東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

神明坂(三田)

2010年11月04日 | 坂道

前回、日向坂上の南側の歩道から無名坂経由で綱坂に向かい、綱の手引坂を下り、そのまま駅に向かったので、日向坂上の北側の歩道から北に下る神明坂に行けなかった。ここは今年の1月に訪れている。写真はそのときに撮ったものである。

日向坂を上ると、左側に当光寺、そのとなりに龍原寺がある。ちょうどオーストラリア大使館の前である。龍原寺わきの信号のある交差点が神明坂の坂上で、歩道の側に標柱が立っている。その信号を直進すると前回の簡易保険事務センターである。

坂上西側に、志ほあみ地蔵尊の祠があり、花が供えられていた。

右の写真は坂上から撮ったものである。坂下の天祖神社に向けて緩やかに下っている。標柱には次の説明がある。

「しんめいざか 天祖神社を元神明というところから神明坂と呼んだ。馬場坂という説もあるが、綱の手引坂との混同があるらしい。」

尾張屋板江戸切絵図をみると、竜原寺と筑後久留米藩有馬中務大輔の屋敷との間に坂マークのある道があり、坂下東側に、元神明、がある。そこを直進すると、有馬邸内に水天宮がある。近江屋板も同様で坂マークの△印があるが、水天宮はのっていない。

左の写真は坂下の天祖神社の門前を撮ったもので、本殿への階段がみえ、左に坂下の標柱がみえる。正月であったので、初詣の飾り付けがある。

「御府内備考」の「龍原寺門前」に「一里俗この辺一円小山と相唱え申し候右者高キ所故右の様に相唱え候の由申し伝えニ御座候」とあり、小山とよんだことが記されている。しかし、この坂の説明はないようである。

「東京府志料」に「無名坂 三田小山町と赤羽町との間を北へ新堀川中ノ橋の方へ下る坂」とあるので、ここが神明坂であるが、この無名坂を馬場坂と考える説(港区史)があるらしく、この馬場坂説に関し、横関は、この神明坂は、坂下に馬場はないから、馬場坂ではなく、馬場坂が有馬邸の裏(西わき)にあると書いたものもないようである、としている。馬場坂というからには、坂下に馬場がなければならず、それは、前回の記事のように、綱が手引坂下にあったので、その坂の別名ということらしい。

同名の坂は都内に他に二箇所あるが、そのうちの一つは、以前の記事のように、目黒の呑川緑道を歩いたときに訪れた。ここも坂のそばに神明社があった。

右の写真は坂下から撮ったものである。右側が龍原寺で、左上が簡易保険事務センターの敷地である。

この坂には二度ほど訪れているが、はじめにきたとき、なんとなく昔の風景を想像できたような気がした。小高い丘のお寺のわきから下る石垣のある細い坂がある。そんなに急でもなく、坂下には神社がある。お祭りのときには子供たちは心おどらせて坂道を下った。

坂下で右に緩やかにカーブしているが、ここを進み、このときこの坂が最後であったため大江戸線赤羽橋駅に向かった。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
横関英一「続 江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大日本地誌体系 御府内備考 第四巻」(雄山閣)

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