![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/bb/655c9502321b6a469b048ec80dc8e26f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/df/d6d979dbe857c1e2ba4845c0e4df48bd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/89/515b7ddb5cb0e5336e338ec0ce092eb7.jpg)
このブログのことはいまだに夫も子供も知りません。
知っているのは、ちょっと大げさですが(笑)
我が身に何かあった時のキーパーソンになってほしい友だけ。
これまた大げさですが
「あなたたちのお母さんはね、こういうことをして
こういう思いで一生懸命生きていたんだよ。」
などというような記録の存在を
その時初めて彼らに知らせてくれるだろう信頼する人たちだけ。
文章というのは
しかもこうした、創作ではないリアルな日々の記録、日々の想いのようなものは
特定の誰かの顔が浮かんでしまうと、書きにくくなりますから
つとめて密かに、できるだけ自由に書いていたいのです。
それらごく限られた稗田阿礼役の友人たち(笑)のひとりから
珍しく感想が届きました。
21日の「クボタガーデン~東と西の出会い」に対してです。
「クボタガーデンの話はいいね。いつの日か機会があればですが、僕もこのガーデンを歩いてみたい。素晴らしい業績を残した窪田さん、尊敬します。生き様が実にカッコいい。」
嬉しくなって、すぐにこんな返事を書きました。
「感想をありがとう。こちらへ来る前に『バンクーバーの朝日』という小説を読みました。海の向こうには夢の国がある、とばかりに騙されて、バンクーバーに連れて行かれ、帰ることもできないままに家庭を持って、子供をなし、白人社会の片隅で、それこそ3Kの仕事で死ぬほど働かされた日本人たちと、その二世たちの話です。たしかそろそろ映画が公開されているのではないかしら。
これほどではなくとも、その昔、船で留学した人たちの想いなども、我々の計り知れないものがあるのでしょうね。電話も繋がらない、メールもなかった時代です。
こちらに来てから白洲正子さんの自伝を読みました。彼女も第二次世界大戦が始まるずっと前に14歳でアメリカに留学し、4年後の1928年に帰国したのね。
そうした方々の志を想う時、たらたらしたこの恵まれた我が身が実に情けなく思えます。」
これに対してまた友からすぐに返信がありました。
「僕の近くにも大戦前にカルフォルニアへ農業移民として渡った男性の写真一枚で見合い結婚をして嫁いで行った日本女性がいました。もう亡くなりましたが、日米の歴史をふり返る時、彼らから三代も隔てた僕らの世代がどれだけ恵まれているかを思い知ります。僕たちも結局は今の時代の中で生かされているわけで、この後の時代を生きる人たちからすれば僕たちですら歴史上に存在していた先輩たちとして区分けされるわけだろうけれど。
このありがたさに感謝をしなければバツが下ると思います。
おたがい、恵まれた身を何かに活かしたいね。」
この最後の一行、「おたがい、恵まれた身を何かに活かしたいね。」という言葉が、それ以来ずっと私の心から離れずにいて、時としていろいろな種類の涙をにじませます。
共感の涙、活かし切れていない自分がつくづく情けなくて流す涙
そして、「やるぞ~!」という決意の涙、、、、、、、、、、
今日も3つの涙が入り混じった一日でした。
写真は「Rainier Beach」の水辺の写真です。
ビーチと言っても、海ではなく湖畔ですが。
逆立ちした鴨さんのなんと可愛いこと(笑)!
読んでくださってありがとうございました。
どうぞ良い一日をお過ごしくださいね。
![](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1397_1.gif)
![](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1317_1.gif)