東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

豊坂(目白駅近く)

2012年03月19日 | 坂道

豊坂下 豊坂下 豊坂下 豊坂中腹 目白駅近くの山手線わき西側の道を北へ進み、突き当たり(目白駅への細い道があるが)を左折し、さらにすぐ左折すると、一枚目の写真のような小路がある。ここが豊坂の坂下である。南へ上る小坂で、勾配は中程度といったところ。

細い坂道で、裏通りのような好ましい雰囲気であるが、駅近のため通行人が思いのほかたくさん通る。下一枚目の写真のように、坂下の向こうに目白駅ホームが見える。

坂下は、前回の記事の山手線わき西側の道の坂上と同じレベルで、坂上は、目白通りの通る目白台地と同じ標高と思われる。目白台地のちょっと下にできた谷と台地を結ぶ坂である。

標識はないが、豊島区のホームページに次の簡単な説明がある。

「豊坂
 目白駅から左手に階段があり、さらに真っ直ぐ進むと、目白稲荷神社があります。神社に面した坂道です。」

豊坂中腹 豊坂上 豊坂神社 尾張屋板江戸切絵図(雑司ヶ谷音羽絵図) 上四枚目、二枚目の写真のように、目白豊坂稲荷神社と記した表示板が坂上の神社のブロック塀に張り付けてある。これが坂の標識代わりになっている。三枚目は神社正面を坂から撮ったものである。

この神社は、「猫のあしあと」というホームページに次のように紹介されている。

「豊坂稲荷神社の創建年代は不詳です。現学習院構内から当地へ遷座、当地は豊坂に面していることから豊坂稲荷神社と呼ばれています。」

四枚目の尾張屋板江戸切絵図(雑司ヶ谷音羽絵図(安政四年(1857))の部分図は、その左端あたりが現在の目白駅近辺であるが、この坂に相当するような道はないようである。近江屋板も同じである。これらの江戸切絵図に稲荷神社が見えるが、これが学習院構内にあったものなのであろうか。

いつもの明治地図や戦前の昭和地図を見ると、ちょうどこのあたりから西側は、掲載範囲外でのっていない。そこで、昭和十六年(1941)の淀橋区の地図を見ると、目白駅の西北にこの坂があり、神社マークもある。昭和31年の23区地図も同じである。戦前にはできていたが、いつ開かれたものかちょっと不明で、坂名の由来もわからない。

豊坂上 豊坂上 豊坂上 豊坂上 この坂は、二、三枚目の写真のように、神社前の先で右に曲がり、続いて左に曲がると、四枚目のように、平坦な目白台地でまっすぐに南へ延びている。

この坂は、いつもの坂の参考本(横関、石川、岡崎、山野)のいずれにものっていないが、「東京23区の坂道」にはちゃんと紹介されている。

ところで、目白通りをここから東へ進み、日本女子大学の東端の交差点を右折し、南へ向かうと、神田川方面に下る坂があるが、ここも豊坂という。こちらの方が有名で、横関などにも紹介されており、みごとなクランク状の坂道である。以前、この豊坂など目白台あたりの坂巡りの記事を書いたとき、上記の豊島区のホームページで目白駅近くに別の豊坂があることを知った。それ以来、訪れてみたいと思っていた坂である。
(続く)

参考文献
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
「昭和十六年大東京三十五区内淀橋区詳細図」
(人文社)

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