月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

むかでを弔った日のこと

2020-06-19 23:39:00 | コロナ禍日記 2020

 

ある日。5月10日(日)晴

 

 朝6時半に起きる。今日の瞑想は20分。紅茶を飲みながら、本を読む。

 すぐ家族がおきだしてきて、朝食となった。パパさんは無口。不穏な空気。こちらは昨晩の機嫌はすっかり直っていたので、昨晩のことを、言葉にして謝っておいた。「逆ギレしてたらごめんなさい」。

 ホットケーキを焼いて、いつもより丁寧に珈琲をいれる。別皿には夏蜜柑、キウイフルーツ、いちごなど。

 

 午前中は、仕事の時間にあてがうべき、机にむかっていたら

「ヘナを取りに行くんだろ。午後一で行くか」とパパさん。加えて、「1時から会議だけど。それまでならZOOMにつきあえるぞ。明日ライター同士でするんやろ」。

 Nも交えて3台のパソコンでZOOMを通して語らってみた。あら、これは、なかなか楽しい。画面を通して会話すると、家族なのにちょっと距離がうまれて、おもしろく喋ってみようとしたり、互いの顔も画面を通してまじまじとみたり。

 ふむ。大事な話をするのも、画面上なら話しやすい気にもなる。家族なのに、「公的な場」にいるみたい。これは発見だった。


 お昼は、パパさんの会議オリエンを聞きながらの、シーフード(小エビ、いか、干しエビ、貝柱、キャベツ、ネギ)入りの皿うどん。

 

 午後。再び、淀屋橋の「アトリエ・スタンズ」に出かける準備をする。

 靴をはいて出ようとしていたら、隣の奥さんがわが家の門扉の前にいて、まさにチャイムを押す寸前だったよう。

 「はい」とNが挨拶をすると、「そっちに、いま、むかでがいきましたんですよ。殺虫剤をかけたら、お宅の家のほうへ逃げていっちゃったんです。門扉のところからひょろひょろと、今、はいりましたから。ごめんなさい。ほら」

 とお隣さんが話し終わらないうちに、 Nとパパさんがわーわーと歓声をあげている。私も急いで支度をして、玄関の石階段をかけあがると、わが身をねじりまわり、息たえる寸前とみえる。

 両手のひらを思いっきり広げたほどの大むかでがいたそうだ。

 パパさんがダブルで殺虫剤の攻撃を加え、親指とひとさし指の先で、むかでをつまみあげ、近くの芝生の中へ投げ入れるところだけ見えた。

 どこへ飛んでいってしまったのか、どうしても気になって探す。いない、いない。と焦るも。わりと近くに、眼の真下あたりだ。水道の水栓のそば、腹を出し、白く裏返ったままのむかでがいた。手足の関節からが長く工芸品のように美しい、まだ痺れているようだ。おぉー! でかい! と眺めていると、N「早くいこう。」と促す。それにしてもこの状態(腹をみせたままの無残な姿)でのお陀仏とは、かわいそう。

 地面を掘る。

 庭から椿の葉を一折だけ取り、むかでの端をつんと固い葉の角ですくいあげ、腹から背のほうにむけ直し、カエデの葉っぱと、ピンクと白のツツジ花を集めてきて、むかでの姿が決して誰からもみえないようにして、ささやかに弔ってやった。

 

 Nに手をあわせるように促すと素直に従う。そこがあの子のよいところだ。

 

「いつまでゆっくりしてるねん」とパパさんの声で、車にのりこみ、阪神高速道路はつかわず、新御堂筋でまっすぐ淀屋橋へ。「五感」で、マンゴープリンの手みやげを買い、無事、忘れていたヘナの袋を受け取って、帰ってきた(スタンズのオーナー、先まわりしてコーヒー屋さんに引き取りにいってくれた)

 


 

 

 帰宅後。マンゴープリンを食べながらブックチャレンジ(※)の原稿を書く。

 

 すぐに夕飯準備。今晩は、しらす丼。もやし入り豚キムチ。ひじきと揚げのたいたん、ししとうと黒キクラゲ、椎茸のソテー、おみそ汁。

 PM11時から、ヘナ施術をNがお風呂場でしてくれた。 


 ふたりとも裸で風呂に入り、温まったところで、私だけが洗い場に上がって、風呂椅子に座る。N、風呂場の中から手を一生懸命にのばして、ヘナを、マヨネーズの固さ加減にして、私の髪にぺたぺた。櫛のついた筆で塗りたくる。

 肩や首まわり、おでこのあたりが泥色に。Nはそれを丁寧にタオルでぬぐいながら、自分も胸や腕にも泥が飛んでいる。1本ずつピンで留めたものをつけては取り、プロ並みの早さと腕前で仕上げていく。大学時代によく施術してくれたのだが、腕前はいっこうに落ちていない。むしろ、国際サービスの仕事をこなしているだけあって上達したくらいだ。

 2時間おく。お風呂場で、リビングで(バスローブ姿)本をよみながら、ウトウト。

 深夜1時15分。もうろうとした頭で、シャワーで流して就寝。



 

 (※)本日のブックカバーチャレンジは、谷崎潤一郎「細雪」を供します。

(中略)

 ある時。東京から学生時代の友人が遊びに来て、神戸で落ち合った。どこで食事をしようか。老舗の中華料理店でもどうか、と私が考えていると、神戸・中央区の山本通りにある「レストラン・ハイウエイに行きたい!」と友人。

 昭和の文豪・谷崎が愛した洋食屋だったそうで、その晩は赤ワインを1本空けて、最高のビーフシチューやカツレツなどを愉しみ、10時に店を出てから千鳥足で歩いて、さらに友人が宿泊するオリエンタルホテルで、飲み直した。

 翌日再会して有馬温泉の「御所坊」にて湯浴みと懐石料理を堪能して過ごす。あとで聞くと、友人はその日、午前中の早い時間に一人で神戸市東灘区にある谷崎の旧居「倚松庵」を訪れていたという。

 考えるところ、レストラン・ハイウエイ、御所坊、倚松庵…! 全て谷崎潤一郎ゆかりの場所だったのだ。それまで外国文学や個性の強い恋愛小説など、好みの本しか手を出してこなかった私が、遅ればせながら、(その友人の影響から)谷崎潤一郎を読み始めたことで、川端康成や三島由紀夫、夏目漱石、堀辰雄など、往年の文豪作品を少し読んでみるようになった。

 どの作品がどうとか、今さら私が述べることなど不要だと思うので省くが、私が心ひかれ溜息をつくベスト3といえば、谷崎潤一朗「細雪」、川端康成「古都」、そして田辺聖子さんの「雪のふるまで」。これら共通するのが、関西の情景描写が卓越していて、目の前にありありと日本の春夏秋冬が湧きあがってくることだ。