酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

新聞の品格

2008-06-24 05:21:52 | Weblog
 人品骨柄を誇るとは言い難い。したがって「品格本」など読んだこともない。大体、品格の大切さを主張される方の品格がよく分からない。品格の定義も不明確だ。

 などと書きながら、新聞に品がなくなったと嘆く。いささか矛盾するようだが、そんなことはない。新聞の品格は紙面に明瞭に現れる。記事・評論の内容、広告の中身、広告の占有率、などなど…。

 以前も書いたが、各紙とも自社の主催行事や関連記事を掲載するのにためらいがなくなった。あからさまに自分の宣伝をするのは品がない。というより、もっとほかのニュースに席を譲るべきである。紙面の私物化は読者の顰蹙を買うだけだ。

 広告の貼り付け方にも節度がなくなった。1面のコラムを広告で挟むなど、以前では考えられないことだ。この位置は高く売れる、そう考えて紙面を切る売りする。記事中広告もサイズが大きくなり、邪魔になって仕方がない。

 やたら広告が目立つ新聞を見ていると、F1レーサーのレーシングスーツを連想してしまう。走る広告塔。まあ、新聞社を支える2本柱の一本は広告なのだから、むしろ自然に帰ったと言うべきか。

 広告の中身も品がない。某日の朝日を例にとる。

 5面は通販の一面広告である。腰痛コルセット、呼吸器、ひざ補正サポーター。ちゃんと効くんでしょうね。

 10面は「中性脂肪に○○」。これも通販。12面も同じく通販の一面広告だ。25面には「ぞうすいダイエット」、28面はカラーで「美肌づくり」特定健康食品。いずれも一面全部が通販の広告だ。

 効能や副作用などの確認はできているのだろうか。

 かと思えば、23面には5段広告で「愛する自信と二人の幸せが一緒に戻ってきました」のキャッチフレーズで元気の出る薬の宣伝。「私より家内の方が驚いています」などいう利用者の声まで付いている。何の薬なのかなあ。

 以上は表面に現れた立派な品格の一例だ。深刻なのは、実は広告ではない。社論である。主要紙が大事なときに沈黙しているのが目立つ。意見のない新聞に品格があるとは思えない。

 例1 連続少女誘拐事件の宮崎勤に死刑が執行されたとき、大手各紙はニュースで報じただけだ。そんなに軽い話なのか。朝日は夕刊素粒子にこう書いた。

 《「永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を貼り、2カ月間隔でゴーサインを出して、新記録達成。またの名、死に神》

 これでおしまいである。こんな短文で斬ってみせました、とい言いたいのだろうが品がない。筆力も足りない。何より、死刑執行から学ぼうとする姿勢がない。

 例2 グリーンピースの2人が鯨肉窃盗容疑で逮捕された。読売が「正義に名を借りた違法行為」の趣旨で論じた以外は、沈黙を決め込んでいる。以前にも書いたが当ブログは読売とは見解を異にする。だが、読売がこの問題を素通りせずに書いたセンスは素直に評価したい。

 強制捜査の目的がサミット警備の情報収集にあることはもはや間違いない。警視庁公安部が仕切っているのが何よりの証拠だ。鯨肉の宅配自体にも問題がある。朝日は特ダネでスタートしたはずなのに、すっかり腰が引けている。

 新聞の品格は一度報じたことを丁寧にフォローする点にある。マッチポンプは最悪である。
コメント
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