日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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糖尿が諸病悪化の根源だ

2015年11月10日 15時58分35秒 | 日記
糖尿病という病気は始末が悪い。痛くも痒くもないのに知らないうちに身体が蝕まれてゆく。糖尿病は遺伝性の病気である。

私の両親は糖尿病を発症しなかったが、祖母が糖尿病であったから間違いなく祖母からの遺伝である。祖母はいつも飴玉などを舐めていた。しかし、孫の私には一つも呉れようとしなかった。だから祖母と私は仲が悪かった。その嫌いな祖母の体質を一番濃く受け継いだのが私なのだから皮肉なものである。

 私の場合、40歳くらいで発症した。連日の飲酒、仕事上のストレスなどが原因だったと思う。糖尿病だと診断されたのは会社の健康診断でガンの疑いがあると指摘されたためだ。ガンといわれたのでは捨て置けない。すぐさま県立総合病院へ行って検査を受けた。結果はガンではなくて糖尿病であった。最初にガンの疑いがあるといった診療所の医師は何を根拠にそんなことを言ったのかまったくわからない。

 それから、県立総合病院の内科へ通うことになったのだが、あるとき前日の晩飯に肉じゃがを食べたら血糖値がかなり高く出た。中年の看護婦が鬼の首でも取ったように「あなた、昨夜お酒を飲んだでしょう」という。私が、「いや、誓ってお酒は飲んでいません」と答えると、「嘘仰い。お酒を飲まずにこんなにも血糖値があがるわけがありません」と畳み掛けてくる。私は「飲んでいないものは飲んでいないんだ」と否定する。それでも「肉じゃがだけでこんなに高くなるなんて信じられない」などと嘯いている。看護婦の息子くらいの若い医師は黙って様子を見ている。

 私がついに切れた。「おいっ、看護婦。お前、看護婦だろう。看護婦風情が医者以上のものを言うんじゃネェ。」「先生、肉じゃがでは血糖値はあがらないですか」

 若い医師が「ジャガイモには澱粉が多いですからたくさん食べれば血糖値はあがりますよ」
私が「新じゃが・新たまねぎでこしらえたもんですから少し食べ過ぎました。残りは今朝も食べたんです」医師が「それじゃあ血糖値が高くても仕方ないですね」という。

「ほれ見ろ、肉じゃがだって血糖値が高くなるじゃねえか。患者を嘘つき呼ばわりしやァがって気分が悪い」

 こんな遣り取りがあって県立総合病院内科への通院は中断してしまった。この段階ではまだ血糖降下剤を一日一錠飲むだけだった。

 次に症状が出たのは50歳過ぎたころだった。喉が渇く、小便が泡立つなどの症状が目立ってきたので診察を受けると、教育的入院をせよといわれた。入院して食事の量やインスリンの自己注射を覚えるのだという。このとき2週間入院して完璧に覚えた。

 しばらくすると、このときの主治医が私の自宅の比較的近くに個人開業するというので、そちらへ転院した。以後、十数年間はこの九島内科医院へ月に一度通っていた。

 今年の1月20日の夜のことである。肛門周辺に激痛が走った。若いころに切痔になったことがあるので、その再発かと思って、妻に市販の座薬を買ってきてもらって挿入した。すると肛門の脇から夥しい量の血膿が噴出した。

 後でわかったことだが、年末年始に酒を飲んだり、美味いものを食べたりしたので糖尿病が悪化して免疫力が低下したようだ。

 病名・2型糖尿病・脂質異常症・肛門周囲膿瘍・痔ろう・両側陥入爪ということで痔ろうと陥入爪は外科手術を受けた。

 この入院で約40日間病院にいた。退院後、仕事にもどったのだが4月13日の夜、煎餅布団の上で尻餅を搗いて、そのときはよかったのだが、翌日の夜には歩行できないほどの痛みだった。翌15日、整形外科・脊椎クリニックでMRIにて診断をうけたところ、第5腰椎圧迫骨折・第12胸椎圧迫骨折ということになった。

 直ちにコルセットを作ってもらって装着し8月31日まで自宅療養した。この間、自宅内では車椅子と松葉杖を使用していた。

 さて、漸く背骨もつながって仕事にも復帰してやれやれという9月11日の早朝4時のことである。部屋に入る段差にはスロープを設けてあったのだが、勢いよく車椅子を乗り上げようとしたら、私の身体がついてゆけずに真後ろへ転倒してしまった。幸いにも廊下の平らなところで外傷はなかったのだが、少し違和感もあったので脳外科を受診した。

 CTなどの検査結果、急性硬膜下血腫との診断で即入院となり、ベッド上安静という医者の指示で小便は尿瓶、大便はおまるということになった。幸いにも食事はとらず点滴だけだったので一週間は大便をすることがなかった。

 風呂もシャワーも使えないで20日間過ごしたがさすがに私も辛抱できず別の病院へ転院するということで無理やり退院した。二日後に市立病院の診断を仰いだが、入浴・自動車運転をしても構わないということで現在は仕事に戻っている。

 血腫が消えたかどうかは今月20日の検診を待つしかないが、一時的に記憶が薄れたり言葉がでなかったりしたのはほぼ元に戻っている。

 ブログやフェイスブックもしばらく休んでいたが最近では元通り復活した。
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2 コメント

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分際を弁えよ (ふきのとう)
2015-11-26 16:05:38
どこにでもいます。分際を弁えない人が。
私的には人生の序列、仕事の内容などは分際が必要と思う派です。
役付きなどには一切拘りはもちませんが、看護師にはやはり
分際と言うものが有ります。決して医師より出しゃばらないことです。
上記の看護師はにあるのは,分を弁えない上から目線のヤブ看護師かと思われます。
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先生が若すぎた。 (秋山白兎)
2015-11-30 10:04:25
ふきのとうさん。こんにちは。
県立総合の医者はまだ大学を出たばかりの新米だったと思います。
親子ほども違うベテラン看護婦は面倒見てやりたかったのでしょう。
今の私でしたらこんあ風にはならなかったとおもいますが、当時はまだ若かったんです。
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