若者へのメッセージ、入党エピソード
この動画は、集会で小池晃参議院議員が自身の日本共産党への入党のエピソードを語ったものです。 動画を見てみて、小池晃さんの入党の動機と、私が日本共産党へ入党した動機には、意外と通ずるものがあるものだと、私は感じました。 日本国憲法と日本社会のあり方との矛盾が日本共産党党員として生きていくことに結びつくと言うことには、小池晃さんと自分と共通しているのです。活動している分野がまるで違うのに。 小池晃さんが日本共産党へ入った動機に戦争と平和の問題があります。憲法第9条があるから日本は戦争しないと思っていたら有事立法の問題が出てきたということなんか自分の入党の動機とずいぶんと重なるものです。私が日本共産党へ入ったのは、1994年の6月です。あの頃は、羽田内閣でしたが、北朝鮮において核査察の問題が国際社会に浮上してこれを口実に羽田内閣は有事立法制定を策動したのです。アメリカのカーター前大統領やもちろん国際世論と運動の努力が実って最悪の事態はなくなりました。それにしても、日本国憲法で戦争をしないという事を決めていて、さらには軍隊を持たないと規定しているのに戦争をするための法律制定を企てるとはなんたることかと、私は心底思いました。 偶然か必然なのか、小池晃さんが日本共産党へ入党した時期と私が日本共産党へ入党した時期とでは開きがあるとはいえ、憲法第9条と日本政治のあり方との矛盾を解決しようと考えた先に、日本共産党への入党というのがあるとは、生活する環境がまるで違うのにこうまで入党の動機に共通項があることにわれながら驚いています。活動する分野などが違ってもやはり同志!なのですね。
私が、日本共産党への入党に結びつけるような契機の一つともいえることで日本国憲法と日本政治のあり方の矛盾ということでは、貧困の問題があります。日本国憲法では第25条においてすべての国民に人間らしい生活をできることを権利として位置づけていて、この権利保障を国家の義務と決めているのに現実があまりにもかけ離れているのです。
どこの地域に住んでいても、中学とか高校になると学校で習う科目の中に「公民」とか「政治経済」というのが社会科の一つの分野としてあるかと思います。その時に、一度くらいは日本国憲法の条文を読む機会が少なくない人にあったのではないだろうか、私はそう考えています。私自身、中学でも高校でも憲法を一応目にする機会はありました。
当時、子どもだった私でもアフリカ大陸などの極貧にあえいでいる国で餓死する人がたくさんいることくらいは知ってはいました。テレビなどでも、エチオピアなどの子どもたちが日々の食べ物すらまともに食べられず骨と皮のような身体の状況で栄養失調によって餓死してしまうというのは目にすることくらいはあったわけです。ものをあまり知らない私は、日本には日本国憲法第25条があるから人が餓死するような状況はないだろうと、のんきに考えていたものです。ところが、高校生だった私が"TM Network"か"プリンセスプリンセス"なんかのCDアルバムを下校途中にレコード店で買おうとしていたか、学習参考書を買おうとしていた時のことだったか記憶が定かではありませんが、通宇学でいつも利用する駅の近くのビルにある大型書店で偶然にも「福祉が人を殺すとき」(あけび書房)を目にしました。その時に、憲法第25条がありながら、政府が憲法とは真逆なことをし、そのために貧困のなかにうち捨てられ、餓死する人が出てくるという事態が日本に存在することを、私は知るようになりました。
あけび書房から出版されている「福祉が人を殺すとき」という著書が直接私の日本共産党への入党に結びついたわけではありませんが(年齢的も入党資格の要件を満たしていませんでした)、それでもこの著作が私に対して日本という国に貧困が存在していて、歴代自民党政権が弱者を虐げる政権であることを直視させました。貧困が世界と日本に存在しているということを知り、次第に私はマルクス、エンゲルスが基礎を打ち立てた科学的社会主義(マルクス主義)に関心を持ちます。実際に高校のときに私は「共産党宣言」(岩波文庫)を購入して夏休みに読んでみました。もっとも、あの時は、貧困根絶への手がかりがあるかもしれないと根性で読んでみたもののまったく理解できませんでした(苦笑)。
憲法第9条がありながら自衛隊があるという憲法と現実の乖離、憲法第25条がありながら餓死する人がいるという憲法と現実との乖離、これらは、自然発生的に生じたことではありません。歴代政権が政治的に作りだしてきたものです。憲法どおりの政治を行わない、それどころか真っ向から反する政治を行うことにより社会が悪くなる、こういったことを高校の頃から考えだし、大学に入学する頃には、問題の解決のためには現行政権(自民党政権)を打倒し、国民の利益に奉仕する新しい政府を樹立する以外に代案はないという結論に至ります。また、マルクスやエンゲルスの思想であるマルクス主義(大学へ入学する前は科学的社会主義という言葉を知りませんでした)を知り、貧困を根絶するためには、社会主義・共産主義社会をつくることを欠かせないと、私は考えるようになりました。
こんな時に、都内のある大学の合格発表の時に、日本民主青年同盟(民青同盟)と出会い、私は民青同盟へ加盟します。民青同盟と出会うきっかけとなったあの大学には残念なことに合格できず、都内の他の大学へ進学することになり、私は進学先の大学で民青同盟の活動をするようになりました。ここで、私は民青同盟のなかで一緒に活動していた先輩から日本共産党への入党を勧められて1994年6月に入党を決意しました。あの時は、第20会党大会の直前でした。
全然違うところで生活してきた人同士(例えば、私と小池晃さん)のことで、憲法第9条と第25条が日本共産党への入党のエピソードをつくる要素として出てくるのは、日本共産党が戦争のない世の中をめざし、貧困根絶をめざして党創立以来、日本共産党が戦ってきたことのなによりの証と言えます。
この動画は、集会で小池晃参議院議員が自身の日本共産党への入党のエピソードを語ったものです。 動画を見てみて、小池晃さんの入党の動機と、私が日本共産党へ入党した動機には、意外と通ずるものがあるものだと、私は感じました。 日本国憲法と日本社会のあり方との矛盾が日本共産党党員として生きていくことに結びつくと言うことには、小池晃さんと自分と共通しているのです。活動している分野がまるで違うのに。 小池晃さんが日本共産党へ入った動機に戦争と平和の問題があります。憲法第9条があるから日本は戦争しないと思っていたら有事立法の問題が出てきたということなんか自分の入党の動機とずいぶんと重なるものです。私が日本共産党へ入ったのは、1994年の6月です。あの頃は、羽田内閣でしたが、北朝鮮において核査察の問題が国際社会に浮上してこれを口実に羽田内閣は有事立法制定を策動したのです。アメリカのカーター前大統領やもちろん国際世論と運動の努力が実って最悪の事態はなくなりました。それにしても、日本国憲法で戦争をしないという事を決めていて、さらには軍隊を持たないと規定しているのに戦争をするための法律制定を企てるとはなんたることかと、私は心底思いました。 偶然か必然なのか、小池晃さんが日本共産党へ入党した時期と私が日本共産党へ入党した時期とでは開きがあるとはいえ、憲法第9条と日本政治のあり方との矛盾を解決しようと考えた先に、日本共産党への入党というのがあるとは、生活する環境がまるで違うのにこうまで入党の動機に共通項があることにわれながら驚いています。活動する分野などが違ってもやはり同志!なのですね。
私が、日本共産党への入党に結びつけるような契機の一つともいえることで日本国憲法と日本政治のあり方の矛盾ということでは、貧困の問題があります。日本国憲法では第25条においてすべての国民に人間らしい生活をできることを権利として位置づけていて、この権利保障を国家の義務と決めているのに現実があまりにもかけ離れているのです。
どこの地域に住んでいても、中学とか高校になると学校で習う科目の中に「公民」とか「政治経済」というのが社会科の一つの分野としてあるかと思います。その時に、一度くらいは日本国憲法の条文を読む機会が少なくない人にあったのではないだろうか、私はそう考えています。私自身、中学でも高校でも憲法を一応目にする機会はありました。
当時、子どもだった私でもアフリカ大陸などの極貧にあえいでいる国で餓死する人がたくさんいることくらいは知ってはいました。テレビなどでも、エチオピアなどの子どもたちが日々の食べ物すらまともに食べられず骨と皮のような身体の状況で栄養失調によって餓死してしまうというのは目にすることくらいはあったわけです。ものをあまり知らない私は、日本には日本国憲法第25条があるから人が餓死するような状況はないだろうと、のんきに考えていたものです。ところが、高校生だった私が"TM Network"か"プリンセスプリンセス"なんかのCDアルバムを下校途中にレコード店で買おうとしていたか、学習参考書を買おうとしていた時のことだったか記憶が定かではありませんが、通宇学でいつも利用する駅の近くのビルにある大型書店で偶然にも「福祉が人を殺すとき」(あけび書房)を目にしました。その時に、憲法第25条がありながら、政府が憲法とは真逆なことをし、そのために貧困のなかにうち捨てられ、餓死する人が出てくるという事態が日本に存在することを、私は知るようになりました。
あけび書房から出版されている「福祉が人を殺すとき」という著書が直接私の日本共産党への入党に結びついたわけではありませんが(年齢的も入党資格の要件を満たしていませんでした)、それでもこの著作が私に対して日本という国に貧困が存在していて、歴代自民党政権が弱者を虐げる政権であることを直視させました。貧困が世界と日本に存在しているということを知り、次第に私はマルクス、エンゲルスが基礎を打ち立てた科学的社会主義(マルクス主義)に関心を持ちます。実際に高校のときに私は「共産党宣言」(岩波文庫)を購入して夏休みに読んでみました。もっとも、あの時は、貧困根絶への手がかりがあるかもしれないと根性で読んでみたもののまったく理解できませんでした(苦笑)。
憲法第9条がありながら自衛隊があるという憲法と現実の乖離、憲法第25条がありながら餓死する人がいるという憲法と現実との乖離、これらは、自然発生的に生じたことではありません。歴代政権が政治的に作りだしてきたものです。憲法どおりの政治を行わない、それどころか真っ向から反する政治を行うことにより社会が悪くなる、こういったことを高校の頃から考えだし、大学に入学する頃には、問題の解決のためには現行政権(自民党政権)を打倒し、国民の利益に奉仕する新しい政府を樹立する以外に代案はないという結論に至ります。また、マルクスやエンゲルスの思想であるマルクス主義(大学へ入学する前は科学的社会主義という言葉を知りませんでした)を知り、貧困を根絶するためには、社会主義・共産主義社会をつくることを欠かせないと、私は考えるようになりました。
こんな時に、都内のある大学の合格発表の時に、日本民主青年同盟(民青同盟)と出会い、私は民青同盟へ加盟します。民青同盟と出会うきっかけとなったあの大学には残念なことに合格できず、都内の他の大学へ進学することになり、私は進学先の大学で民青同盟の活動をするようになりました。ここで、私は民青同盟のなかで一緒に活動していた先輩から日本共産党への入党を勧められて1994年6月に入党を決意しました。あの時は、第20会党大会の直前でした。
全然違うところで生活してきた人同士(例えば、私と小池晃さん)のことで、憲法第9条と第25条が日本共産党への入党のエピソードをつくる要素として出てくるのは、日本共産党が戦争のない世の中をめざし、貧困根絶をめざして党創立以来、日本共産党が戦ってきたことのなによりの証と言えます。