酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

宮崎勤、死刑執行

2008-06-19 04:14:55 | Weblog
 幼女連続誘拐殺人事件で死刑が確定していた宮崎勤の刑が執行された。事件から20年ぶり、判決が確定してからは2年5カ月である。

 刑事訴訟法の専門家や実務家らは刑訴法の「確定から6カ月以内に死刑を執行する」という条文を根拠に、このタイミングでの死刑執行を是とする。

  一方、心理学者や文化人などの中には「秋葉原の事件にショックを受けた鳩山が、抑止効果を狙って下した政治的な命令だ」「何も解明されていないのに執行するのは早すぎる」などの声が上がっている。一般市民は「あれだけ世間を不安に陥れたのだから当然だ」という反応が大勢のようだ。

 宮崎事件は、その後に起きてくる若者の不可解かつ凶悪な事件の特質の多くを内包していると思われる。オタク、ゲーム好き、引きこもりがち、劇場型、異常な自己顕示欲、家庭内暴力…などなどである。

 猟奇的な事件の異様さに目を奪われ、宮崎の行動の核心にまで迫れなかったのではないか。もちろん、本人が公判廷などで白日夢のような訳の分からないことを繰り返した責任は大である。とても事件とまともに向き合っていたとはいえない。精神的欠陥を演出するためだったのか、それとも本当に「ネズミ男」の幻覚でもみたのか。

 いずれにせよ宮崎は贖罪意識はもとより、人を殺したという感覚もないまま絞首刑になってしまったのではないか。罪人が罪の意識を持たないまま罰せられる。これでは罰にならない。因果応報の観点から見ても、何も感じないまま死なれたのでは被害者感情を納得させることにはならないだろう。

 池田小児童殺傷事件の宅間にしても同じことだ。彼は死刑願望を持っていた。こういう人物を確定から間をおかずに死刑にしてしまうことが、刑事政策として妥当なのかどうか。「誰でもいいから人を殺してみたかった」「複数の人間を殺せば死刑になれると思った」。荒川沖駅殺傷事件の被疑者ら多くの若者がそう言って無差別殺人に走った。

 鳩山法相がいくら力もうが、死刑はこうした若者らの犯罪抑止力にはならない。殺人や犯罪がゲームになってしまった社会はかくも無力である。

 日本だけの特殊な現象ではない。アメリカの銃乱射も根は一緒だ。腐乱し始めた成熟社会に、新鮮な風を吹き込むのは容易ではない。個の爆発を押しとどめるには怒りをまとめる大きな力が必要だ。その知恵と人材があるのかどうか。
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