愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

ノーモアヒロシマとチェ・ゲバラ

2012年08月10日 02時21分46秒 | 戦争のない世界をめざす



 上の画像は、私がTwitterでチェ・ゲバラが広島へ行った時のエピソードを投稿した時のものです。こんなにたくさんの方々からリツイートいただけるとは思いもしませんでした。

 さて、本題に入ります。

 ご存知の方も少なくないでしょうが、キューバ革命の指導者の一人であったチェ・ゲバラは、キューバ革命政権樹立後、訪日したことがあります。これは、1959年のキューバ革命勝利後から半年ほど経過した1959年7月のことです。

 チェ・ゲバラがキューバの工業大臣として訪日した動機は、当時日本が高度経済成長を始めていたのでここから革命後のキューバを建設する際の教訓や手がかりを得ようということです。キューバは、スペインの植民地であったり、スペインから独立したかと思えばアメリカの従属国状態であったことにより、サトウキビ栽培のモノカルチャ経済という弱点を抱えていました。革命政権は、キューバ人民が豊かに暮らしていくためには経済の面でも自立しなければならないと考えており、経済面の自立を勝ち取るためには工業化を欠かせないと考えていました。これが、チェ・ゲバラの訪日へ結びついていきます(チェ・ゲバラは日本以外にも経済視察のために世界各国をまわっていました)。このとき、チェ・ゲバラは、原爆による犠牲者へ哀悼の意を表するために広島へ行きたいと考えていました。広島行きは、公式にはスケジュールになかったのですがチェ・ゲバラは、夜行列車に乗り、自費で広島へ行きます。チェ・ゲバラは、平和記念公園の慰霊碑に献花して原爆ドームを遠望する写真を撮影します。そして、ゲバラは周囲の案内役に「あなた方はこんなにされてなおアメリカに付き従うのですか」と言いました。

 チェ・ゲバラの広島訪問に関わってもう一つエピソードがあります。これは、駐日キューバ大使館としては公式のスケジュールとして日本国の外務省との打ち合わせていたことでもあった、無名兵士の墓へ詣でることをチェ・ゲバラが拒否したということです。日本は、第2次世界大戦において、アジア諸国に対して侵略戦争を行った加害国でもあります。ですから、無名兵士は、アジア諸国の人々を虐殺した帝国主義の軍隊の軍人であるというのが一つの真実です。だからこそ、チェ・ゲバラは、「無名兵士といったら、アジアで数百万人を殺した帝国主義の軍隊の人たちのことではないか、こういうところへ僕は行くわけにはいかない」と東京都内の無名兵士の墓詣を拒否したわけです。

 広島と長崎への原子爆弾投下の問題はもちろん戦争と平和の問題について、チェ・ゲバラは私達に重要なことを示しています。これは、日本国が天皇絶対の帝国主義国としてアジア諸国を侵略して数百万人もの人々を殺した加害国であることと、広島と長崎と2発の原爆を投下され、現在でも原爆症に苦しむ人々がいるという被害国であるという、2つの面を正面から見据えることが大切だということです。チェ・ゲバラは、日本をたんに原爆を2発も落とされた被害国としてだけではなく、アジア諸国を侵略して人々を虐殺した加害国であることを冷静に見ていたのです。

 現在の日本国憲法には、侵略戦争の反省に立ち、戦争をしない国を建設するために常備軍を持たないことを定めた、第9条があります。私たち日本国民が日本国憲法の平和と民主主義の原則、主権在民の原則を正しく理解するためには、第2時世界大戦中における加害国家としての日本、被害国家としての日本という両面を捉えることが不可欠です。このことをチェ・ゲバラは私たちに教訓として示しています。

 過去記事になって恐縮ですが、チェ・ゲバラが訪日した時のことを私は記事として下記の通りのURLにアップしています。よろしければこちらも併せてお読みいただけると幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/aleido_che_guevara/e/dd0bff0bd169ca2d99345428bddf1969

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