昨日今日とたった2日東京を離れていただけなのに
桜はほぼ満開。
ジャスミンの蕾もこんなに開いてしまいました。
さあ、前回の「無関心と非関心」を続けましょうね。
~無関心と非関心 後篇~
サトコさん(仮名)の一人息子は、日本の高校からアメリカの名門大学へと留学をしました。専業主婦であったサトコさんにとって、すでに自分の思うようにならなくなってしまった夫に代わって、息子の存在は生きがいでした。高い学費を払うためにパートタイムで働くようになり、そんな気持ちがますます彼女を「私が息子を支えているんだ。息子は私がいなければ生きていけない。」という気持ちに向かわせました。ただ海外の名門大学に行っているというだけで誇らしげに息子を自慢し、その反面、息子が自分から離れていってしまうのが不安で、オドオドと息子の言うなりになっていました。
そんな親子関係が良い結果をもたらすはずがありません。卒業して日本に帰ってきてからも、母はふつう以上に息子に関心を持ち続け、彼がひとりでできること、すべきことにも介入し、息子を自分に依存させるように仕向けていきました。初めのうちはそんな母をうっとうしく思っていた息子も、気づいてみればその方がずっと楽なことがわかり、今では一人暮らしの家の掃除、洗濯までを母にさせています。そして、20代後半にさしかかった青年が、「母がこう言ったから」とか、「母に聞いてみなければわからない」というような言葉を口にするようになりました。この時点で、この青年の成長は止まってしまったようなものです。
ミドリさん(仮名)もまた同じように、成人した娘を遠く手放した母親でした。けれどもサトコさんと違うのは、「私は私、娘は娘」と潔く割り切って、よけいな世話を何一つ焼かなかったことです。その代わり、娘さんが助けを求めてきた時にはそれこそ一生懸命、娘のために知恵を集めました。つまり、「あなたはあなた。もう大人なんだから。」と一見突き放すように見えて、実は自分を抑えていたのです。娘さんはこんなことを言っています。
「母は私が言うまでは何にもしてくれなかったけれど、私が一言問えば誠心誠意応えてくれた。私は、黙っていても母はいつでも私を思い、私のそばに立っていることがわかっていたから、ひとりで歩く力をつけることができた。」
そんな娘さんの言葉を聞いた後で、私は、「お嬢さんが遠く離れていて心配ではありませんでしたか?」とミドリさんに聞いてみました。すると彼女はこう答えました。
「もちろん考え出すと心配で心配でたまりませんでした。毎朝毎晩あの子の無事を祈っていました。でも、私はなるべく関心を持ちすぎないようにして、あの子なしでの自分自身の生活を充実させるようにしたのです。」
ミドリさんとサトコさんの二人が決定的に違うのは、「非関心」になれるかどうかということでした。非関心は無関心とは全く違います。無関心とは相手に興味が持てなくなってしまった状態、非関心とは相手のことを思いながらもきちんと距離を保つ状態です。無関心は相手に寂しさを与えますが、非関心は相手に「守られた自由」を与え、自立と成長を促します。
非関心はネガティブな心にも効力を発揮します。たとえば、誰かが気になって仕方がないことは誰にでもあります。ふと気が付くと、その人のことばかり考えて、「全くもうあの人ったら」とか、「馬鹿みたい、最低!」とか、「信じられない!」「大嫌い!」などと呟きながら、いつまでも思考の堂々巡りをしています。おおかたの場合、そうした負の感情の底には嫉妬があることが多いのですが、いったん負のスパイラルに陥ってしまった者にとってはとにかくつらいものです。
私も何度かそんなスパイラルに陥ったことがあります。けれども、朝起きてから夜寝るまでそのことばかりを考えている自分にほとほと愛想がつきて、とにかく全く関心を持たないように決めました。「あの人のことなんてどうでもいい。」「何を言われようが、何をされようが全然興味ない。」と、擬似的に非関心の状態を作ったのです。すると、不思議なことに、今まで心を煩わせていたことが次第に本当にどうでもよくなってきました。つまり、非関心が次第に無関心に変わっていったのです。相手にとってみたらこれほどつまらないこともありません。なにせ「暖簾に腕押し」なのですから。
人を育てるのも、自分を守るのも、無関心と非関心を上手に操ることです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
若いというのは恐ろしいもので、生意気にもこんなことを書いていたのですよ(冷や汗)。とはいえ、ある意味、正解かもしれません。前々回の「すべての憎悪はお断り」でもご紹介したように、人の悪口ばかり言う子への対処法は「つまらなそうな顔をして聞いていれば、そのうち言わなくなるかもしれません。」だそうですから(笑)。
ライフスタイル ブログランキングへ
海外旅行 ブログランキングへ