酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

秋葉原通り魔事件 その2

2008-06-10 04:58:14 | Weblog
 トラックで秋葉原のホコ天に突っ込み、誰構わずにナイフを突き立てた男のプロフィルがおぼろげながら浮かんできた。

 中学や高校の同級生、職場の同僚たちが語っている容疑者像はおそらくその通りなのだろう。でも、決定的な輪郭を描くには足りない。メールの中の独白に真実があるのかもしれない。例えばこのあたり。

 

 午前6時00分 俺(おれ)が騙(だま)されてるんじゃない 俺が騙してるのか

 午前6時02分 いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される

 午前6時03分 大人には評判の良い子だった 大人には

 午前6時03分 友達は、できないよね

 午前6時04分 ほんの数人、こんな俺に長いことつきあってくれてた奴(やつ) らがいる

 午前6時05分 全員一斉送信でメールをくれる そのメンバーの中にまだ入って いることが、少し嬉(うれ)しかった

 

 評判のいい子を演じるのに疲れたという。だが、彼は評判のいい子ではなくなっていた。一人でコンビに弁当を食べ、酒をあおる。仕事はつまらない。何でこんなことになったのか。日々絶望感にさいなまれていたのだろう。

 8日当日、彼は午前5時21分の「秋葉原で人を殺します」に始まり、午後0時10分に「時間です」と告げるメールをこまめに打っていた。

 気持ちを揺るがせないように、あるいは気持ちを高めるために打ち続けたとも考えられる。しかし、「このまま放っておくと、本当にやっちゃうよ。誰か止めてくれよ」という悲鳴にも聞こえる。

 もう一つ気になるフレーズは「頭が痛い」だ。あれだけ暴れたのに拳銃を向けられたらおとなしくなった。つき物が落ちた感じだ。「途中で捕まるのが一番しょぼい」と書き込んでいたのに。何人か殺したからもういいということだったのか。

 何かの衝動が彼を突き動かしていたのは間違いないだろう。

 彼の生育暦や現在の雇用環境などに焦点が当たっていくことになるだろう。もちろん社会的背景を抉り出すことは重要だ。

 同時に脳科学的アプローチが欠かせまい。責任能力との兼ね合いになるので、警察や検察は精神科医による鑑定にとどめるケースが大半だ。動機の一端につながることはあっても、引き金が何だったかには分からずじまいになってしまうのはそのためだ。

 池田小事件の故人は、事件の真相や彼の頭の中を世間に知らせることなく、あっさりと死刑になってしまった。こうした特異な犯罪を犯した人を徹底分析する態度が欠けていないか。

 
コメント
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