東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

津の守坂

2010年11月17日 | 坂道

坂町坂上を右折し突き当たりを左折し、三栄通りにでて、ここを右折して進むと、広い通りにでる。ここが津の守坂の坂上であるが、傾斜はほとんどなく、まだ平坦である。北側に歩いていくと、突然かなり急に下る。

右の写真は坂上から撮ったものである。まっすぐに下って、その先は靖国通りにつながる。

坂の途中に標柱が立っているが、この近くにある新宿歴史博物館の案内標識をかねている。標柱には次の説明がある。

「荒木町と三栄町の境を靖国通り手前までくだる坂である。別名を小栗坂ともいう。昔坂上の西脇に松平摂津守の屋敷があったので、その名を略して津の守坂と称した。」

尾張屋板江戸切絵図をみると、松平範次郎の屋敷の東側に道があり、その北側に坂マーク(多数の横棒)があるが、ここがこの坂と思われる。近江屋板では、坂マークがないが、この道にアラキヨコ丁とあり、その西側に美濃高須藩松平摂津守の屋敷がある。

左の写真は坂の途中から坂上を撮ったものである。写真左側に標柱が立っている。

石川によれば、坂は明治30年(1897)ごろまでは狭くて険しかったが改修された。小栗坂の別名は、松平摂津守邸がその前は小栗氏の邸地であったからという。

永井荷風「断腸亭日乗」大正7年(1918)に次の記述がある。

「三月二日。風あり。春寒料峭たり。終日炉辺に来青閣集を読む。夜少婢お房を伴ひ物買ひにと四谷に徃く。市ヶ谷谷町より津ノ守阪のあたり、貧しき町々も節句の菱餅菓子など灯をともして売る家多ければ日頃に似ず明く賑かに見えたり。貧しき裏町薄暗き横町に古雛または染色怪しげなる節句の菓子、春寒き夜に曝し出されたるさま何とも知れず哀れふかし。三越楼上又は十軒店の雛市より風情は却て増りたり。」

このころ荷風はまだ大久保余丁町に住んでおり、そこから市ヶ谷谷町、津の守坂を通って四谷に買い物に出かけたが、津の守坂あたりの風景がよく描かれている。「貧しき裏町薄暗き横町に古雛または染色怪しげなる節句の菓子、春寒き夜に曝し出されたるさま何とも知れず哀れふかし」というのを読むといかにも荷風らしいと思ってしまう。

右の写真は坂下から坂上を撮ったものである。坂下にも標柱が立っている。坂の両側はほとんどビルであり、荷風が描いた風景はもはやすべて過去のものである。

明治地図をみると、新宿通りから北側にまっすぐに延びる道路が明治時代にできていたことがわかる。戦前の昭和地図には、ちゃんと津守坂とのっている。
(続く)

参考文献
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
永井荷風「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする