月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

どうにかこうにか提出

2022-06-23 23:29:00 | コロナ禍日記 2022








1月25日(火曜日)
家人がリモートで自宅にいるので、朝昼夜の食事とコーヒータイムに追われながら、仕事をする。昼の3時までに1年の銀行の預金をするため、銀行へ行く。二件はしご。長い時間のロスをしたのだが、諦めかけた頃に一気にすすむ。短編1本を読む。
昼ごはん、かにみそ味のスパゲティ、
夕ご飯は、しゃぶしゃぶ。




1月29日(土曜日)
朝起きてすぐテーブルのうえで、ひとり推敲。一本目の小説が完成。提出する。もう一本、ほぼ1日で組み直して書き上げたもの(原稿用紙66枚)は、かたちが定まらない。仕方ないのでそのままにして置く。

 


2月5日(土曜日)

1月22日〜2月4日までに、学校の課題のための短編を2本書き上げた。この、書き上げることが大事なような気がしている。
本当は1月28日までに1本だけ提出するのつもりが、書いている途中から、同じテーマにおいて、もう1本、別の人たち(主人公)のことを書いてみたくなった。最終的に、2本平行して進めながら、2作目を何度も書き直して、昨日、提出する。1本目は48枚、2本めは60枚になった。


熱に浮かされていたような2週間だった。熱っぽいフィルターが自分に張り付いて、食事をしていても、お風呂に入っていても、離れなかったし、睡眠中も、そうだった。

書きながら、それを客観的にとらえ、これまでの年月を経て、書くに対するコンプレックスと闘っていたのかもしれない。下腹が疼くように、痛かったから。他人の作品を8作読み、それについて採点する下読みのようなものも引き受けた。商業的な仕事や家事、家族との日常を優先し、書くことから遠ざかっていたから、集中してやれてよかったと思う。
ただ書きなぐって、スッとしたというのでは。あまりに切ない。
きちんとあるべきかたちにして、整えてやりたいとも、思う。
一稿、二稿を送られた人々には、申し訳ない気持ちでいっぱい。

節分には、家中に豆を撒いて、丸かぶり巻き寿司を食べ、臭いけむりの中に鰯をすいすい泳がせるようにして焼いた。夫は、オミクロン感染拡大のためにここ2週間ほどリモートワーク。

 


2022年の桜行脚、記録!

2022-04-21 09:57:00 | コロナ禍日記 2022














noteを更新しています。
お時間ある時に、クリックして。

38. 桜日記)戦争の哀しみをもちながら今年の桜を仰ぐとき|みつながかずみ|writer @k_anderu #note 




京都御所から円山公園の一重白彼岸枝垂桜、祇園白川へ

2022-04-14 00:41:00 | 随筆(エッセイ)
















 
桜が咲く頃は気もそぞろである。
今年は、4箇所の桜をみて歩きました。もちろん、朝と夕のご近所の桜は毎日のように散歩で見上げています。信貴山の桜からの第2弾です!
 
(下記をクリックしてください)
 

37.京都御所から円山公園の一重白彼岸枝垂桜、祇園白川へ|みつながかずみ|writer @k_anderu #note 
 
 
 

奈良の信貴山(朝護孫子寺)まで桜詣でにいきました!

2022-04-12 00:13:00 | 随筆(エッセイ)






 

私の高校時代の友に、パワースポット好きな子がいます。神社仏閣が好きなので、同行するうちにはや5年くらいーー。

なんといっても、社寺の荘厳な雰囲気は、日頃の穢れを払い、気持ちをあらたかにする。美しい草木を愛で、庭にぽつんと座っていると、ここがいつのどの時代なのか、錯覚してしまいそうなほどに、ぼんやりしてきます。そういうひとときがたまらなく好きなので、この日も御朱印を鞄の中へ入れて、いざ出発しました!



今回は、寅の信仰で知られる、奈良の信貴山(朝護孫子寺)まで桜詣でにいきました。

約1400年前(西暦582年)、聖徳太子が物部守屋の討伐の時に、信貴山を訪れて祈願すると、毘沙門天王が出現されて、必勝の秘法を授かったとされています。この日が、寅年寅の日、寅の刻だったことから、寅の信仰がされるようになったとか。

それから後醍醐天王の時代(910年)、醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人(みょうれんしょうにん)が毘沙門天王に病気平癒の祈願をしたところ、天皇の御病気は、たちまちにして癒えてしまった、とのこと。聖徳太子は天王の姿を彫刻し伽藍を建立し、信ずべく貴ぶべき山として「信貴山」と名付けたという謂われがあるそうです。

さあ、「信貴大橋バス停」から、仁王門をくぐり、信貴山観光センターの方角へ。

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最初のパワースポットが、この開運橋です。

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信貴山の山並みと、大きな谷の緑(大門池)が見渡せる、なんとも気持ちいい眺め。関西で唯一とされるバンジージャンプが行われていました。ひょー!真っ逆さま。 緑が映る川のすぐそこまで、脚がふれそう。ロープで引き上げられて……! 手を振って笑顔で観客らに答えていました。

赤門へ。大寅へご挨拶して、かやの木稲荷に参拝。

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樹齢1400年のご神木が背後にあります。かやの木の実は仏果として絞った油は、灯明や修法に用いられるそうです。

まっすぐ上がったら成福院。融通殿へ。ここは如意融通尊をお祭りしています。融通がつく、融通がきくというのは、ここからの由来だそう。ひょうたん好きなわたしは、願いごとを書いて自宅における「融通ひょうたん」を購入しました。

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本堂から、僧らの読経の声が山全体に響いています。腹から絞り出すようなうーっと呻きにも似た声音。これがものすごい迫力です。鐘をつく高い音。二月堂のお水取りの声音を思い出すのです。信貴山の寺院にいると、祈りの声がずっと聞こえているのです。

広い境内のあちこちに寅を模したオブジェや、土産がありました。

普段なら脚が重いのに、石段も、どんどん駆け上がれてしまうのが不思議でした。汗をかきかき、ふーふーと言うはずが、タタタッと上がれてしまうのです。(全く辛いと思わない)なぜ? 気持ちが高揚しているからなのでしょうね。

次は、玉蔵院(ぎょくぞういん)に。
また寅と遭遇。ここもパワースポットだそうです。玉蔵院から本堂を眺めると、奈良市街の眺望が開けており、大和の山々や空が。

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融通堂へお参りし、その名前に惹かれて「浴油堂」にも立ち寄りました。

小さい御堂ですが、夜明けとともに護摩祈祷が行われているらしく、参拝した時から、不思議にひきつけられます。

5月と11月には一週間ずつ、秘仏「双身毘沙門天」に油を濯ぐ浴油祈祷が、寅の刻に執り行われるのだそうです。参拝後、さあ、と次へ急ごうとしたところ「奥に秘仏がありますよ」と、見知らぬ人に声をかけられました。
え! と振り返って顔をみようとしたら、「左奥です」と教えてくださり、さっさと歩いていかれました。

例のパワースポット好きの友人が、「いってみるわ」と突き進んでいくので、わたしも付いていったのです。ご本尊様の左側へまわり、奥へ、奥へと脚を踏み入れていきます。

なんとも、いえぬ仄暗さ。なんだろう、と思っていると、先に参拝した友人が、神妙な顔を。なになに? わたしも素直に参拝してきました。
後で調べたところですが、秘仏本尊のご分身として獅子に乗られ十二本の腕を持ち、八本の刀を持たれた「刀八毘沙門天像」と「八臂弁財天像」「三面大黒天像」が祀られていたそうです。

「刀八毘沙門天像」は毘沙門天像ともいわれ、源平合戦、南北朝、戦国時代の名だたる武将たちが信仰され、立身出世を遂げられたので、「出世毘沙門天」として、崇められていらっしゃる、秘仏だったとか。

ありがたい気持ちで、参拝させていただきました。

日本には、ほんと素晴らしい秘仏が、鎮まりおわすのだと思いました。いまも、こう書いているところを視ておられるような錯覚を覚えます。

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次は千手院さんに。山内では最古のお寺だそうで、ここも毎日護摩が焚かれ、福徳開運の祈祷がされているのとか。銭亀堂は、金運を呼ぶ神さまだそうで、商売繁盛や金運の招福を祈願される人が絶えず、感謝の言葉を書いた札が貼られていました。

ようやく本堂へ達することができて、ほっと一息です。

いきなり、パッと開けたかのような気持ちになり、眼下に奈良平野が見渡せました。古い御堂。近づくにつれて、僧らの読経の声が大きくなり、それは厳かな雰囲気に包まれていました。

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ここまで来たら、本堂真下にある「戒壇めぐり」を(約800年前、当山に納められた如意宝珠に触れたと同じ功徳が得られるようです)しなくては!という、パワースポットだそうですが、

階段を下まで降りたところ、暗闇とはこのことをいうのだというほど。一緒の友人の顔が全くみえず。闇が強すぎて、人の気配すら消えてしまうのです。わたしは小心者なので、その先へ進めずここは参拝料を払いながら、先へ行くことはためらわれて、前進することができませんでした。次回は、ぜひ勇気をもって挑戦してみよと思います。

お昼ごはんは、大門池を眺めつつ「松月」さんへ。

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なんだろうな。すごい食欲が湧いてきて、キツネうどんをぺろっと平らげたあとで、山菜のいなり寿司も、3つストーと入ってしまった。

それから歩いて、信貴山観光ホテルの喫茶室「ふうちん」へ。ストレートティーと、アイスクリームのパフェをいただきました

新緑がすぐそこまできています。緑とピンクの饗宴。桜にはウグイスが蜜を吸いに、あちらにもこちらにも、飛んでいて、日本の春なのだなぁとしみじみと。安寧の心地を感じることができました。

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体が軽いのと、すごい食欲!
ここのところコロナ禍でとじこもりっきりで仕事ばかりしていたのですが、一気に春が訪れたという、いい一日でした。

 

 


濃厚な睦月(短編のようなものを組み立てる)

2022-03-13 23:46:00 | コロナ禍日記 2022

 

 

 

 





 


1月25日(火曜日)
家人がリモートで自宅にいるので、朝昼夜の食事とコーヒータイムに
追われながら、仕事をする。昼の3時までに1年の銀行の預金をするため、銀行へ行く。二件はしごをした。時間のロスをしたのだが、諦めかけた頃、一気にすすむ。夜、お風呂で短編1本を読む。
昼ごはん、かにみそ味のスパゲティ、
夕ご飯は、しゃぶしゃぶ。

 

1月29日(土曜日)

朝起きてすぐテーブルのうえで、ひとり推敲。
一本目のもの(短編のようなもの)が完成。提出する。もう一本、ほぼ1日で組み直して書き上げたものは、かたちが定まらないままなので置いておく。きょうは打ち止め。

 

 

 


雲に近い山の畑。ワイナリー「奥出雲葡萄園」を訪問しました

2022-02-22 23:34:00 | 随筆(エッセイ)









 
 好きな酒はなにか、と問われたら。ワイン、日本酒、ビールの順。うまいと思えば、しばらくはこれ1本やりというのがわたしの特徴なのかもしれない。

年齢を経てくると、料理とともに味わう酒が、やはり格別と思うようになった。

そういうことから、昨年末「ふるさと納税」で、ワインをお願いした。島根県雲南市の杜のワイン&チーズセット、というのがそれ。

杜のワイン赤。杜のワイン白。奥出雲葡萄園のぶどうジュース。それに3種のチーズ(カマンベルイズモ、イズモ・ラ・ルージュ、プロボローネチーズ)のセット。チーズの銘柄には、〝木次乳業〟とある。

これはもしかしたら? そう思って調べてみたところ。思った通り! 木次牛乳が営む、葡萄園のようである。これは、と期待して、届くのを待った。

結果は、おぉーー!

 

杜のワイン赤。杜のワイン白。これが予想以上に、大当たりのように思えた。

 

続きは下記のnoteで!!! 下記の画像をクリックしてして。

 

 

|みつながかずみ|writer @k_anderu #note
 
 
 

2022年1月の日記

2022-02-15 12:49:00 | コロナ禍日記 2022

2022年の日記

 

 



 

 

 

1月22日(土曜日)
眠れなくて5時に目を覚ます。まだ宵。薄いカーテンのむこうから、白い月がみていた。消え入りそうな小ささ。そこはかとなく、こちらをみつめておいでのような。月はいつどこにいても、気がつくとそこにいる。視られている。初めてそう思ったのはバンコクの猥雑な街のなかだった。来週金曜日からの、課題がまだぜんぜんできていなくて、不安でやるせなく、ぐるぐる考えてから起きる。6時半。ペニンシュラのダージリンをいれて、外の山をみながら、飲む。結局、午後1時から7時までの「できたらはいってください」といわれていたズームにはいらず、ほぼ一日中、それを考えて、ようやく書き始めた。(短編50枚)。言葉が乏しい。アイデアが乏しい。平坦な、面白味にかけるものになりそうな予感。わたしのパソコンには、そうやって書き始めて、千字くらいで止まっているものが、ある。そこそこ。

お風呂に入るまえに、家人にいま書いているお話のあらましを話し、面白いのかどうかを、聞いてもらった。面白くないと思いながら話ている。
「それはローカルとグローバルの話ですね。ローカルのおもしろさを説いてみたら」とか。「最近、テレビで男性が洗濯機のぐるぐる回るのをみていて、いやなもの、ネガティブなものを全部、洗いながせるような気がして、いるらしいですよ」とか、アイデアのタネになるような意見をもらう。
自分にはないものが、混じる。かちっと、かたまってしまわないこと。そうすれば、文はもっと自由に伸びて、いきいきしてくるのかもしれない。

 


朝ごはんは、焼餅とりんご、コーヒー。ヨーグルト。
昼、豚キムチ。お味噌汁。
夜、ぶり大根、ちゃわん蒸し。

 

 



(写真は、1月10日のどんと)

 

1月23日(日曜日)

ぐっすり寝たせいか、朝は爽快だった。そのせいで、たくさんしゃべってしまう。勢いが止まらない。考えていたことを、次から次ぎへ口から出していってしまう。吐き捨ててしまう。それにも関わらず、気づかず、陽気に語り続けている。ばかばかしく、のんきに。止められない。

 

午後1時から4時まで仕事。なんだか急にあたまの右側の骨のようなところが、どく、どく、うずく気がした。それで、大事をとって水素浴をする(仕事でお世話になっている会社から購入した水素ガス吸入機があります)。痛みは遠のいていく。
しかし、どんどん、脳とからだに水素と酸素がはいるようになって、しまいには、すわっていられないようになり、横になった。悪寒がする。吐き気もする。
食事をとらないで、9時には寝る。

 



 

 


1月24日(月曜日)

昨晩は、早く寝たので夜中3時に目が覚める。机の前に座り、蛍光灯をつけて、3時半から書き始めた。すらすら、かける。この勢いがよいのか、よくないのか。7時半に、日がのぼりはじめたので、うずうずして散歩。気持ちよい朝もやの中を歩くのは、久しぶりだったし、気持ちがよかった。少し遠回りをして、普段の散歩より長く歩いた。途中、道ばたに、ほころびかけた薄い朱色の梅があった。紅色の梅と、ならんで咲こうとしていた。コロナ渦であつても、閉ざされたなかであっても、植物はびくともしていないのだな、と感じる。

うちに戻って、オムレツをつくった。
家人が、うれしそうに、わたしに珍しく声をかけようとしていた。
フランスの、エシレバターを結構な量をいれて、ゲランドの塩でオムレツをつくる。数年前に、パリの町中で食べたものに、近づいた気がした。

昼から夜8時までぶっつづけで仕事。途中、夕方の5時にお風呂。
さつぱり、いいものになっていない。言葉が滑って、滑って、どこまでも横道にそれ、軽薄さが増している。これ以上の軽薄を書いても仕方ないので、諦めて10時に就寝。ただ、この日はなにをたべても、口にいれるものがおいしい。健康なこと、と思える。


昼ごはんは、野菜にコーンビーフをいれたカレーライス。
夜ごはんは、カブと、人参、白菜の蒸し野菜。あじの開きのフライ。おとうふのみそ汁。

 

(つづく)

 

 


睦月の雪 2022年バージョン

2022-01-26 09:55:00 | 随筆(エッセイ)










 
おはようございます。先週の雪の降る日に書いたエッセイを貼ります。
オミクロンが吹き荒れる中、皆様くれぐれもご自愛ください。
 
 
 
 
34.キッチンの片隅で雪のごちそう|みつながかずみ|writer @k_anderu #note #寒い日のおすすめ
 
 
 

あけましておめでとうございます

2022-01-04 19:46:00 | コロナ禍日記 2022








新年あけましておめでとうございます。

ことしもよろしくお願いいたします。

 

年末に宣言していたとおり、大晦日はゆく年くる年をみて、近くの氏神様へ除夜の鐘をついて、御神酒を頂戴し、新しい年が明けました。元旦はわが家で、自分のつくったお節料理とお雑煮で。白ワインや日本酒を飲んで、テレビをだらだらみて、夜にほんの少し机の前に座ったくらい。家族だんらんというやつです。

2日の朝は、カーテンをあけたら、昨日までの寒さとうって変わっての光の強さにハッと我にかえるとともに、厳かな気持ちを覚え、実家の母のところへいそいそと。家の障子を張り替え、お仏壇に手をあわせて先祖にご挨拶し、母の顔をみて、日常茶飯事の話などを……。そうして昨晩、わが家へ戻ってきました。

 

は〜、帰宅した。と一息。

台所の引き出しをあければ、好みの紅茶の銘柄たちに、コーヒー豆に、調味料、嗜好品。使い慣れた調理器具、座り慣れたソファに、リビングから見渡せる山の稜線など。いつもの場所に、いつものモノ。こういった嬉しさ(豊かさ)を味わうために、出かけるのではないかと思うくらい。

 

リビングの奥の部屋には、机があって、いましがたまで書いていたかのような、緊張感のある仕事部屋や、お風呂の湯気のにおいや。積ん読本たち。

女とはつくづく、家が好き。いまの暮らしが愛おしい。そうやって自分のスキなものたちに、ある種、縛られることが女の幸せ、性(さが)なのでしょうか。

 

2022年の抱負は、一日をおしまいまでちゃんと生ききる、ということを捧げたいと思います。やらなければいけないことに翻弄されない。現実にちゃんと軸足をもちましょうということ。


わたしの理想の一日は、こんな風です。

 

朝起きたら、リビングのすべてのカーテンを全開して窓をあける。台所へ行って鉄瓶に湯をわかす。少し読みかけの本を読み、軽く体を動かすためのヨガ、瞑想を10分から20分。そして白湯をスーと啜ったら、朝の散歩へ出掛けるのです。

8時・9時くらいから昼1時くらいまで仕事。できるだけアイデアを膨らませるものだったり、かたちにするものを。

 

昼食をとり、午後2時半までは、SNSや読書や。


午後4時くらいから6時・7時までは午後の仕事。軽く散歩。一日のできなかったことをして、夕食準備へ。

 

夕食のあとは、好きなDVD(映画)をみる。家族とおしゃべり。ワインを飲んで、チーズなど好きなおつまみをつまんで、本が読めたら。そして日記を書けたら、なんて素敵なんでしょう。

寝る前にはお風呂で読書。遅くとも深夜12時から1時くらいまでには就寝とします。

 

仕事に追われる日も、さして追われていない日も。淡々と当たり前みたいに心をこの場所において、やる。(大袈裟に、周りに翻弄されない)それを2022年の目標といたしましょう。書く時は、魂を奪われるくらいに。狂ってもいいのです。そんな一日一日を重ねていきたい。一歩遠くへ、一歩退歩し、また遠くへ。心とからだを健やかに、遅々として歩いてゆこうと思います。

マイペースながら、どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 


クリスマスの料理と父のビーフステーキと

2021-12-29 23:10:00 | 随筆(エッセイ)





 

 

 

24日のクリスマスには、ローストビーフをメーンに、網で焼いた貝柱と海老をいれ、アボガドとサーモンを混ぜてサラダにした。鳴門金時がたくさん台所に転がっていたので、サツマイモのポタージュに。普段ならオードブルをもう一品こしらえるところを、Nもいない、夫婦ふたりなので今年はなし。替わりにふるさと納税で届いた奥出雲の白ワインをあけて、白カビのチーズを開封し、フランスパン&チーズ。ケーキは買物ついでに芦屋のダニエルで購入した。うっすら霜の降りた甲山を背に、芦屋川を流れる水面がみられて、それだけで、心が洗われ、今年のクリスマスの景色を見られたと満足する。芦屋カトリック教会も、車窓から見渡すことができた。

 

25日は、寒い一日だった。長いこと修理に出していたHERMESの時計を引き取り、大丸梅田店へ。デパ地下でバルサミコ酢とすね肉を購入。晩はビーフシチューをつくった。

 

さすがに洋食ばかり飽きたので、一昨日はブリ大根をコトコトと。青菜の白和え、ロッコリーとトマトのサラダ、バルサミコドレッシングを添えて、味噌汁。甘辛キムチ。純米吟醸を2杯飲む。

 

なんの家事も、得意でないが唯一料理だけは、そう面倒とは思わない。作り方のわからないものは、スマートフォンを開いてレシピを確認し、あとは塩梅で(ベターホームの料理本「母さんの味」「家庭料理」が実用的)。おいしいものを、口にいれることが、一日の幸せになる。

 

物を書く仕事を生業にしていると、家系に文筆家がいないのか、探したくなるが。そうはいかない。還暦の年で他界した、わたしの父は、料理人だったのだ。

 

兵庫の城崎温泉、湯村温泉や神戸三宮の料亭で修行をし、晩年には、腕をかわれて支配人として、香住、城崎で、旅館を営んだ。この頃は、父が料理人でいてくれて、ありがたかったと胸に手をあてる。思いを馳せれば、父ほどに。喰うことに貪欲で、あったかい男を、今のところは知らないから。

 

家族はもとより、親戚からわたしの友人や、自分の客人まで。躊躇せず、誰でもサッと手をさしのべられる、そんないざという時に、頼りになる男でいたかったようだ。普段から、人のことをよく見て、人のことを、よく考えていられる。そういう男だった。

 

例えば、夫婦水いらずの旅には、必ずといって義母を誘う。

「お父さんが誘ってくれる旅行では、たったの一度たりとも自分の財布を開けさせたことはない。土産までもたせてくれた」そう言われるのが、嬉しかったよう。見栄っ張りなのだ。

 

高校・大学と、実家を離れて暮らしていたが、熱を出すと、どんなに旅館が忙しくとも、時間をつくって迎えにきてくれた。「お父さんがいるから、もう安心や」そう言って、ふっくらとした大きな掌を、わたしのおでこに乗せた。

 

そんな父が、わたしのために作ってくれた料理がある。当時、わたしは小学5年。母が子宮や卵巣を全摘するため、1週間ほど入院した時だ。

父は、旅館のまかないを、食べさせることをしなかった。

ある材料で何か作ってくれるか。わたしが、なにか作るかどちらかだったと記憶している。

 

あの日、自宅(旅館ではない)の台所で、ビーフステーキを焼いてくれたのを、その味を、まざまざと思い出す。確か。かなり厚みのある神戸牛を、肉を叩く棒でパンパンと叩いたあと、鉄のフライパンに火をいれて、ゆっくり時間をかけて肉を焼いていた後ろ姿。白いコック用のエプロンをちゃんとしていた。

 

いちばん先にニンニクのスライスを焼いたと思う。ガーリックライスをあとで食べたから。バターもたっぷり使っていたはずだ、ウイスキーでフランベし、赤青い煙が、もわっと上がって、換気扇の音がカタカタと激しく鳴っていたのを覚えている。

 

 

父が、ニコニコして運んできたのは、白いオーバルプレートにのった厚いビーフステーキ。ほんのり赤色を残した、こんがりとおいしそうな湯気のたつ肉だった。にんじんとポテトの付け合わせや、カレー風味の酢キャベツ、スープ(たぶんオニオン)もあった。

 

赤身の、噛みごたえのあるたくましい肉だった。バターの香りにプンと洋酒の風味がし、これが欧風料理というものか、と。男の焼く骨太な肉料理を食べたという気がした。小学生には、少し量が多かったが。残さず食べた。美味しかったというより、嬉しかったのが先にきて……、いま、とても貴重な時間を過ごしているのだと、幼いながらにすごくわかっていたのだ。

 

父は、男のくせにすごくチャーミングに笑う。肩を大袈裟にあげて喜ぶ。

そしてうまいものを、味わう時の父の口元が、わたしは好きだった。広角を存分にあげて。目は輝いていた。

「料理は舌が肝心だ。そして、一発で味をつけること(調味料をいれる)。あれこれ、迷ってダメだ」と伝えてくれた。

 

 

「お前は、筋はいい」とよく言ったし、母が、いとこの誰やらが凄いとか、友達の誰やらが賢いとかいうと、ソッとわたしを呼んで「お前は、○○ちゃんや、○○ちゃんとは比べものにならない。お前は、有形無形の力があるからな。よく覚えておきなさい」と励ましてくれた。

 

 

父は、日本料理のなかに、蟹や伊勢エビのグラタンや、コーンスープなどを、洋風なものをアクセントに使うアイデアマンでもあった。おそらく、若い頃に神戸で食べた、ハイカラ洋食の味が父には刺激であったのだろう。うまいものに目がなく。旅好きで、金に糸目をつけず、食べ歩くのが好きだったから。

 

そうだ。香住で(兵庫県香美町)で旅館を営んでいたときに、漁師らが漁船のうえで、松葉蟹を炭火で炙って食べては、甲羅酒を飲んでいたのを話しに訊き、「焼きガニ」というのを初めて考案した(1970年代)という。当時はよく取材の人が来て、それを記事にしてもらっていた。それらのスクラップをわたしに見せ、「プロの仕事とはこういうものだ。1時間くらいの取材でここまで深く書けるんだ。お前はまだまだ。お前くらいの文章が書ける人は五万といる」と、広告会社に就職した当時、よくそう言ってわたしにカツをいれた。

 

 

まあ、親戚筋に文才のある人がいたかどうかは。分からないが。なにはともあれ日日に欠かせない、食へのこだわりと、思いやりのようなものを父から受け継いでいるとしたら御の字。これ以上の、誇らしさはない。

 

 

 

 

 

 


きょう夏がきた

2021-12-24 11:47:00 | コロナ禍日記 2021





 

7月16日(金曜日)晴れ

 

先週から、仕事ばかりをして過ごしている。

困るのは、インプットをできていないこと。全く拾い読みくらいしか、本を開いていない。1日2ページ、2ページの読書タイム。長いものばかりかいているからだ。

仕上がれば、どちらも10万字以上になるだろう。

昨年の夏あたりから取材を進め、12回の取材をしていた。すべて自前でテープおこしをするのに時間がかかった。取材の時に聞いたこと、テープおこしをしながらの復習、そして書いていく過程と3回は、その人の話すことをなぞるので、ポイントがよくわかるのである。

 

このところ、パンフレット24ページくらいのパンフレットのコピー作業、ブックライティング、9月締め切りの仕事、そしてnoteにエッセイを書きためようとする。長いものにたずさわっているのなら長距離を走るランナーのように体力がいる。それで、いま、3つのマシンをつかいわけている。

 

軽いこんな日記のような文章はポメラでかいて、スピードをあげて書く必要のあるものはMacBookエア、長編原稿については俯瞰的に、第3者的視点で書きたいのでMacBookというように。

ほんとうは、それらをメールでスティックのメモリにいれて交換しあい、推敲をしあうのと完璧なんだけれど。

 

きょう、夏がきた。

朝おきたときの光の色、あたる明度で、すぐにわかった。雨はふっても、亜熱帯のような夕立的な雨になるんだろう。

夏がはじまる。今年の夏は、仕事が山のように積まれている、受験生のよう、夏休みの幕開け。

 

 


フジコ・ヘミング昼下がりのコンチェルト in 滋賀県立びわ湖ホール 

2021-12-21 23:14:08 | 随筆(エッセイ)
 
 




 


 
 
 
 
今年も残すところあと2週間足らず。このあとの寒波が心配されます。
さて12月15日、水曜日。フジコ・ヘミングさんのピアノと、オーケストラー生演奏を聴きに行ってきました。ご興味がある方は、下記をクリック!
 

29.フジコヘミング昼下がりのコンチェルトin 滋賀県立びわ湖ホール|みつながかずみ|writer @k_anderu 
 
 
 

この頃のnote事情

2021-12-15 13:11:00 | コロナ禍日記 2021

7月9日(木曜日)晴れ

 





写真は、たねやの水羊羹とペニンシュラ香港のハイグロウンティー

ザ・ペニンシュラの150周年を記念して、ペニンシュラクラッシックティーアンバサダーのバートラ・バジョリア氏が監修をした限定ブランド。西ベンガル州の夏摘みのダージリンと、まろやかで力強いモルティ(麦芽のような)フレーバーのアッサムを合わせた、華やかな香りとミディアムボディの味わい。(説明書より)



今週は某社のパンフレットの原稿を書いている。

最近、長い原稿ばかりを書いているのでどうもコピーの言葉になれず、じたばたし、いらいらして、苦しかった。翌日から急に、資料をみていたら、書くべき要素が降ってきて、その振ってきたものにぶつけるように、バシバシと思いのたけをこめてパソコンを叩いたら、あっという間に仕上がった。

(といっても3日間かかっていた)

 

いま、デザインの仕上がりとコピーのチェックを、何往復もさせている状態だ。

 

目先の課題に終始していたら、やろうと思っていたことができない不甲斐なさで、息できないところまで来ていた。一日のうちに、4つの課題を、時間軸で区切っていこうとしたのに、一番、時間をかけてやりたかったことが、一番あとまわし、とは。

 

腹威勢といってはなんだが、noteというソーシャルメディアのプラットフォームに、エッセイやプロフールを綴りはじめてみる。ふつうの仕事であるなら、提出先のディレクターなり、編集者なり、クライアントの担当者なりの目をとおって、印刷される。が、ソーシャルメディアは、すべて自己責任である。これは怖い!

まあ、ここも同じではあるけれど。そんな読む人も多くはないだろうと思うから自然に書ける。noteは、ほぼ書くこと、描くこと、語ること、なんらか普段、発信している人たちが、書き手であり、読み手。そういう意味で刺激的でもあり、少し作り込んでいく必要がある(構築する必要がある)ソーシャルメディアだ。自意識過剰なわたしは……消しては復元し、写真をいれてみたり、取ってみたりと。自分でいうのもなんだけれど、思いの丈が大きいなら、暑苦しいものになっていっていくのが、わかる。叙情に走りすぎてしまえば、読み手からすれば、しらっとなると思うし、安易ではない。何事も凝り性のわたしは、うまく着地(自分にオッケーがでない)できず、考え込んで。時間ばかり浪費してしまうのであった。この最中にあって、君はなにをしているのだ。問いかけて風呂に入り読書を数ページし、一日が終わっていた。

 


差し歯を失くして (エッセイ)

2021-12-15 11:39:00 | 随筆(エッセイ)





 
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28. 差し歯を失くして|みつながかずみ|
 
 
 

クシシュトフ・キェシロフスキ監督のデカローグ鑑賞

2021-11-30 21:52:50 | コロナ禍日記 2021

7月8日(水曜日)雨

 

 



 

 

大雨の中、デカローグを観に映画館へいく。電車を乗り継いで、約1時間と少し。このスケジュールで、よく行けるな。とすごい根性。おまけに悪天候だ。大雨。電車の中、誰かの傘のしずくがスカートを濡らす。

 

けれど、結果としてよかった。あの、ポーランドの曇った空と、スローな会話。ハイソな生活。住宅街で繰り広げる人間模様の時間の中に身をおくことができただけでも、幸せなひとときだった。

ポーラインドの巨匠、クシシュトフ・キェシロフスキ監督。聖書に記されたモーゼの十戒をモチーフに、ある団地に住む人々の琴線にふれる人間模様を10編にわたって描いた連作。1編一時間弱。だが濃厚だ。短編小説を書いている人なんかはすごく参考になると思う。

 

 

切なくいとおしい。ナチスによる破壊から蘇った美しい都市、ワルシャワに生まれた十篇の物語は、ガラス窓と光の冷やかな感触とともに暖かく育ってゆく。樹木や風、人の表情まで結晶に変える映像に。ふたりのベロニカの予告もはしる。

巖谷國士(写真家・評論家)

 


 

電車に揺られて梅田。エルメスの時計の電池交換。大丸の「つるや」で、鰻のランチ。

人のいないデパートの気楽さったらない。まるでプールの水の中で泳いでるみたい、トレンドの服や雑貨をみることができて気持ちよかった。

 

帰宅は、昼1時半着の予定を大幅に越えて、3時前。すぐ、クライアントから電話。結局、就寝の1時まで、夕ご飯もそこそこに仕事漬け。あの、ポーランドの空気はいずこに……。絶対にDVDを買ってやろうと誓う。

(後日談 買いました。20,694円しました)