細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(32)「鉄道に感謝 ー少し遅れたくらいでイライラするな、日本人ー」 宮内 爽太(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-03 09:51:00 | 教育のこと

「鉄道に感謝 ー少し遅れたくらいでイライラするな、日本人ー」 宮内 爽太

 我々は鉄道にしろ、ダムにしろ、身の回りにある様々な「土木」の力に感謝しなければならない。このことは、本講義を真面目に受けてきた人間なら、誰しもが頷けるだろう。鉄道、そして土木がこの世から無くなってしまったらどうなるだろうか。答えは議論するまでもないだろう。今回は土木の中でも特に鉄道に焦点を当て、いかに鉄道が我々にとって必要不可欠な存在であり、重要な存在であるかについて、日常生活と緊急時に分けて述べる。そして、日常生活については日本の鉄道の時刻の正確性についても言及したい。

 まず、日常生活と鉄道の関わり合いについて。日本において、鉄道は通勤や通学の代表交通手段であり、日々数え切れないほどの人が利用している。それは他国と比べても明らかで、新宿駅や横浜駅、大阪駅など、大都市にある駅の乗降客数は世界トップクラスである。おまけに、新宿駅はその人数の多さがギネス世界記録にも認定されているようだ。また、その人数を支えているのが高頻度運行であり、山手線や京浜東北線などではピーク時には2、3分毎に電車が来るようになっている。また、その高頻度運行は在来線だけに限らず、高速で走る新幹線においても実現されている。そして、その高頻度運行をさらに支えているのが、ダイヤの正確さである。多くの鉄道会社では、到着時刻や発車時刻がおよそ15秒単位で決められており、本当にその時刻に合わせて走らせていることが何より凄いことであり、技術力の高さが確かめられる瞬間である。しかし、海外では電車が数分遅れて来るということは普通に起こり得ることであり、日本がむしろ異常なほど時刻に正確である。そのため、日本では電車が数分遅れて来るだけで苦情の嵐であり、それは高頻度で運行する路線ほど、その様子は顕著であるだろう。なぜそのように言うことができるのかについては、次に述べる、とある経験を踏まえた上での理由がある。

 私は現在、某駅で駅係員のアルバイトをしており、通学で鉄道を利用しなくとも、日常的に鉄道と密接に関わっている。通常通りの運行中、突然車両点検が必要になったり、急病人が発生したりすることなどにより、電車に遅れが生じる。高頻度で走る路線ほど、少しの遅延でホーム上は人で溢れ返ってしまい、駅や車内がパンク状態になり、入場規制をかけることもある。このような状況になると、やはり多くのお客様から、「次の電車はいつ来るのか。」、「いつになったら運転再開できるのか。」などといった苦情が、イライラした感情を込めて寄せられる。しかし、大概の場合は5分から10分もすれば運転が再開するのだが、それにもかかわらず、なぜ待つことができず、駅員にその怒りをぶつけてしまうのだろうか。実際、私の実家の地域にも電車は走っていたが、今働いているこの首都圏ほどの高頻度運行でもなければ、路線も複雑ではなかった。そこでも、電車が遅れることは勿論あったが、それほど多くの苦情や混乱には至らなかった。

 これより、対比して言えることは、電車の遅延に対する感覚の違いは、国ごとに見られるだけでなく、国内の地域ごとにも見られるということだ。例えば、山手線は2、3分待てば次の電車が来るのに対し、人口が少ない地域、特に北海道などでは1時間に1本ではなく、1日に数本というレベルの路線がいくつかある。高頻度で運行されている地域で過ごしていると、それが常識になってしまい、かつ「日本の電車は定時性に優れている」という常識が合わさった結果、電車が遅延してしまうと、その常識が覆される形になるため、不満という感情になる。交通(電車)が発展している地域ほど、それがなければ日常生活を送ることはできないのだから、もし電車が遅れてしまったとしても、すぐに感情に任せて怒るのではなく、少し許容するような余裕を持ち、逆に改めて鉄道の普段の正確さ、偉大さ、土木の凄さに気づくことができるような人間・日本人が増えることに期待したい。

 話を本題に戻すと、鉄道は私たち自身が直接乗車し、利用していなくとも、間接的に恩恵を受けている。決して、普段電車に乗らないからといって感謝しなくてよいという訳ではないのだ。その間接的な恩恵の具体例として、鉄道による貨物輸送である。貨物では、農産物や温度管理が必要な物質、液化天然ガスなどの液体品、廃油や汚泥などの廃棄物も輸送している。これらの輸送されてきたものを、私たちが食べたり、利用したり、あるいは使ったものをも輸送してらったりしている。まさに、日常生活を送るためには必要なものである。

 ここまで挙げてきた事柄から分かるように、鉄道は日常生活に密接に関わっている。

 そして、緊急時における鉄道との関わり合いについて。緊急時とは、具体的には災害発生時を想定する。災害発生時には、電車は運転見合わせになるか、あるいは鉄道構造物が直接被害を受けて、運行不可能になることがあり得る。そうなった場合、駅は帰宅困難者で溢れ出し、タクシーを待つ人々の行列ができる。鉄道がなければ、家にも帰れないような人が、災害発生時には数えきれないほど発生する。鉄道が日常生活には必要不可欠であったことが感じられる瞬間であろう。

 また、以前の本講義の論文内でも述べたように、災害時のリダンダンシーとして、被害を受けた鉄道路線を、別の路線でカバーするということが可能である。鉄道路線が複数本存在するおかげで、私たちは災害発生後からまもなくして、鉄道による国内の移動が可能になり、また、貨物も走ることができる。この鉄道のリダンダンシーの恩恵を受け、また日常生活の話に帰着する。よく言われる、「失ってから気づく大切さ」とはまさにこのことかもしれない。

 このように、鉄道は日常においても、緊急時においても、我々の生活を支えてくれる存在であり、鉄道なしに日本はここまで発展することはできなかっただろう。そして、緊急時も経験したことで、失ってからその大切さに気づくこともできた。しかし、そこから時間が経てば、また当たり前のように走っている存在として捉えられてしまうのだろう。そうなってしまわないよう、日頃から鉄道に感謝し、土木に感謝して、この先もずっと鉄道を愛し続けたい。

参考資料
・Guinness World Records “Busiest station” https://www.guinnessworldrecords.jp/world-records/busiest-station
(閲覧日:2021年11月26日)
・JR貨物HP  https://www.jrfreight.co.jp/
(閲覧日:2021年11月26日)


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