月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

花のころ。平安神宮から歩く、歩く  関西の桜巡礼(3)

2021-05-15 01:00:00 | コロナ禍日記 2021

 

4月1日(木曜日)晴

 

近所の桜もいよいよ満開近し、朝に夕に花を仰ぐにつれて、気もそぞろ。再び、京都の桜が気になりだす。

ということで、友人を誘って平安神宮まで出かけていった。

 

目当ては、当然として「八重紅垂桜」だった。遅かったのか、早かったのか。朱塗りの門から、明治に作庭された神苑へ入るところで立ち止まる。

ほんとうなら、溢れるように咲き競う紅垂桜と朱塗りの建築の風雅に、心奪われるはずだけれど……。うん? 色は薄ピンクで、色香が漂う紅色ではない。

あの雪崩のごとく華麗さはいずこに。恥じらう可愛らしい花枝は? と肩すかしである。

 

たくさん、写真はとってみたもの。友人は、喜んで歓声をあげていたものの、わたしは内実、少し残念な思いでいた。






 

池泉回遊式の庭園を歩く。春の七草や新芽の緑と。花色を目に焼き付ける。

水辺へとさしかかり、淡い桜を見上げて。時間が経つと菖蒲園や、蓮が咲くのだなと回想しながらあるく。

 

 

いよいよ、最後のところだ。泰平閣から池と桜をみた。美しさには変わりはないが、何年も最高の花を見続けてきたので、やはり物足りなさを覚えていた。何を探していたのだろう。。。

 

 











苑を出る。と、に京都の写真家水野克比古氏の絵はがきが売られていた。絢爛豪華な八重紅垂桜をみて、これ。この勢いをみたかったの。

すぐさま、寺の人に訊いてみた。

 

「花の時季はこれからでしょうか。いまひとつ、寂しいようで。気のせいでしょうか」

「ああ。そうなんですな。一昨年の台風でね、ようけ枝が折れてしまいましてね。かなりの花々が被害に遭いましたからなあ。これからまた手当していきますんやけど、財政も厳しいて……」と仰る。そう思ってみると、激しい風雨に耐えた桜の花々がなお、はかなげで、愛おしさがつのる。

来年ぜひ、また足を運びたいと思いながら後にした。

 

 



 

南禅寺までまわり哲学の道のコースを歩いた。

うって変わり、満開から散りゆく桜は、それは見事だった。ざわわとふくと、虫も鳴いた。













熊野若王子神社から大豊神社まで琵琶湖疎水に沿って、細いせせらぎと哲学の道が並行して、続く。黒い枝は艶めいて、染井吉野の花が先の先まで艶やかに薄色の花を咲かせている。芝や草におちた白い花びらも素敵。

小川をながれる花びらの軽い舟がいくのを、いつまでもみていられる。時の流れがゆっくりになった。

風がざーっと吹くたびに、薄色の花が一斉に舞い散る。

とても、満足し、とてもたくさんのお喋りをしながら、銀閣寺の近くまで歩いた。

 

 

鹿ケ谷通り沿いまで降りて、「銀閣寺 㐂み家(きみや)」。一服である。

 




 

前に来てから随分とたつが、訪れるたびに休みだったので、開店していてうれしい!

ここは、赤えんどう豆に、寒天と黒密をかけた「豆かん」が有名な店だ。

贅沢に、バニラのアイスクリームをトッピングしてもらった。ふっくらつやよく、炊かれた赤えんどう豆、食べる直前に蜜をかければ、純粋なる甘さに、ほっと。おいしい。



 

たっぷりの豆が光る。賽の目に切った寒天、天草の豊かさよ、と思いほおばる。涼菓に、歩いた体の疲れが思わず吹っ飛ぶ。

 

店を出てから、まだ桜の中に出ていけるのがありがたいやら。うれしいやら。

 

 





 





帰りは平安神宮までまた歩いた。タクシーなんぞは使わないのだ。もう、日が暮れていた。ちょっと、どこかへといっても店仕舞いがはやい。あ!

創業七〇年の老舗。うどんの「おかきた」に入った。行列で入れないことしきりの店であるのに。よいこともあるものだ。初めてだった。コロナ禍だから、お客も少ないし、瓶ビールをいただいて、仕事の話しを交わし合う。

細めの京うどんに甘めのだしがよくあい、アツアツのあんの泉のなかに海老が顔をだす。ビールを1本飲みきり、満足のいくシメ。

 





 

 

花の頃。ああ、楽しや。こうして毎日そぞろ歩いてみたい。