

 東京都の子供人口のシェアは11・5%で全国最低だ。一見活気を呈しているかに見える東京だが、実はもう死んでいるのだ。子供のいない国に未来はない。

 今年もこどもの日が泣いている。

 
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ガソリン税より原油高が大問題だ

2008-05-03 06:28:18 | Weblog
 5月から揮発油税の暫定税率1㍑当たり25・1円が復活し、ガソリンの価格が一気に上がった。この間、WTIの原油価格は1バレル6ドルも上昇している。

 GSによっては暫定税率の掛っていないガソリンを在庫しているため、全国平均価格の上昇は見かけ上抑えられているが、連休明けごろには1㍑160円の水準に達するかもしれない。

 暫定税率論議は自民党に分がない。34年も前に道路財源が足りないため2年間の期限付きでガソリン税をほぼ倍にしたのをいまだに引きずっているからだ。

 道路財源としての暫定税率は廃止し、環境を中心とした税に切り替える。いま本則1㍑28円、暫定上乗せ分25円で、計53円強になっている税を70円前後に引き揚げる。この税率はEU並の水準である。

 前置きが長くなった。

 ガソリン価格で問題なのは、原油価格の天井知らずの暴騰である。WTI価格は120ドルをうかがい、年内には200ドルを突破するとの予測さえある。

 5年前、2003年は31ドル前後で推移していた。その前年は25ドル近辺である。5年で4倍に跳ね上がったことになる。200ドルなら6倍だ。狂気の沙汰の価格というべきだろう。20兆円足らずの市場規模のWTIが世界の経済を振り回しているのはどう考えても異常である。

 世界経済は停滞か後退局面にある。気候は引き続き温暖化傾向を示す。常識的には原油は下落圧力が強まるはずである。だが、その気配は全くない。中国やインドをはじめとする新興工業国の需要圧力上昇と、供給力の先細りを見込んでいるためだろう。

 1バレル200ドルなら日本経済は奈落の底だ。原油市場に流れ込んでいる投機資金を何とかしないと、世界恐慌が現実になる。油もない、食料もない。危機が迫っているのに、日本の政治は、「政治ごっこ」に夢中だ。これでは救われない。

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バター不足にみるノー政の惨状

2008-05-02 06:41:23 | Weblog
 昨年末からケーキ業界などで品薄になっていたバターが、3月末からスーパーの店頭からも姿を消し始めている。

 慌てた政府は雪印や森永など大手4社に緊急の在庫放出などを求める一方、約210トン分の緊急輸入措置も決めた。

 場当たり的、泥縄式の見本だ。

 そもそも生乳の生産はここ数年だぶついており、一昨年などは生産者が牛乳を廃棄する映像がテレビにでも紹介された。

 2000年の雪印問題や近年のダイエットブームから来る乳製品敬遠傾向で、2、3年前から酪農団体は減産体制を敷いていた。その反動がここに来て現れた、というのが一般的な解説である。

 あたらずといえども遠からずといったところか。

 この問題は即効性の解決策がなく、当分バターの品薄状態は続くと見なければならない。ケーキなどの洋菓子類が高騰するのは避けられまい。

 最大のネックは生乳の増産が利かないことである。雌牛が生まれてから乳が出るようになるまで2年はかかる。今年牛を増やしたとしても、実際に乳が出るのは2年後だ。この急場に間に合わないことは明白だ。

 それに、今回の乳製品不足には構造的な問題もある。例のバイオ燃料穀物増産による飼料の高騰が酪農農家を直撃しているのだ。廃業する人が続出しているという。2月には危機突破大会が開かれたほどだ。

 政府がいくら大手やメーカーや商社の尻を叩いたところで、農家が動かなければ何の力にもならない。この飼料高の状況で農家が牛を増やす気になるには、全量買い上げや所得保障などの担保が付くことが必須条件だろう。

 穀物不足の実像をきちんと把握して対処しなければならない。減反に次ぐ減反を重ねている米が、同じ道を歩まない保障はない。放棄され、荒廃した農地を元に戻すには乳牛導入以上の時間がかかる。

 今のうちに農地確保策を確立することが肝要だが、目先しか見えない今の政府では無理だ。米不足になる前に、狭い農地を手に入れて自給策を講じるのも一法だ。

 
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新聞の品格

2008-05-01 04:57:00 | Weblog
 本来、新聞をはじめとするメディアに品格など求める筋合いではないのかもしれない。基本は野次馬精神であり、そこから「もっと知りたい」が生まれ、「真相は何か」にたどり着く。

 新聞に今求められているのは品格など忘れて、硬直化した社会にぶつかっていくことだろう。

 ここで考えてみたいのは、もっと卑近な品格(?)、つまり紙面の体裁である。

 毎日が先行し、読売と朝日が火をつけて「文字拡大ごっこ」が始まった。小さい活字を使っているのは、一人勝ちとも言われる日経だけである。

 大手紙も地方紙も読みにくい。紙面から流動性が失われたせいだろう。朝日は完全なブロック編集に切り替えた。同じブロックに違う種類の短い記事を交ぜて平然としている。

 文字を大きくするのは視力が衰えだした高齢者のためだ。各紙が一斉に文字を大きくしたということは、それだけ新聞の高齢者依存が進んでいるということだろう。年金や医療保険「改正」に絡んだ論調が、政府に厳しいのは当然だ。

 だが、新聞の読者に老人が多いのは昔からの話だ。文字を大きくして情報量を減らす。記事の味わいが薄れ、言葉の省略がいっそう乱暴になった。「正しい日本語」が泣いている。
 
 若者向けの記事はと見ると、芸能だのスポーツだのと相変わらずだ。サブカルチャーにはいまも冷淡である。読んでくれない相手に媚びることもないが、読んでもらおうという気がないのはどうも…。

 それよりもひどいと思うのは、各面の記事の中に広告が埋め込まれているのが目立つことだ。2、3㌢四方の小さなものから、結構ごつい広告までにぎやかだ。

 紙面は記事と広告で構成されているわけだから、広告があるのは当たり前だ。しかし、記事の中に割り込んでくるスタイルは、いかがなものか。

 民放の報道番組が深刻なテーマを解説している最中に、ぶった切ってオチャラケたCFを流すようなものだ。そこでテーマは「よそ事」に切り替わり、視聴者は単なる傍観者になる。新聞の場合はやや違うが、記事に広告を挟むとは基本的にそういうことだろう。

 F1ドライバーのレーシングスーツにはやたらスポンサーのロゴが目立つ。あちこちに広告を貼り付けているきょう日の新聞と似ている。各地の野球独立リーグのユニホームもそんな格好だ。チーム名を捜すのが難しいほどだ。

 これも、まだいい。目に余るのが独りよがりの主張の押し付けだ。読売と朝日が提言合戦をしている。読売に至っては自社の主張に対する評価まで記事化して喜んでいる。

 主張はあって当然だ。だがメディアが提言するにはそれなりの尺度と見識が求められる。手前勝手な理屈を並べ立てて、力みかえるのでは現実の政治とかみ合わない。メディアは世論のアンテナだが、先走りの提灯ではあるまい。

 このままではまた、「ハメルーンの笛吹き新聞」になってしまうぞ。
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