日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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サバハ首長陛下に深謝申し上げます。

2011年04月19日 13時44分05秒 | 日記
拙いブログであるがこの「日々是好舌」を多い日で100人、少ない日でも30人ほどの方に読んでいただいている。ありがたいことである。

さて、今から40数年前に大阪万博が開催された。東京オリンピックの成功に続く国際的な行事の開催で日本に一番活力があったころのことである。その万博の数あるパピリオンの中でも金色に輝く回教寺院風の屋根で人目を引いたのがクウェート館であった。
このクウェート館を建築したのは当時私が勤めていた不動建設(現在の不動テトラ)という中堅ゼネコンだった。何で40年以上も前のことを覚えているのかというと、建物の工事代金を東京の在日本クウェート大使館へ集金にいったのが他ならぬ私自身だったからだ。当時の私は不動建設東京支店の経理課員だったからクウェート大使館ばかりではなく文部省へ木更津高専の工事代金を集金に行ったりするのが日常の仕事だったのである。

クウェート国は、アラビア半島の付け根部西側に位置し、ペルシャ湾の北西岸に面した、立憲君主制の小国。
第2次世界大戦の直前に発見されたクウェート油田から産出される原油、天然ガスと、石油産業とで、経済は堅調。
1990年~1991年の湾岸戦争で、かなりの戦禍を被ったが、1994年頃から産油量が戦争前の水準に回復した。
第2次世界大戦後の、1961年にイギリスから独立したが、直後に、クウエート領を自国領と主張するイラク共和国との間に紛争勃発。当時の首長の要請でイギリス軍が派兵され、7月にはアラブ連盟がクウェート国の独立を承認、イラクの主張を退けた。
1963年国際連合に加盟。同年 10月イラク共和国も独立を承認。
1990年、フセイン政権のイラク共和国が、「(オスマン=トルコ時代からの)イラク領」と称して侵攻した。実際は、それ以前からOPECでイラクが主張していた石油減産に、クウェートやサウディ=アラビアが応じなかったことが、湾岸戦争の直接のきっかけと目されている。
1991年、アメリカを主体にした多国籍軍が侵攻し、イラク軍から解放された。

18日、クウェート政府は東日本大震災に見舞われた日本の復興を支援するため、原油など500万バレル分を無償供与することを決めたと発表した。これは国家元首サバハ首長陛下からの直接の指示よるものだという。
原油500万バレルは我が国の原油輸入量の一日分(400万バレル)以上に当り、現在の原油価格で約5億5000万ドル(約450億円)に相当する。

日本国民はサバハ首長陛下とクウェート国民の友情を決して忘れない。
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