月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

 ブセナテラスの夜 (2)

2021-05-01 11:17:00 | どこかへ行きたい(日本)
 
 
 

 

 ブセナテラスのロビーに立ち、風の匂いを嗅ぐと、ああ沖縄と思う。オープンエアになったテラスの空間には外に張り出す籐の椅子。そこでチェックインした。

 一日中。このロビーで宿泊客が出入りする人を眺めていたり、本を読んだり、花々の咲き乱れる先にある海の水平線や、空の色を感じながら、時間の過ぎるのを、ただ受け止めていられたらどんなに贅沢だろうと、すでに考えている。

 とるにたらない願望だ。館内を歩き出した瞬間から、そうわかった。外の回路や廊下、エレベーターを降りた窓外、ショップなど。どこへ行っても、ロビーからの海へのプロローグは目と耳と感覚の中に引き継がれていくから。

 

 ずっと忘れていた、と気付いた。こんな時間だ。ずっと昔、オーストラリアの小さな港町、ポートダグラスからグレートバリアリーフを見に行った時の、肌感覚や、ベトナムのダナン、なんて思い出していた。海の自然のよさは、波Soundの静けさだ。







 
 


 


 

 

 部屋の中も、お風呂のバスタブでも、寄せては来る波のしじまが聞こえていた。本島では桜が開花したばかりというのに、水着に着替え、これから泳ぎに行こうとしている、そのことに心踊らされる。ロッカールームで着替えて、裸足の脚で屋内プールへ!急ごう! 





 


 プールの窓は、すべて開け放たれ、屋外プールと砂浜の気分を残したまま、泳ぎを堪能できた。

 すいすーい。すいすーい。かえる泳ぎと背泳ぎ。プールサイドでは、パソコンを広げてオンラインの映像を視ている人、子どもを遊ばせているパパさん、マスク姿で寝そべっている人もいた。

 

 プールから上がり、大浴場で汗を流す。再び、屋外のプールサイドに出る。と人の息遣いで奏でる憂鬱な金属音が。

 

たった一人、俯いてサックスを吹いていた。黒人でないのに、ブルースを奏でる男の子にも思えるそんな悲しい、身をよじる吹き方だった。プールサイドから仰ぎ見る、各部屋にあるテラスにむかって。コロナ渦で、宿泊客も少ないのに。ハワイのハレクラニ、オーキッドのフラと生演奏の陽気さを彷彿しながら、聴く。

 
 

 海岸まで出て、夕日を見た。Nがジャンプして、砂浜、海で遊びはじめて、裸足でダンスする。「撮って」「撮ってよ!」日が沈むまでの二〇分、沖縄の海風と戯れた。サックスの中で踊る。

 











 

夕ご飯は、日本食レストランで、泡盛ともに郷土料理や天ぷらやお刺身など土地の味を。

 

「牧志公設市場、面積が縮小されていたし、市場の活気も薄れて寂しかったです」

「ああ、市場ね。近くに住んでいます。何回か移転し、そのたび狭くなりました。けれど私たちにとっては居酒屋であり、遊び場、集いの場所。変わりません。観光客が大切だから地元民はもっと遠慮してと言われちゃうんですけどね」

 柔やかなスタッフと会話する。

 

 






 

 

 いま、夜の一二時。

 テラスに出て波の音を聴きながら、ポメラを叩いている。耳に聞こえる、多種類のかえるの鳴き声。あちらから、こちらからの鳥の声。ヒューヒュー、ざざー。そして、いつの時も波の音が耳に浸みついている。

 打ち寄せる波の音より、大きな声でかえるが鳴いているのが面白い。薄い暗色の海から見えていない波が、打ち寄せる。向こう岸には小さな灯りが、ひとつ、ふたつ。ひときわ明るい灯りも。船灯りもある。

 こういう時間を忘れていたなぁと思う。

 マスクが、肌と一体化しそうな日々。閉塞し、不安定で、いろいろなものを無くしそうな家での日々も、仕事も、なにもかも忘れそうだ。

 海のむこう、どこまでもどこまでも遠く続いて、延びて、届かないのがいいのだ。

 

 

 

 



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