毎週金曜日のワシントンポスト紙「Weekend」はタブロイド版の挟み込みです。
7月26日ならば40ページにもわたって、食べる、飲む、聞く、見る、遊ぶ、学ぶなどのウィークエンド情報を掲載しています。
たとえば今週は40の映画が紹介されています。それぞれが星の数で評価されていますが、
最高点の★★★★が付けられているのはたった4つです。そのひとつが「Frutivale Station」です。それだけだって、「どんな映画だろう」と関心を惹かれるのに、あちこちで絶賛に近い映画評を目にするのです。
新聞の広告には、著名各紙&各誌によるこんな一言コメントが掲載されています。
「いかなる基準においても傑出した映画」 (Los Angeles Times)
「力づよい」 (The New York Times)
「すばらしい」 (The Wall Street Journal)
「深くせまる映画」 (USA Today)
「Grade A!」(Entertainmnt)
「止められない映画力」(Rolling Stone)
「MICHAEL B. JORDAN(主演俳優)は完璧だ。」(Time)
ここまで揺さぶられて、じっとしていることなどできましょうか。
早速、映画館に飛んで行って、今しがた帰ってきたところです。
まだ感動の余韻にひたひたと浸されています。
これは、カリフォルニアで、2008年大晦日の朝から2009年お正月の朝までの間に、22歳の黒人青年オスカーに起きた実際の話です。
もっと良い息子にならなければ
もっと良いパートナーにならなければ
もっと良い父親にならなければ
そんな風に思っていただけなのに
運命の悪意は彼をとんでもないことに巻き込んでいきます。
同棲中のパートナーと
その間の4才になる無邪気な娘と一緒に
母親のお誕生日を祝うために
蟹を買って、実家へかけつけて
おばあちゃんの料理を食べて
家族全員で心暖かな時を過ごしただけなのに
大晦日の夜に、Fruitvale駅でたまたま乗った電車で
通り雨のような事件に巻き込まれてしまうのです。
いくら細かく筋を追ったところで、この映画の衝撃を伝えることはできません。むしろそうすればするほど、この映画が単なるセンチメンタルなお涙頂戴映画、薄っぺらな正義派映画になってしまいます。それは作者の意図に反することでしょう。
作者・監督は「Ryan Coogler」と言う27歳の若手です。処女作にもかかわらず、彼はこの映画で、1月にサンダンス映画祭審査員グランプリと観客賞を獲得し、今年5月のカンヌ映画祭では「未来に向けた視点賞」を受賞しました。実際に起きた事件に触発されて脚本を書き始めたのは、南カリフォルニア大学の学生だった時と言いますから、いやはやすごい新鋭が飛び出したものです。ちなみに彼自身も黒人青年です。
この映画は、何をやってもうまくいかない、仕事も見つからない、けれども人が困っているのを見ていられないどころか、ひき逃げされた血まみれの犬まで助けようと抱き上げてしまうナイーブな優しさをもった22歳のオスカーの、あまりに短い人生の最後の2日間の物語、いえ現実です。
それがあまりにも淡々と描かれているだけに、かえって大きな荷物を受け渡されたような気になります。そしてエンドロールが流れて始めても席を立つどころか、涙を溜めたまま暗闇の中にじっとうずくまっていたい気になるのです。それが感動という言葉と同義であることに気づくまでの間、ずっと、、、、、、
まだ肝心なことをお話ししていません。
明日、もう少し続けさせてください。
ご訪問をありがとうございました。
どちらでも一つ押してくださるととても嬉しいです。
どうぞ良い一日でありますように!
ライフスタイル ブログランキングへ
海外旅行 ブログランキングへ