東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

のぞき坂~目白駅近く

2012年03月16日 | 坂道

今回は、雑司が谷駅近くののぞき坂から西へ向かい、おとめ山公園に行き、その西側の落合にある坂を巡った。途中、目白駅近くの豊坂を初めて訪れた。

のぞき坂上 のぞき坂上 のぞき坂中腹 のぞき坂中腹 午後副都心線雑司が谷駅下車。

3番出口から出ると、眼の前が目白通りで、ここを横断し、そのまま南に入る道に向かうと、一枚目の写真のように、のぞき坂の坂上である。二枚目の写真は、坂上から坂下を撮ったものである。坂上からのぞき込むほど急な坂ということからついた名と思われる。崖をそのまままっすぐな坂道にしたような感じである。別名が、胸突坂、眼鏡坂(中村)。前者は、上りのとき胸が地面に突くほど急であることに由来するが、後者の謂われは不明である。

東京23区でもっとも急な坂であろう(ただし、石段坂以外で)。いつ見てもみごとな傾斜である。スキー場のジャンプ台のようにも見えてくる。ここは何度かきて、以前に記事にしたが、そのときは、ここから東へ向かった。

三枚目、下一枚目は、中腹から坂上を撮ったものであるが、見上げる感じで、坂上に青空がわずかに見え、山頂を見ているようでおもしろい。中腹から坂下を見ても四枚目のように、かなりの勾配である。ことしも何回か雪が降ったが、雪で斜面が凍ったときには上り下りは大変であろうと思う。

のぞき坂中腹 のぞき坂下 尾張屋板江戸切絵図(雑司ヶ谷音羽絵図) 明治通り 二枚目のように、坂下から見上げると、全体がよくわかる。目白台地と神田川(江戸川)流域に広がる谷底との高低差が一目瞭然である。

三枚目は、尾張屋板江戸切絵図(雑司ヶ谷音羽絵図(安政四年(1857))の部分図であるが、この坂の東にある宿坂が見える。坂下に金乗院がある道である。そのさらに東にヒナシサカ(日無坂)が見える。この宿坂の西に道があるが、これがのぞき坂に対応する道かどうか不明である。

近江屋板も同じであるが、この方がまっすぐに下っているので、いまと似ているようにもみえる。いずれにしても、江戸切絵図に見える江戸末期にあった道は、急で誰でもが通ることのできる坂道ではなかったように想像される。

坂下をちょっと進み、左手に高南小学校があるところを右折し、都電荒川線の線路を横断し、明治通りにかかる歩道橋で反対側に渡る。その近くの歩道から明治通り(北側)を撮ったのが四枚目の写真である。上り坂になっているが、かなり下側から上りになっているので、のぞき坂のような勾配はない。

学習院下通り 学習院下通り 目白駅近く 目白駅近く 明治通りから西側に向かう道に入る。学習院下通りというらしいが、現代地図を見ると、かなりうねって西へと延びている。一、二枚目の写真は、その途中で撮ったものである。ここは、坂下の谷沿いにできた道で、北側が学習院大学であるが、構内には北の目白台地に向かって上る坂(南へ下る坂)があると思われる。

やがて山手線のガード下に至るが、ここをくぐり、右折すると、三枚目のように、上り坂となっていて、右上に山手線が通っている。先ほどと同じく目白台地への坂である。四枚目は坂上近くで、右手が目白駅のホームである。
(続く)

参考文献
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
中村雅夫「東京の坂」(晶文社)

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