愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

「国技」としての大相撲は廃れてしまえば良い

2018年04月05日 11時06分02秒 | 音楽、その他文化関係

 大相撲の春巡業が2018年4月4日に京都府舞鶴市で行われた。多々見良三舞鶴市長が土俵の上で挨拶したのだが、その最中に体調に急変をきたして倒れた。このことは、日刊スポーツなどが報じているところである。
https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201804040000735.html

 さて、動画を視れば分かることだが、医療関係者と思われる女性が土俵に上がるまで男性数人が市長の周りにいても呆然とした様子で女性が男性を押しのけて土俵に登ってくるまで有効な措置がまるでなされていない。女性の行動が慣れた手付きであることを考えると、医療関係者など救命措置に関する訓練を受けている人であろうと考えられる。

 大相撲においては、女性が土俵に上がってはいけないという「しきたり」がある。こんな男尊女卑に満ちたしきたりを現代の日本社会において保持する事自体に疑問が私にはある。ただ、このようなことに目を瞑るとしても急病で倒れて一刻も早い適切な措置を必要とする人がいる状況下において「女性の方は土俵から降りてください」とは一体全体何事か。

 「伝統」とか「しきたり」と言えば何でもありじゃない。社会発展の段階に見合った社会通念とかけ離れ、人民抑圧を再生産するだけの因習は打破されるべきである。この観点から、「女性は土俵に上がってはいけない」という大相撲の「しきたり」そのものが廃れてしかるべきであろう。このことに目をつぶるとしても現実に直ちに適切な救護措置を必要とする人がいる状況下で人命救護のために土俵の上に登ったのがたまたま女性だったからと言って「女性の方は土俵から降りてください」では、大相撲固有の特異な「しきたり」を法律や社会通念の上に置くことそのものである。これでは、相撲協会はヤクザと本質的には同じ存在だと言わざるを得まい。もし、適切な措置が直ちに行われず、万が一にも多々見良三舞鶴市長が死亡すれば、誰がどのようにして責任を取るというのか。

 現状では、大相撲は暴力と人命軽視と女性蔑視を日本社会にもたらし温存する、市民社会と相容れない存在として淘汰されて廃れてしかるべきであろう。



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