27. レギーナ・アルテール(Regina Altherr)さんのこと|みつながかずみ|writer
27. レギーナ・アルテール(Regina Altherr)さんのこと|みつながかずみ|writer
7月5日(月曜日)晴れ
週末から、ずっと仕事ばかりしている。
いま、4つの課題を抱えていて、そのうち2つは、本1冊まるごとのものだし、あとの2つも簡単にできると思うと、意外にむずかしくて時間がかかる、コピー案件と。個人的に書きためようとしているものだ。
コピーで大切なことは、どういうか(表現)ではなく、なにをいうかだ。
なのに、わたしはどういうか、に固執しすぎるから、時間がかかるのだ。この年齢になっても、これだけ経験をつんでも、初期のようなことをやっている。ちゃんちゃら、おかしくて腹立たしい。
こういう時に、無駄なTwitterのつぶやきをいれてしまい、片付かないものが迷宮入り。
クールダウンしたくて、散歩にでてみたり、川端康成氏の小説やだれそれのエッセイなどを手にしている。ますます時間がなくなり、ますます頭に血がのぼる。という事態だ。
なにをイライラしているのだろうか。
わたしも、誰かにあやかって。したいこと、したくないこと、必要なこと、必要ではないこと、のマトリックスをつくってみた。
いらいらしていた案件は、必要なこと、したくないことだった。
この潜在意識が邪魔しているのか!! いや、こういった案件を間にいれているから。物事スムーズになるのだ。もし、やりたくて面白い仕事ばかりだと、いつかは、これらの案件が、必要なこと、したくないこと、の順位にいく日が近くなるに違いない。これでいい。これが人生のなりゆき、である。
物事は、自然に、いくほうに流れていって正解なのである。
明日は、4つの課題を出さねばならない。ほんの少しずつでも手をつけてみようと思う。そうしないと前進しない。
写真は京セラ美術館 フランソワポンポン展より
7月3日(木曜日)晴れ
今朝は、とても心地よい、優しい気持ちになる夢をみた。
35歳くらいのお嬢さまが登場し、彼女とたくさん話し、信頼を深め合った。ああ、この人とお友達でよかった、とうれしい気持ちになる。小さな女の子も登場し、誰だろう、と思いながら、その彼女といろんな面白い遊びをして、これまた気持ちよくって。私ってこんなに子供が好きなんだなと思ったところで、目が覚めた。
目覚めて、いま、自分が求めているのが、心かよわせる友人であるのかもしれませんね。と思えた。同時に、夢のこまかなところはすでに忘れたけれど、夢の穏やかさに安堵し、わたし自身の凡人性をも、理解する。
夢には、その人の知能があらわれるのでは、と考えるから。
寝るとき。
8月末には書き上げていかねばならない案件のお尻のことをずっと考えていた。それが200ページほどのブックライティングの原稿なのだが、昨日、かかり始めた時にはあまりに内容が薄すぎて、悶絶したところだったのだ。インタビューは12回した。この本、誰をターゲットにして書くか、一般大衆読者とするなら、ディテールもなく、思想が浅い。どうやって面白くしていけばいいのだろうと、昨晩、
深夜11時半頃に、ひやっとした風のなかで散歩をしている最中、考えていたら怖くなったのだった。で、脳の心配とは反する夢物語だ。
2時に眠って目覚めたのが朝5時。
1時間ほど机に座って仕事をし、もう一度、布団に潜り込んでみたのが、冒頭の夢の話しである。
この頃、仕事をしているなかで、自分の中に凡人と一欠片の天才が同居しているな、と思わずにいられないことが勃発している。
まず、手相。右手が百にぎりで、左手がくそ、だそうだ。
視力に関しては、右は年々視力が落ちて、0.01。左目が1.5だ。(昔は2.0だった)
天才的にスピーディーに原稿が書けてしまというときもあれば。信じられないほど要点のつかめない、わかりくにい表現で着飾る時だけの原稿もある。
そういえば、占い師の友人に、生年月日から人生と伴侶のことを占ってもらった。
あなたの中には天才と凡才が同居している、と確かにいわれた。
また京都の大原の母には、あなたの人生は山あり谷あり、常に波風がたっている。うねりのなかにある といわれた。
ま、しかし。誰しもそうではないだろうか。どんな人でも、閃きはあるのだ。絶対に、わたし天才かもと思うほどにできてしまえる瞬間は持っている。それをどう、平常運転にするか、である。
ま、案じるより、諦めて、進んでいきましょう!
これから、少し散歩をして、仕事をはじめましょう!こうしか生きられないのだから、自分の力を過信せず、信じて、進むまでのことである。
7月1日(木曜日) 晴れのち雨 豊岡から西宮
豊岡の光はつよい。周囲を山に囲まれた盆地に、一級河川の円山川が日本海へと長いせせらぎをうねらせている蒸し暑い大気がいやおうなく、照りつける夏の時間よ。
1週間、実家で過ごす予定を、5泊6日で切り上げて、西宮へ帰る。
昨日、某クライアントのディレクターから資料をおくるから7月10日までにあげてくれないか、と連絡があったためだ。
電車の中では、4泊5日の東京遊覧の日々を、忘れないうちに綴っていた。
兵庫豊岡から丹波路の路線はまがりくねった山道が多いうえ、トンネルが多い。山をのぼったりくだったりの高低差があって、よく揺れる。ごとごと、ごとごと、お尻やおなかを左右にゆらせながら書くので、途中で気持ち悪くなって汽車に酔ってしまった。
JRから宝塚で下りてスーツケースを引き、阪急電車に乗り換える。
今回早い時間に家を出たのは、きょうまでの映画「水を抱く女」を見るためだった。クリスティアン・ベッツォルト監督。水の妖精、ウンデーネを、下敷きにした映画。
春から何度も見過ごしているので、どうしてもみたかったのだ。
ウンデーネは、ベルリンの都市開発を研究し、博物館でガイドをする。解説シーンも颯爽としてかっこよかったし、潜水作業員のクリストフと愛に落ちていくシーンもよかった。
ドキドキと胸がつまる魅惑的な映像、パッパのピアノの旋律が、わたしの鼓動に寄り添ってくる。映画にしろ、小説にしろ、よい作品には一切の無駄がない。すべてに完璧で美しく、迫りくるシーンの連続である。
深淵の水、プール、音楽、愛、別れと復讐と。そして赦し、悟り、怒り、再び哀しみに還ってくウンデーネ。人魚姫に例えられる。見られてよかった。
映像に助けられてはいるが、ミステリー小説に仕立てても魅力的な作品になるだろうと思いながら。再びスーツケースをひいて、宝塚の駅前で鯖寿司を買って、家にかえる。
自分の家を拠点にして、東京のNの家と母の家。ふりこのように、あっちからこっちへと行く日々が、これからさらに、こんな日々が増えるのだろう。
夫、娘、母。父の先祖。わたしは、その中央にたちすくんでいる。
だから、せめて家のいる時には、家の時間を大事にしていこうと誓う。
実家にいると、ここに暮らしていた様々な時代の家人の記憶が宿っている。と思う。
記憶に、守られているのだ。そして、どこにいても、眼がある。
実家を往復する日々(2ヶ月)で、改めて知った。母という女のことも、家のことも。さてと、仕事の日々に戻ろう。
6月29日(月曜日)曇りのち晴れ 豊岡にて
実家にきて3日目の晩になった。
日曜日の夕方。実家のそばのコープデイズまで一緒に行って買物をし、駐車場のところで、家族連れがあふれるところで家人に手を振って「気を付けて帰ってちょうだいね」と行ったときに、一体いつうちにかえられるのだろうか、と思った。実家にはWi-Fiがないので、携帯電話の会社にて、テザリングを取り付け、最低限のデジタル環境を整える。
朝早い時間に近所を散歩し、瞑想をし、それ以外は2階の12畳の和室にいて、たいてい仕事をしている。床の間を背にし、東向きに大きな座卓を置き、文人のようにモノを書いて、縁側の揺り椅子でポメラをたたいたり、本を読んだりしている。
わたしの幼い頃の書棚に、結構な本がそろっているのに驚く。
フランスワーズサガン、処女作の「悲しみよこんにちは」から晩年のものまで。シェイクピア、トルストイ、ヴォーヴォワール「第二の性」まで。
詩集が意外にあり、ヴェルレーヌ詩集、ゲーテ、リルケ、高村光太郎の詩集があった。ちなみに、「エースをねらえ」の全巻なども。
その中から集英社の川端康成のジュニア版をとりだし、「雪国」「伊豆の踊り子」「16歳の日記」「掌の小説」などを、いま拾い読みしている。
本を読んだり、書いたりしている以外は、母と買い物へ行き、食事をつくる。洗い物や片づけ、掃除機をかけて掃除をする。あとは母の話し相手になり、たっぷりと。そんな暮らしである。
先週の土曜日(6月20日)から、小説の講評を聞くために東京へ行き、Nの部屋を拠点にして、連日、10キロ東京都内をよく歩いた。「かえらないで、もう一日いいでしょう?」と毎朝引き止められ、定期モノの原稿を出したところだからと、4泊5日、東京にいた。
そして今度は、母のコロナウイルスワクチンを接種するサポート役として、母のところへ土曜日にやってきて、きょうで4泊目だ。そろそろ家が恋しくなってきた。88歳の母と過ごせる時間も貴重だろうと自分に言い聞かせ、こうしてふりこのように、あっちへこっちへ。
「人に求められているうちが花だから。まあ、せいぜいおったりよ」とパパさんは、ゆったり言う。ありがたいことだ。
わたしは、食事をつくることが苦にならない性格なので、もれなく、わたしがいくところには、家庭料理付きというのが、具合がいいようである。
今晩の夕ごはんは、アジの南蛮漬け、うのはな、じゃがいもとたまねぎ、長豆、胸肉の煮付け、酢の物。とりたて、ごちそうではないが。こういう家庭の味が誰しも恋しいようである。
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6月28日(土曜日)晴れ
母がいて、夫がいて、実家で過ごす時間はなぜ、こんなに安息の心地でいられるのだろうか。無意識の中で、わたしは家に一人暮らしをさせている、89歳の母のことが、相当、気になっているらしい。
だから、姿かたちが以前と変わらないところを探したりして。
几帳面に台所仕事やゴミの始末など、後かたづけをしている姿をみて、こう安息できるのだと思う。
きょうは、母のワクチン接種の日だった。
12時半に到着し、1時半には家を出た。家人(夫)のまわす車でワクチンにつれていき、ほぼ隣に立っているだけであったが母に付き添えて、よかった。
市内の保健所のそばの公民館のようなところで行われたのだが、受付の待機(50人)に始まり、受付、問診、接種前の待機、接種、5分の経過観察、30分の経過観察と。どこも長蛇の行列ばかり、待たされてばかりの接種。肩をだす65歳以上の高齢者たち。そこへ、回転イスにすわり、リズミカルに接種していく医師たち。注射器の針をさすのは、ほんの5秒たらず。あっという間のワクチン接種だった。受ける患者は高齢者ばかりだが、その人たちの表情の中に、子供の時の彼ら彼女らの面影を、わたしは探していた。(これはわたしの最近の楽しみ)
副作用が心配されたが、母は痛みも発熱もなく、全く平常と変わらないらしい。偶然にもNの職場接種も祖母と同じくきょうの2時に接種していた。メール(LINE)で知るところNのほうが、腕のほうが筋肉痛で手があがらないしい。微熱もあるとか。
夜。実家でテレビをみていたら、デルタ株(プラス)が市中感染。日本で37例出ている、という恐ろしいニュース。匂いや味覚異常に加えて、手足の末端が壊死し、切り落とさないといけない症例もあるとか。感染力は2〜5倍、外出先ですれ違っただけで感染することもあると報告されている。
今晩の夕ご飯は、ひらまさのお造り、あまだいの塩焼き、かぼちゃの煮付け、おぐらのぽんず酢、じゃがいもとしいたけの味噌汁、こんにゃくのいり煮。純米吟醸。
22. 小説を書き始めてどういう景色が見えてきたのか。 (後編)|みつながかずみ|writer
21. わたしが小説を書き始めた理由は?(前編)|みつながかずみ|writer
6月24日水曜日晴れ
いよいよ東京に来て5日めの朝。昨日は、昼と夕方、別々の仕事先から連絡があった。
今朝も、朝から定期モノの冊子のことで打ち合わせの電話。そして、友人からは、シャンソンライブをする件で席をとるなら早めにと、メールがある。
東京4泊5日もいよいよ幕引きだ。
Nはもう少し、東京にいてほしそうであったが、昼すぎの便で帰ることにした。午前中、近くのスーパーで買い物をして、簡単なものをつくる予定でいたが、Nがおすすめのカフェが洗足池にあるというので、出かけた。東急沿線の洗足池という。駅をおりて、商店街を歩く。
「634」というカフェ。
こぢんまりとしてよい雰囲気。通りをあるく人の姿が席からみえるのが、楽しい。テイクアウトのお弁当をとりにくる人が多い。これは、なかなか期待できそう。
野菜はシャッキリ新鮮で濃い味。野菜ちぢみのつけあわせ。豚のしょうが焼きも、肉厚でしっかり食べ応えがあり、家庭的な味付けでおいしかった。食後のコーヒーには、自家焙煎のケニアのものを。こんなマイナス要素がみあたらない気さくなカフェが、近くにほしいなと思う。
この頃の良いと思うカフェは、フィンランドのヘルシンキを舞台にした「かもめ食堂」のイメージが強いように思う。関西には意外に少ない。
せっかくなので、洗足池まで足をのばす。
スワンタイプのボートがつないであり、ぐるりと散策するには十分の広さ。近くの邸宅やマンションも高級、洗足池はハイソな環境だった(聞くところ、パイロットの方なども何人かお住まいという)。千束八幡神社や、弁天神社を参拝し、半夏生が咲き誇る池のまわりをぐるりと歩いて、のんびりできてよかった。東京にもこういう広々とした自然があるのだ、と思いホッとした。
昼3時の便で、帰阪。
家へかえると、蝉がなきはじめていて、風がひんやりと山から吹いてきて、ああ、やっぱり関西は、風が湿っていて(山が多いから)いいなと改めて。うちへもどって落ち着いた。5時から、仕事の打ち合わせをZoomでする。
6月22日(火曜日)曇り
今日は、根津・谷中に行こうと決めていた。
「何があるの?」と、Nはいまひとつ乗り気でなさそうだったが、「大丈夫。とっても面白いよ。下町なのに、巡るたびに面白い宝物がざくざく出てくるみたいな町よ。夏目漱石も暮らしたことがある文豪の町!」と、よく知りもしないくせに胸を張り、Nを無理矢理に引っ張っていった。
かれこれ4年前、古い友人に連れて行ってもらって以来、いつかもう一度、訪れてみたいと思っていたのである。
根津駅へ降りる。町に挨拶するために、根津神社へむかった。
境内で「大祓 茅の輪くぐり」をしつらえてあった。主に、スサノオノミコトを祀る神社で行われているもので、茅でできた輪をくぐることで心身を祓い清めるというもの。
ゆっくり20分ほど参拝し、朝倉彫刻館に向かう前に、「芋甚」さんで休憩。アイス最中(アベックアイス)を注文した。
銀色、脚付きという懐かしい器。原材料を吟味したさっぱりとした昭和のアイスを最中に挟んでいただく。おいし。大阪本町にある「ゼー六」というアイス屋を思い出す。Nは葛きりを食べていた。
気分よくなったところで、町を歩く。台湾スイーツの「愛玉子」でおなじみの店。4年前と同じく中には入れなかった。残念!
住宅地を歩くが、小さな暖簾を上げる古風な店のつくりが多い。町の風情がほっこりとする。シュークリーム屋さんがあったり、草加せんべいの店があったり、古本屋や骨董の店があったり、お墓や社寺が顔をのぞかせたり。かと思えば、小学校の校舎、カステラを売る店……などなど。
商店と人の営みがごく自然に共存している、それが無理のない自然な距離でつながっている、実に心地いい町であった。昭和っぽいのか、大正っぽいのか。よくわからないけれど、急いでいないところだけは間違いない。昭和レトロと一言でいえばそうかもしれないが、本当に人が暮らす町という感じだ。階段や坂が多く、町の街灯も、味がある。
お目当ての「朝倉彫塑館」がみえてきた。
ここは、朝倉文夫の立派な彫刻に出会えるのももちろんよいのだが、それよりも、アトリエと住居だった建物自体がもう一度見たくて、立ち寄る。昭和10年に建てられた建物は、浅倉氏が設計し、和風建築(数寄屋の住まい)と洋風建築(コンクリート造りのアトリエ)の共存。中央には、池のある石と樹木が織りなす庭を設け、建物のどの場所からも庭が望めるように配している。1階、2階、3階の構造で屋上には園芸実習の場としていたようだ。屋上からは町全体が眺められて気持ちいい。
1時間も建物を堪能したとあって、気持ちも高揚し、てくてく歩いていると、よい古本屋があった。
喜び勇んで、持ち歩くのが辛いことも考えず、白洲正子の随筆と、アリス・マンローの短編を購入した。
おしまいは、谷中銀座をぶらり。今回は谷中霊園などは行かなかった。
このまま歩くと、東京芸大があったり、上野までもすぐらしい。今度、荷物を減らして、ゆっくり歩いてみたい。
夕食は、予約していた串カツの「はん亭」へ。
夕暮れの日差しに古い佇まいが映えていい感じ。
白ワインをのみがら、コース料理をいただく。
牛ホホ肉、生麩、いんげん、コーン、えびの大葉巻き、れんこんの肉詰めカレー風、ショウガ芽、ほたて、あゆの稚魚、いか、なす、おくら、スモークチーズ。12種の串揚げをペロリと平らげた。
19. 一編の短編と秋のひんやりした空気がおいしいという話|みつながかずみ|writer @k_anderu #note #読書感想文