東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

久七坂

2012年03月28日 | 坂道

下落合野鳥の森公園 野鳥の森公園北側の坂 久七坂上 久七坂上 前回の七曲坂下を右折し、西へ向かうと、野鳥の森公園の案内が見えてくるので、右折し、ちょっと進むと、一枚目の写真のように、下落合野鳥の森公園の入り口がある。中に入り、池の周りを歩き、上側から出ると、その先に、二枚目のように、かなりの勾配のある無名の坂がある。ちょうどこのあたりはおとめ山の方から延びている落合崖線の一部である。

坂上を左折し、右折したりして、薬王院の周囲を歩き、その南西の端から西へ進み、突き当たりを左折すると、三枚目のように、久七坂の坂上である。坂上はまだ緩やかであるが、中腹はかなりの勾配がある。四枚目は、ちょっと下ったところから坂上(北側)を撮ったものである。

坂下に立っている標柱には、次の説明がある。

「久七(きゅうしち)坂
『豊多摩郡誌』には、もとは田んぼへ行き来するための道で、急な坂であったと記されている。
 坂名はゆかりのある村人の名にちなむものであろう。」

『豊多摩郡史』には「久七坂 村道元耕作道 字本村に属す、急坂なり」とある。

前回の七曲坂と違って、資料が少なく、坂名の由来などもはっきりしない。石川でも引用文献が上記の『豊多摩郡史』で、これは大正五年(1916)刊行であり、明治およびそれ以前の資料はほとんどないようである。これは、この坂がもっぱら農道としてだけ利用されてきたからかもしれない。しかし、それはそれで歴史があったと思われるのであるが。

久七坂上側 久七坂上側 久七坂中腹 久七坂中腹 坂を下ると、一~四枚目の写真のように、かなり急になるとともに、やや左に緩くカーブしている。さらに下ると、三枚目、下一枚目のように、右にかなり曲がる。このあたりまでがもっとも勾配がきつい。

中村によれば、この坂の傾斜角は12°で、前回の七曲坂は5°である。東京23区でもっとも急とされるのぞき坂が15.5°であり、これからもかなりの勾配であることがわかる。坂上の台地と坂下の田圃や畑との間を往復するため最短距離にまっすぐに坂をつくったのであろうか。落合崖線にできた急坂である。

明治四十四年(1911)の豊多摩郡落合村の地図を見ると、薬王院の西側にこの坂道があり、ちょっとうねりながら北へ上っている。昭和十六年(1941)の淀橋区の地図もほぼ同じである。現在の道筋とほぼ同じと思われる。

久七坂下側 久七坂下側 久七坂下 久七坂下 一枚目の写真の大きなカーブを曲がると、次第に緩やかになって、ほぼまっすぐに南へと下っている。

坂下を直進すると、新目白通りで、横断し、妙正寺川にかかる落合橋を渡ると、西武新宿線の下落合駅がある。その南側に神田川が流れている。

石川に『新宿区史』にある次の古老談が紹介されている。

「中井の辺から落合の台地を流れる妙正寺川の周辺は一面の田だったし、少し高くなった所は畑、他は山だ、山といっても柴などの雑木が大部分で薪を拾っていた。」

明治の頃の話であろうか。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「東京市十五区・近傍34町村㉕北豊島郡長崎村・豊多摩郡落合村全図」(人文社)
「昭和十六年大東京三十五区内淀橋区詳細図」(人文社)
中村雅夫「東京の坂」(晶文社)

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