月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

父の33回忌 法要を終えて

2021-06-27 21:06:00 | コロナ禍日記 2021

 

5月8日(土曜日)晴れ

 

 



 

 

 先週に引き続いて、再び母の家にいる。

父の「33回忌」の法要のために、昨日の夕方から一泊し、午後1時30分からの法要へ向かう。

 

5月というのに、西宮の家は寒いが、きょうは朝から気温は上がり続け、五月晴れの陽気だ。

「腰は痛いし、お墓の石段を上がったり下ったりたりできないし、今度は無理かもしれない」と母はしきりに口にしていたが、いま、私たちが乗ってきた車の後部座席にこうして一番に来て座っている。

 聞くところ、母は朝早く起きるや近くのコープデーズまで(シルバーカーをひいて)お墓にたむける仏花一式と、お寿司などを購入。数珠や線香も準備して、お化粧も念入りにし、真っ先に車に乗り込んだという。88歳にしては上々だろう。

 

 最寄り、兵庫県 八鹿の道の駅で、なにか食べようと思っていたのだが、緊急事態宣言発出のため、「閉鎖」の貼り紙が貼られていた。

普段はにぎわう9号線の道の駅もしずかなものだ。しかたなく、道の駅のベンチに腰をおろし、ペットボトルのお茶をあけた。

 

「ほら、お寿司。おいしいよ」と手渡してくれたのは母だ。道の駅、駐車場に並ぶ、数十台の車のほうを向いて、3人で寿司をつまんだ。背中から妙見山からの緑の風が、樹林の葉をゆらしていた。

 

 わが家の墓地は、思いのほか、敷地が広すぎる。春のお彼岸に、家人と墓掃除をして雑草を抜いたばかりだというのに、もう膝位置くらいには伸びている。ドクダミと竹の根が多い。

 母を、寺の境内に待たせているのだし、はやく掃除をしなければ。這うようにして両手で草ぬきをし、墓石に水をかけ、ごしごしと素手で石の水場を磨く。新聞紙を燃やして、線香をたむけるまで、30分弱だ。お墓掃除とお墓参りを済ませて走って、寺へ上がると、母は、御住職の阿闍梨(高野山の阿闍梨、密祐快氏 高照寺)と楽しそうに話していた。

 

 いよいよ父の33回忌の法要が始まった。浪々とした声で丁寧に拝んでいただいた。

般若心経の1節が終わり、「毘盧遮那佛 毘盧遮那佛 (ひろーしゃだーふー、 ひろしゃだふ) 毘盧遮那佛 毘盧遮那佛 (ひーろーしゃだーふー、 ひーろーしゃだーふー) 」のところは、阿闍梨に習い共に声を揃えてお経をあげる。

 

 位牌堂でお経を唱える時には、いつもろうそくの火の瞬きを、みつめる。ピンと張った張りのある声に、応えるように、そうそくの火は、縦に横に揺らぎ、細く飛び、激しく燃える。

 あるいは、もっともっと細くなって、左右にはみ出し燃える。火が意志をもっているよう。幽玄、という言葉を思い出した。

 ああ、と思う。ああ、来てくださっていると感じる。火の中に仏の御霊を感ずるのだ。

 

 法要のあと、ひさしぶりに座敷に座って阿闍梨と話した。大日如来のすぐ隣の席だ。

 護摩供養の話しに感銘をうけた。720年に、行基が開山した寺には、古い蔵があり、そこに護摩供養ができる「不動明王堂」を設けたという。さて観音菩薩をどうしようか。どこからもってこようかと、考えたあげく、阿闍梨自ら出雲から砂岩を取り寄せ、手堀りの石仏を一心に掘られたとのことである。

 

 ここで護摩を焚いてほしい、そういった願いも多く、臓器移植の人、癌患者など不治の病をもつ家族の願いを聞き、「不動明王堂」で護摩を焚かれた。すると、「仏は聞き入れて下さったんや。わしも奇跡は起こるんやとびっくりしたで」と阿闍梨は熱をこめて話す。

 

「で、僕は思うんですよね。現代には現代の仏が必要だ。わたしのようなものでも一心不乱に堀りまして、お性根をいれる。するとな、腰を抜かすようなことが本当におきるんや」と浪々と諭してくださった。

 

この阿闍梨、(密祐快さん)まあ、ユニークな人で、若い頃はバックパッカーでインドやタイ、Oストアリアと世界中を歩いて旅されたのだという。

 アジア、オーストリア、中南米などを放浪時に、紡ぎと原始機を取得し、珍しいシュロ縄を用いて編む、技法を学ぶ。それを作品として昇華させ(生と死をテーマの作品を発表)、自らの手で石仏や木の仏を掘る、アーティストでもある。いわゆる自分は経験主義で生きてきたそうだが、いまは、「経験はさておき、人の知恵や思いは宙を飛ぶ、ほんまにそうなんや、とわかったんです」と仰っていた。昨年まで(約3年)ブラジルで、真言宗、密教の布教に出られていた。当時の記憶をもとに、朝3時に床を出て、大和創世の古文書をひもとき、本を書いていらっしゃるらしい。またその本、すでに脱校し、英語とブラジル語に翻訳している最中にあるという。その内容もとくと話してもらった。楽しかった。

 

 集中して話しを伺っているうちに、はや3時間以上、が流れていた。奥様が、煎茶から、甘茶へ。さらに、本場のブラジルコーヒーと、飲み物を3回も供して下さるのだから、よほどこちらも粘って話しを聴いたのだろう。

 あれ? と背後をふり向く。か、風。雨? 耳を澄ますと、樹齢3百年のイチョウが、葉をざーーっ、ざーーっと葉や枝を揺らしていた音だった。台風だと疑うほど葉ずれの激しい音。すずなりの葉ずれ。それはものすごい迫力だった。

もう5時になろうとしていた。

 ちょうど、わたしが阿闍梨に「いま、こんなことを初めて試みてみました。ものになるかどうかわかりませんが……父の口癖は、……」こうでした、と話し、わたしは「この言葉をいまも支えに生きています」なんて話していた時のことだ。そして、ゴーーと大風!!に遭遇したのである。

 ふと、寺のお座敷からイチョウの大木と、水色の空を見上げるにつけ、時間が立ち止まって、こちらをみておられるような、何か大きなものに包みこんでもらっているような、温かい気持ちが訪れ、ハッとした。

 うれしくて、佳き日。母がちょこりと私の座ってくれていて、わたしは、永遠に、いまの時空に閉じこめられてもいいと思う、不思議な衝動にかられた。