Rain or Shine~メイおばさんの宝箱

雨が降れば虹が出る、晴れた空には光が躍る。
雨でも晴れでも歩きましょう!
世界のどこかから、あなたへ贈るメッセージ

無関心と非関心 後篇

2015-03-31 23:28:47 | 言葉

昨日今日とたった2日東京を離れていただけなのに
桜はほぼ満開。

ジャスミンの蕾もこんなに開いてしまいました。


さあ、前回の「無関心と非関心」を続けましょうね。

~無関心と非関心 後篇~
サトコさん(仮名)の一人息子は、日本の高校からアメリカの名門大学へと留学をしました。専業主婦であったサトコさんにとって、すでに自分の思うようにならなくなってしまった夫に代わって、息子の存在は生きがいでした。高い学費を払うためにパートタイムで働くようになり、そんな気持ちがますます彼女を「私が息子を支えているんだ。息子は私がいなければ生きていけない。」という気持ちに向かわせました。ただ海外の名門大学に行っているというだけで誇らしげに息子を自慢し、その反面、息子が自分から離れていってしまうのが不安で、オドオドと息子の言うなりになっていました。

そんな親子関係が良い結果をもたらすはずがありません。卒業して日本に帰ってきてからも、母はふつう以上に息子に関心を持ち続け、彼がひとりでできること、すべきことにも介入し、息子を自分に依存させるように仕向けていきました。初めのうちはそんな母をうっとうしく思っていた息子も、気づいてみればその方がずっと楽なことがわかり、今では一人暮らしの家の掃除、洗濯までを母にさせています。そして、20代後半にさしかかった青年が、「母がこう言ったから」とか、「母に聞いてみなければわからない」というような言葉を口にするようになりました。この時点で、この青年の成長は止まってしまったようなものです。

ミドリさん(仮名)もまた同じように、成人した娘を遠く手放した母親でした。けれどもサトコさんと違うのは、「私は私、娘は娘」と潔く割り切って、よけいな世話を何一つ焼かなかったことです。その代わり、娘さんが助けを求めてきた時にはそれこそ一生懸命、娘のために知恵を集めました。つまり、「あなたはあなた。もう大人なんだから。」と一見突き放すように見えて、実は自分を抑えていたのです。娘さんはこんなことを言っています。

「母は私が言うまでは何にもしてくれなかったけれど、私が一言問えば誠心誠意応えてくれた。私は、黙っていても母はいつでも私を思い、私のそばに立っていることがわかっていたから、ひとりで歩く力をつけることができた。」

そんな娘さんの言葉を聞いた後で、私は、「お嬢さんが遠く離れていて心配ではありませんでしたか?」とミドリさんに聞いてみました。すると彼女はこう答えました。

「もちろん考え出すと心配で心配でたまりませんでした。毎朝毎晩あの子の無事を祈っていました。でも、私はなるべく関心を持ちすぎないようにして、あの子なしでの自分自身の生活を充実させるようにしたのです。」

ミドリさんとサトコさんの二人が決定的に違うのは、「非関心」になれるかどうかということでした。非関心は無関心とは全く違います。無関心とは相手に興味が持てなくなってしまった状態、非関心とは相手のことを思いながらもきちんと距離を保つ状態です。無関心は相手に寂しさを与えますが、非関心は相手に「守られた自由」を与え、自立と成長を促します。

非関心はネガティブな心にも効力を発揮します。たとえば、誰かが気になって仕方がないことは誰にでもあります。ふと気が付くと、その人のことばかり考えて、「全くもうあの人ったら」とか、「馬鹿みたい、最低!」とか、「信じられない!」「大嫌い!」などと呟きながら、いつまでも思考の堂々巡りをしています。おおかたの場合、そうした負の感情の底には嫉妬があることが多いのですが、いったん負のスパイラルに陥ってしまった者にとってはとにかくつらいものです。

私も何度かそんなスパイラルに陥ったことがあります。けれども、朝起きてから夜寝るまでそのことばかりを考えている自分にほとほと愛想がつきて、とにかく全く関心を持たないように決めました。「あの人のことなんてどうでもいい。」「何を言われようが、何をされようが全然興味ない。」と、擬似的に非関心の状態を作ったのです。すると、不思議なことに、今まで心を煩わせていたことが次第に本当にどうでもよくなってきました。つまり、非関心が次第に無関心に変わっていったのです。相手にとってみたらこれほどつまらないこともありません。なにせ「暖簾に腕押し」なのですから。

人を育てるのも、自分を守るのも、無関心と非関心を上手に操ることです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
若いというのは恐ろしいもので、生意気にもこんなことを書いていたのですよ(冷や汗)。とはいえ、ある意味、正解かもしれません。前々回の「すべての憎悪はお断り」でもご紹介したように、人の悪口ばかり言う子への対処法は「つまらなそうな顔をして聞いていれば、そのうち言わなくなるかもしれません。」だそうですから(笑)。


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無関心と非関心 前篇

2015-03-29 23:48:44 | マナー

今出ている「クロワッサン」の
「そうか、この手があった!捨てられない人の片づけ術」
という特集になんとなく心ひかれて
キオスクで買ってしまったのは
たぶん心の奥底に
「片付けたい」とか、「捨てたい」などという
このままではいけないという反省と
変化を求める気持ちがあったからなのでしょう。

早速、机の下から片付け始めましたよ。
すると面白いものがたくさん出てきて
ついつい読み耽ってしまい
片付けどころではなくなってしまいましたけれどね(笑)。

そのひとつが
「無関心と非関心」と題するサンプル原稿でした。
何年か前に、女性の生き方的な本の企画が上がった時に
頼まれていくつか書いたもののひとつです。

結局、出版社側の事情で企画が流れ
以来私はすっかり忘れていたんです。
それが机の下から出てくるとは(笑)。

それがね、今読んでみたらけっこう面白いんですよ。
一生懸命背伸びしているところとか
一生懸命かっこうつけてるところとかが(笑)。

けれども、第三者として読んでみたら
少しはいいことも書いてありました。
昨日書いた差別の心にも、ちょっとばかり通じるものもありました。

なんだか捨ててしまうのはもったいなくって
捨てる前にここに残しておこうかしら、と
前篇&後篇にわけて
公開させていただきます。

さあ、始まり始まり。
どうぞ読んでくださいね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

家族であろうと友人であろうと、同僚であろうが隣人であろうが、私たちは他者との関わりの中で生きていますから、時として特定の誰かのことが気になってしかたがなくなることがあります。それがポジティブに出れば、恋であり愛であり、友情であり隣人愛に繋がりますが、ネガティブに出れば、最悪の場合は嫉妬や妄想に苦しめられることになります。そして、困ったことに、たとえそれがポジティブな場合であっても、増していく関心はちょっとしたことでネガティブなものに変わります。

往々にしてそれは、愛だと思っていたものが実は所有欲であった時に起こります。たとえば、最近子どもが言うことを聞かなくなった、夫が理由も言わずに夜遅く帰るようになった、何かにつけて世話をしてきた後輩がなんだかよそよそしい態度に変わってきた、、、、、そんな時に誰しも思うことは、なんとかして元のように自分の方を向いてもらいたいということでしょう。「ママがいなければだめだ。」「妻がいないと何にもできない。」「私にはあの人が必要だ。」という具合に。

自分が「必要な存在」でいたいという人たちにとっては、彼らが自立して自分を必要としなくなってしまうのはとても困るのです。「うちの主人たら、私がいないと靴下の場所もわからないんだから」とか、「うちの子ったら、私がいないと何もできないのよ。」などという人に限って、そんな状態が嬉しくてたまらないように見えます。つまり知らず知らずのうちに、あえて彼らの自立を阻んでいるのです。

当然ながら、そうした人たちは、対象となる人たちに対して大きな関心を持ち、その行動の逐一を知りたがります。そしてそれが「愛」ゆえのものだと勘違いをしてしまいます。ですから、彼らが自分の知らないところで楽しそうにしていると、自分の愛が裏切られたように感じます。あげく「私がこんなにやってあげているのに」と、相手を非難するようにもなるのです。

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長すぎるのも興ざめですから
今日はここまでにしましょうかね。
次回は二つの実例から始まりますよ。


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すべての憎悪はお断り!

2015-03-28 23:31:40 | シアトル

シアトルのメインストリートとも言える「パイク通り」をどんどん上ると
ちょっと不思議な一角にさしかかります。

「Gay City」とも呼ばれるだけあって
その関連の本だけを集めた本屋さんなども並ぶ通りに
男同士がごく自然にくつろいでいるカフェがたくさんあります。

先日ぶらぶらと歩いていたら
こんな大きな看板を掲げた店に出会いました。


拳骨の腕を上げた絵の横にこんな文字が書かれています。

NO:
SEXISM
RACISM
ABLEISM
HOMOPHOBIA
TRANSPHOBIA
OR GENERAL HATEFULLNESS
ALLOWED.
YOU WILL BE ASKED TO LEAVE.

日本語にしたらこんな感じでしょうか。

性差別
人種差別
身障者差別
同性愛者差別
性同一障害者差別
他、すべての憎悪はお断り。
すぐに退室いただきます。

思わず拍手を送りたくなりました。
日本ではまだここまでの表立った勇気はないかもしれませんね。

ちょっと話題を広げて、、、、

一昨日の朝日新聞の小熊英二さんのコラム「明日を探る」は面白かった。
小熊さんは慶応大学の若手教授です。
専門は歴史社会学。

ネット上に偏った考えをせっせと書き込んでいる匿名の人たちを一種の「愉快犯」ととらえ、彼らの目的は、攻撃し、冷笑し、知識をひけらかすことで注目を集めることだと言うのです。

ですから、攻撃された側が動揺したり、委縮したりすればするほど喜ぶのだと。
児童向け心理学書を引き合いに出し

「人の悪口ばっかり言う子は、人から注目をあびたいのに、その方法がわからず、人の悪口を言うことしか思いつかないのかも。」

ゆえに、お勧めの対処法は「つまらなそうな顔をして聞いていれば、そのうち言わなくなるかもしれません。」

ちょっとすっきり。
かなり納得。


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一緒に老いていく桜と私

2015-03-27 23:30:18 | ライフスタイル

今朝、シアトルからこんなメールが届きました。

「メイ、その後いかがお過ごしですか?
シアトルは桜も盛りを過ぎてしまいましたよ。
最近続いた雨が、せっかくの花を散らしてしまったのです。」

東京は今日、どんどんと気温が上がりました。
朝にはまだ固い蕾だった庭の桜が
女ばかり10名も集まっての気の早いお花見に
良いところを見せようと張り切ったのでしょうか。
一輪、また一輪と花びらを広げ始めました。

桜という花は実に不思議な花で
長い人生、いつ、どこで見上げた桜にも
それぞれの「思い出」があり
たくさんの「物語」があります。

華やかな中にも
そんな、せつない季節がやってきました。

この庭の桜にもたくさんの思い出があります。
父の死後、父が毎年愛でていた桜ごとこの土地を譲り受けた私たちは
新しい家を建てるに際してこう言われました。

「この桜の木を切らなきゃだめですね。」

けれども、どうしても切りたくなかったのです。
移植についてたずねると

「桜はむずかしいんですよ。
たかが1メートルでも場所を移すとなると
うまく根付く可能性は半分ですよ。
それでも移しますか?」

私たちは、その50%の可能性に賭けることにし、植木屋さんに言いました。

「かまいません、たとえ50%でも可能性があるのなら。」

その結果、私たちの桜は1メートル向こうに移されることになりました。

そして、、、、、
翌年の春には、何事もなかったかのように
芽吹き、蕾をつけ、ふくらませ、花を咲かせてくれたのです。

以来、もう30年近く変わらずに、春になると窓を薄桃色に染めてくれます。

一度だけ不思議なことがありました。
その年は桜の時期に日本にいることができませんでした。
蕾がふくらんでいくのを「頑張れ、頑張れ」と応援することも
可憐な花びらがひとつひとつ開いて行く姿を愛でることも
はらはら、ひらひらと雨のように散る花弁を手に受けることもできなかったのです。

すっかり青葉になった時期に帰国して
夏を越し、秋が過ぎ、寒さに震える頃になって

「メイさん、見て、ほらあそこ。桜が咲いてる!」

友の指差す先を見れば
裸の木の一枝に、まるで春のように桜が咲いていたのです。

「狂い咲き」などと言う言葉で片付けるのは簡単ですが
今でも、私はこんな風に思っています。

たぶんこの子は私のために最後の力を振りしぼって
春に見せることのできなかった花を
真冬に見せてくれたのではないかと。

桜の木も私も
一緒に老いていきます、春が来るたびに。

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シュリ・シュリさんとの瞑想の時間

2015-03-25 23:57:51 | ライフスタイル

とある所からのお招きにあずかって
興味しんしん出かけてみれば
案内されたのは、やたら大きな両国国技館の
一階真ん中、前から二列目。

「来る3月20日に『International Festival of Happiness 2015』を開催いたします。この日は、国連制定の『国際幸福デー』です。
 呼吸法と瞑想の指導者としてインドばかりではなく国際的に知られ、さまざまな分野で社会貢献活動を実践しているシュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカール氏による『幸せ』と『平和』についての講演に合わせて、国内外の出演者とともにヨガ、音楽、ダンス、瞑想といったインド独自の文化をご紹介いたします。
 ぜひご参加いただきたくご招待を申し上げます。」

どうやらシュリ・シュリさんと言うのは、心の垢を一掃する呼吸法と瞑想の世界的権威なようです。インドでは「ヨガ・シロマニ」(悟りに達した崇高なる教師)の称号を得ています。2006年にはノーベル平和賞にもノミネートされました。

日頃から「ああ、垢がたまってきたなあ、、、、洗い流さなきゃなあ、、、、、」などと悶々としている身にとって、「呼吸法」や「瞑想」の一端でも教えていただけるのならば、なんてありがたいことでしょう。

加えて白状すれば、「瞑想」とか、「meditation」という言葉にはどうも弱くて、つい引き寄せられてしまうのです(笑)。

小池龍之介さんの「心のおおそうじ~『今に生きる』瞑想のワークショップ」などと言う講座を受講してしまったのも1年ちょっと前のことでした。

今回だってしっかりありましたよ。
ステージの上のシュリ・シュリ師と共に「瞑想」をする時間。

ずいぶん長く感じましたけれど
5分? 10分?
いったいどのくらいだったのでしょう。

でもやっぱり駄目だったんです。
小池龍之介さんの時も駄目でした。
どうも、ワタシ、憧れてはいても「瞑想」には向いていないようです(涙)。

静寂の中で目を閉じながら
「だめ、だめ、何も考えちゃだめ」などと考えてますし

ちょっと気が緩めば
「今日の夕飯、なに作ろう」とか
「明日の予定はどうだったかしら」なんて
考えちゃってるんですから。

あげくのはてに
し~んと静まり返った国技館の中で
私ったら、、、、知らず知らずのうちに寝てました。

もっとも眠りこそが究極の瞑想なのかもしれませんけれど(笑)。

いいことも、悪いことも
何も考えないということは
実は、とてもとても難しいことです。

途中で立ち寄った帝国ホテルのロビーでは
種類の違う桜の花が美しく咲き揃っていましたよ。



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着たい服を着たらいい~ルミネのCM2

2015-03-24 23:17:04 | 文化の違い

先回触れた話題騒然ルミネのCMの
何がそんなに違和感を感じるのかと、よくよく考えてみたら
要するに
「○○はXX」という「思い込み型決めつけ」であることに気づきました。

先日の朝日新聞で「何が苦手か」という特集がありました。
高い所が苦手だったり、狭い所が苦手だったり
蛇が苦手だったり、ゴキブリが苦手だったり、、、、、

もし「ではあなたは何が苦手?」とでも聞かれれば
私はたぶんこう答えるでしょう。

「はい、○○はXX」という思い込みが苦手です。」と。

たとえば
男だからこうしなければ
女だからこうしなければ
日本人だからこうでしょ?
アメリカ人だからこうでしょ?

男だっていろいろな人がいて
女だっていろいろな人がいて
日本人だって、アメリカ人だって、イギリス人だって
いろいろな人がいて当たり前。

くだんのCMの中では
男はこういう巻き髪の、こういう服の女の子が好き
女なんだからそうしなきゃ
みたいな「思い込み」が
見ている者を息苦しくさせたのではないでしょうか。

たとえば
着る物で言えば
男だって女だって、若くたって年とっていたって
何を着たっていいでしょう?

自分が着たいものを着ればいいだけの話であって
それがとてつもなく他人を不愉快にさせる服でない限り自由でしょう?

シャネルが好きな人は着ればいいし
ユニクロが好きな人は着ればいい。

可愛く思われたい、女らしく思われたい
もっと直接的には、異性に好かれたい
そんな目的で、本当は着たくもない服を着るなんて
やっぱりどこかおかしい、と思うのです。

「思い込み」というのは時としてとてつもない勘違いをさせます。

ある時、海外で育ったり、学んだり
仕事をしたり、住んでいたりする
仲間たちが集まった時のこと。

M子が言いました。

「冬だったけれど、パーティーにお気に入りのノースリーブのドレスを着て行ったのよね。
 その写真が日本のある所に載ったわけ。
 そうしたら、信じられる?
 『あいつは露出狂だ!』と言う連中が現れたの。」

これを聞いて、私たちバイカルチャー組は一斉に大笑いしました。
だって、アメリカでもヨーロッパでも
たとえ真冬だって、ノースリーブなんて当たり前。

正式な場ならよりいっそう
季節に限らず
肩やデコルテを出した女性たちが多く見られます。
誰も「あいつは露出狂だ!」なんて言いません(笑)。

誰だって、自分の好きなものを着ていいのです。
もちろんある程度のTPOは身に付けていなければなりませんが
職場に巻き髪でふりふりのガールズファッションで行こうが
スニーカーとパンツで行こうが
自分の好きなスタイルでいいのです。

そこらへんのところが
ルミネCMではみごとにくつがえされてしまったのが
あれほどの非難を浴びることに繋がったのでしょう。

かくいうメイは
子供たちに「ママ、その服はないでしょう。」
などと言われては、「そうかなあ」と反省しつつも
自分の好きな服を着ています。


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変わりたい?変わらなきゃ~ルミネのCM

2015-03-22 22:45:31 | ライフスタイル

ご覧になりました?
話題騒然の「ルミネ」のYou Tube。

炎上から謝罪へというコースをたどって
3月17日の公開からたった3日で20日に謝罪広告が出されました。
それと共に動画も削除されてしまいました。

私は炎上騒ぎを聞きつけて
すぐに本家本元を見ましたが
削除された今でも、コピーが残っています。
もしまだでしたら、これだけ話題になっている「作品」をぜひご覧になってみてください。

最初に見た時には、なかなか面白い展開だと思って楽しんでいたのですが
最後の最後の落ちで白けました。

二度目に見た時には、「それはないでしょう?」という違和感が膨らんで

三度目に見た時には、「あ、もう結構です。見たくありません。」

たくさんの皆さんが、「セクハラ」という論点で怒っています。
私は少しばかり違って、「あまりのワンパターン思考」に呆れています。

それまでは、「ルミネ」と言えば、なんとなくスマートでお洒落なイメージでしたけれど、正直な話、時間が立てばたつほど変な不快感が醸成されていくようです。「不買運動」まで起きているというのですから、たかがネットCMと言えども恐ろしい影響力があるもんです。

大騒ぎの渦中に当のルミネが出した一昨日の謝罪広告たるや、これがまあ、、、、、
なんとかもっとスマートにできなかったもんですかねえ。

「お詫び
この度は、弊社の動画においてご不快に思われる表現がありましたことを深くお詫び申し上げます。今後はこのようなことのないよう、十分に注意してまいります。
株式会社 ルミネ」

こんな風に杓子定規で対応している場合じゃないでしょ、ルミネさん。
もっとスマートに行ってこそルミネさんじゃありませんか。
今ならこれまでになかったほどの注目を集められるのですから、これこそビッグチャンスだったはず。

たとえば、、、、

正攻法としては、あえてこんな時代錯誤のCMを作ろうとした趣旨とか、その裏にあるメッセージを伝えるとか。

裏ワザとしては、急いで「男性版」を作ってアップするとか。
つまり、女性上司が「イケメン君」と「地味ダサ君」に対して態度をガラリと変えて、「需要がちがうのよね。」

その結果、「地味ダサ君」が、「変わりたい?変わらなきゃ」とルミネの紳士服売り場に駆け込むとか(笑)。

降って湧いたリスクを、「してやったり」と逆手に取るぐらいのことでなければ、ねえ。


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さびしい会話

2015-03-21 23:27:24 | 言葉

週末だというのに
都心へ向かう電車は混み合っていて
座る席などもちろんないし
立ったまま本を広げる隙間もない。

そんなぎゅうぎゅう詰めの車内では
聞きたくなくとも隣の人たちの会話が聞こえてくる。

ママ友だろうか。
ひとりが呟くと、もうひとりが呟く。
ぼそぼそと単語だけを並べたような日本語で
ぶっすりと、ちっとも楽しそうな様子もなく。

A:あのさあ、うちの子、いやだいやだって言うから「そんなにいやならやめる?」と聞くと、「いやだ、やめない!」って言うんだよね。

B:あああ、今日の夕飯なんにするかなあ。

A:○○ちゃんのとこ、春休みにハワイ行くんだって。

B:私、昨日からなんか膝が痛くてやんなっちゃう。

さびしい、さびしい。
こうしたかみ合わない会話って。
いえ、会話ではなく独白の連続って。

でもひとつだけ
最後に会話があった。

ある駅に着いてドアが開くと
こみあった車内の奥の方から

「すみませ~ん。車椅子がおります。」という女性の声。

振り返れば、車椅子を押す女性と
車椅子に乗った女性。

ホームには駅員さんが待っていて
電車からホームへと
車椅子が下りやすいような小さなスロープを作っている。

混んでいたので車椅子を推し進めるのにも時間がかかる。
やっとドアが閉まった後で
くだんの二人組の女性が「会話」した。

A:なにもこんな混んでる電車に乗らないで、各駅にすりゃいいのに。

B:ほ~んと、そうだよね。迷惑この上ないよ。

さびしい、さびしい、あまりにさびしい。
かみ合わない会話よりもっと。

ミモザの季節になりました。
すぐ近くまで来ている桜の季節の
輝くようなプレリュード。


読んでくださってありがとうございました。
どうぞ良い一日をお過ごしくださいね。

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いつのことだか 思い出してごらん

2015-03-19 22:54:37 | メイの教訓

い~つの~ こと~だか~
おもいだして ご~らん
あんなこと~ こんなこと~
あっ~た~でしょう

うれしかったこ~と~
おもしろかったこ~と~
い~つに~な~っても~
わ~すれ~ない~

シンプルなメロディーに乗せて
春になり夏になり秋になり冬になります。

そして最後は

「一年中を思い出してごらん
 あんなこと こんなこと あったでしょう
 桃のお花もきれいに咲いて もうすぐみんな一年生」

で終わります。

こんなにシンプルな言葉と
こんなにシンプルな旋律が
どうしてこんなに心を揺らすのでしょうか。

それはたぶん
私たち大人にだって
いえ、長い年月生きてきた大人だからこそ
あんなこと、こんなことがたくさんあって
忘れてしまいたいことの何倍もの
いつになっても忘れたくない
あんなこと、こんなことがあるからなのでしょう。

卒業の季節がやってきました。
ふくらみ始めた桜の蕾の下を
保育園や幼稚園や小学校や中学校や
高校や大学を卒業した子供たちが
誇らしげに歩いて行きます。

卒業式をアメリカでは「Commencement(始まり)」と呼びます。
「終わり」ではなく「始まり」です。

先日、ある卒業式に出る機会がありました。
4月からまっさらなランドセルを背負って小学校の門をくぐる
48名の少年少女に園長先生が語りかけました。

「皆さんはこれから薔薇のアーチを出て
 それから門を出ます。
 一度門を出たら、もうみんなは○組ではなく『卒業生』であり『○○回生』です。
 門を出たら、また次の門が待っています。
 そうしてたくさんの門を抜けて歩いて行くのです。
 世の中を照らす明るい光となりましょう。」

6歳の少年少女たちに、先生の言葉の持つ意味を理解するのはむずかしかったかもしれません。けれども、「いくつもの門を抜けて歩いて行く」いえ、「歩いていかなくてはならない」というおぼろげなイメージはきっと心に深く残ったことでしょう。

良い卒園式でした。
そして私は今

い~つの~ こと~だか~
おもいだして ご~らん
あんなこと~ こんなこと~
あっ~た~でしょう

と口ずさみながら思っています。

ああ、あれからずいぶん遠くまで歩いてきちゃったなあ。
いったいいくつの門をくぐり抜けてきたことだろう
と。


読んでくださってありがとうございました。
どうぞ良い一日をお過ごしくださいね。

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ムムムの「レストラン シェ オリビエ」@東京

2015-03-18 23:40:34 | レストラン

私たち夫婦宛に
その素敵なご招待メールが届いたのは
2月19日、シアトルでのことでした。

「We are excited to have dinner with you on Friday, 6 March.」

「We」と言うのは親交のある素敵な教授夫妻。
お二方とも世界を飛び回っていらっしゃいますので
なかなかお会いできませんし
4人そろえば共通言語は英語になりますけれど
それでも紛れもなく日本人です。

「The venue of our dinner is a French restaurant, named Chez Oliver, which is located in Kudan, very close to Hosei.」

こうして赴いた先が
九段にあるフレンチレストランの「Chez Oliver」でした。

東京にフランス料理の店は数えきれないぐらいありますし
一流レストランだっていくつもありますけれど
「Chez Oliver」は、なんと表現したらいいのでしょう。
サプライズを通り越して、ムムムと黙ってしまうほどの衝撃でした。

さすが友人夫妻が厳選した店だけのことはあります。
シェフにお任せした料理ひとつひとつが
視覚と嗅覚と味覚の全てで、私たちを桃源郷に誘います。
一品、一品が全て、実にクリエイティブなアートです。

小さな店だけに、作り手と受け手の間に
密接な、得も言われぬキャッチボールが交わされます。

シェフもマダムもフランス人です。
溜息をついている私たちのテーブルにシェフがやってきて
ぽそりと言います。

「ぼくのおばあちゃんのレシピです。」

東海岸であろうと西海岸であろうと
アメリカではなかなか出会えぬレストランです。

気楽には行けずとも
特別な時用に
大事に大事にとっておきたいレストランです。

これほどの料理を前に
饒舌になるなんて野暮の骨頂。
本日はいまだに残る余韻の中。
ごくごく客観的に、この日のシェフのメニューをご紹介いたします。

(すみません、ワタシ、メニューを読むのが大好きなもんですし、日々勉強ですし(笑)、
 全部を理解できるわけではなくとも、まるで詩を読んでいるようにうっとりするものですから
この日もシェフにお断りした上で写真を撮らせていただきました。)

日本語とフランス語が併記されていますけれど
表題以外は日本語のみで。

RESTAURANT CHEZ OLIVIER
Le 6 Mars 2015
グジェール

カボチャのヴルーテ


黒トリュフのマカロン、仏産鴨のフォアグラ、葡萄のムーのシャンティ


温かいロワール産ホワイトアスパラガス、マリーのレシピ


天然金目鯛の蒸し焼き、イカ墨のリゾット、生生姜風味のルッコラのソース


北海道産エゾ鹿フィレ肉のポワレ ポワブラードソース
トリュフ入りじゃが芋のパイ包み焼き、キク芋のピュレ


お好みのデザート
(●赤パプリカ、ラズベリー、苺、ピスタチオ、トマトの甘いデザート
 ●筒状のキャラメリア チョコレート、アプリコット、プラリネ、ミルクとヴァニラのアイスクリーム
 ●モンブラン風デザート、ココナッツの香り、栗のアイスクリーム)


メニューには書かれていませんが
食後にはチーズとカヌレ、コーヒーまたはお紅茶が続きます。


素晴らしく美味しいパンも、もちろん自家製でした。

 
レストラン シェ オリビエ
http://www.chezolivier.co.jp/


読んでくださってありがとうございました。
どうぞ良い一日をお過ごしくださいね。

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