先々月、用事があって関西に出かけたが、その帰りに京都によってちょっと街を歩いた。いわゆる観光名所だけを巡るのも味気ないなどと思いながらガイド本や地図をめくっていると、坂を見つけたので、京都の坂巡りとなった。ブログ趣旨から外れるが、めったに行かないので、坂巡りの番外編として記事にする。
まず、西本願寺と東本願寺が駅から比較的近いので行ってみた。二枚目の写真のように、西本願寺に向かう途中、狭くまっすぐな通りを歩いたが、街並みが古く、いかにも京都らしい雰囲気を醸し出していると思った。駅に近いところにこういった通りがあるのは驚きであり、歴史を感じる。東京には、こういった街並みはたぶん残っていないと思われる。
ところで、本願寺といえば、開祖が親鸞であるが、なぜ東西にわかれているのか、かねてから疑問に思っていた。おそらく過去の一時期の主導権争いかなにかの末そんなことになったのだろう程度の認識であった。ちょっと調べると、江戸初期の慶長7年(1602)、後継者をめぐる内紛から分裂して、東西両本願寺ができ、それ以来、西は「本願寺派」、東は「大谷派」と俗称されているとのことである。詳しいことはわからないが、やはり人をめぐる争いで、教義をめぐる争いではないらしい。
東本願寺から東へ向かい、しばらく歩くと、五条通の南側であるが、一、二枚目の写真のように、高瀬川が流れている。きれいな水で、川底が浅いためもあるが、底まではっきり見える。この東側に流れている鴨川よりも高いところを流れており、後述のように、開削された堀である。森鷗外の短篇小説「高瀬舟」の背景で、次は、その冒頭である。
「高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごひ)をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた默許であつた。」
「さう云ふ罪人を載せて、入相(いりあひ)の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。」
むかしは、加茂川(鴨川)を東へ横切ったらしいが、現在は、十条通の上流で鴨川に合流している。
鷗外は高瀬川について「附高瀬舟縁起」で次のように記している。
「京都の高瀬川は、五条から南は天正十五年に、二条から五条までは慶長十七年に、角倉了以が掘ったものださうである。そこを通ふ舟は曳舟である。原来たかせは舟の名で、其舟の通ふ川を高瀬川と云ふのだから、同名の川は諸国にある。」
天正十五年(1587)、慶長十七年(1612)までに開削された。京都と伏見の間の物流のための運河としてつくられたものらしい。
高瀬川から鴨川の西岸に出て上流側の五条大橋を撮ったのが上の三枚目の写真である。
五条大橋を渡って、五条通の北側の細い道を東へ向かう。上の四枚目はその途中で撮ったものである。 この道から六波羅裏門通に出て、東へ進み、突き当たりの階段を上ると、東大路通に出る。ここを左折し歩道を北へ進み、次の信号を右折すると、一枚目の写真のように、清水坂の坂下である。わずかに曲がりながらほぼ東へ上っている。
信号のある交差点の反対側(坂下の西側)を撮ったのが二枚目の写真で、交差点から西へ鴨川の方へ下っている。この坂路も清水坂に含まれるのか不明であるが、ここから坂を上る。
このあたりでは、緩やかにほぼまっすぐに上っている。両側は民家が続き、標高的には山の中腹といった感じである。このあたりではすっかりいつもの坂道散歩の気分になっている。坂上の山門までかなりの距離がある。
資料がなく、はっきりしたことはわからないが、清水寺に至る坂であるから、この名があると思われる。
一枚目の写真のように、坂中腹で石垣があらわれたりして、下側とちょっと雰囲気が違ってくる。この先に立っている案内地図を撮ったのが二枚目の写真である。ここを左折していくと、三年坂の坂下に至ることがわかる。また、三枚目の写真の先の四差路を右折して下る坂が五条坂である。
四枚目の写真のように、四差路(変則的であるが)の先は、両側が土産物屋になっている。右側の駐車場までタクシーが上ってくるようで、ここから先、坂上側で観光客がかなり増える。清水坂を上る観光客はかなり少ないようで、人通りが少ない訳がわかった。坂を上るにしても、五条通につながる五条坂の方が多い。
坂下からこの四差路までは人通りはそんなに多くなく、ゆったりとした坂道散歩が楽しめるが、それもここまでである。
変則四差路を左折すると三年坂の下りである。そこに下一枚目の写真のように、京の坂道と刻まれた石標が建っている。ここは後で来ることにして、そのまま坂を上る。
坂上側は、二枚目の写真のように人通りが多くなって、にぎやかになる。三枚目の写真のように、坂上の土産物屋の先に山門が見えてくる。
階段を上り、山門を通りすぎた先から京都市内を撮ったのが四枚目の写真である。中央に京都タワーが見える。携帯地図を見ると、清水寺の東の方に、清水山という標高242.3mの山があるが、その下側に清水寺があるので、標高は150m程度であろうか。京都駅が50mとすると、約100mほどの標高差ということになる。ちょっと調べたが、寺の標高はわからない。
この坂は、鴨川の辺から清水山に向かって緩やかに上る斜面にできた坂のようで、このため、かなり長い坂となっているのであろう。東京23区にはこのような長い坂はないと思われる。
(続く)
参考文献
「文庫地図 京都 2012年3版」(昭文社)
「散策&鑑賞 京都編 2011年度版」(ユニプラン)
「鷗外選集 第五巻」(岩波書店)