東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

2・26事件と荷風(1)

2010年11月05日 | 荷風

最近、赤坂渋谷新宿の記事で何回か2・26事件の現場などがでてきたので、永井荷風の日記「断腸亭日乗」でそのときの市中の様子をみてみたい。

事件の年の昭和11年(1936)は雪が異常に多い冬であったらしく、その様子は、例えば2月23日の「日乗」に記してあるが、これは市三坂の記事に掲載した。

前日の「日乗」は次のとおり。

「二月廿五日。晴。午後三菱銀行に用事あり。それより銀座を歩む。蓄音機屋の店頭に人多く立たずみ三味線くづれとやら云ふ流行唄を聞けり。日未だ暮れやらぬ時、銀座通の人のゆききと蓄音機の俗謡と貧し気なる建築物とはいかにも浅薄なる現代的空気をつくりなしたり。夜となりて燈火かがやき汚らしき商店の建物目に立たぬ頃に至れば銀座通は浅草公園仲店の賑ひを呈するなり。いづれにしてもこれが東京一の繁華なる町とは思はれぬなり。新橋停車場に去年の暮より仏蘭西料理屋開店せし由聞き居たれば立ち寄りて晩餐を命ず一人前弐円ぶどう酒五十銭肉汁あしからず葡萄酒又良し。烏森芳中に立寄りてかへる。風甚寒し。」

夕暮れ時の銀座通の人のゆききと蓄音機の俗謡と貧し気なる建築物とが浅薄なる現代的空気をつくっている。これが東京一の繁華街とは思われないほどみすぼらしい。寒さもありいっそうそういう感じになったのかもしれないが、やはり、当時の市中の様子はそんなものであったのであろう。

次が事件当日の「日乗」である。

「二月廿六日。朝九時頃より灰の如きこまかき雪降り来り見る見る中に積り行くなり。午後二時頃歌川氏電話をかけ来り、〔此間約四字抹消。以下行間補〕軍人〔以上補〕警視庁襲ひ同時に朝日新聞社日々新聞社等を襲撃したり。各省大臣官舎及三井邸宅等には兵士出動して護衛をなす。ラヂオの放送も中止せらるべしと報ず。余が家のほとりは唯降りしきる雪に埋れ平日よりも物音なく豆腐屋のラツパの声のみ物哀れに聞るのみ。市中騒擾の光景を見に行きたくは思へど降雪と寒気とをおそれ門を出でず。風呂焚きて浴す。
 〔朱書〕森於菟 台北東門前町一五八文化村四条通
九時頃新聞号外出づ。岡田斎藤殺され高橋重傷鈴木侍従長又重傷せし由。十時過雪やむ。」

当日も灰のようにこまかい雪が降りどんどん積もった。午後二時ごろに歌川氏が電話で知らせてくるまで事件のことは知らなかった。降りしきる雪で普段よりも物音がせず、豆腐屋のラツパが物哀れに聞こえるだけ。物見高い荷風は、市中の様子を見に行きたかったが、雪と寒さで諦め、風呂に入った。

号外がでて、岡田斎藤殺され高橋鈴木侍従長重傷とあるが、高橋是清はほとんど即死だったらしい。岡田首相は人違いであった。

事件当日は外に出ないで終日自宅で過ごした。
(続く)

参考文献
永井荷風「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)
秋庭太郎「新考永井荷風」(春陽堂)
平塚柾緒「2・26事件」(河出文庫)

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