細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

プルガステル橋

2014-07-16 16:19:30 | フランスのこと

7月14日の革命の記念日に、ブルターニュ地方のBrestのプルガステル橋を見学に行ってきました。20世紀の構造工学の最大の発明であるプレストレストコンクリートの父であるEugene Freyssinet(フレシネー)が設計し、1929年に完成した鉄筋コンクリートのアーチ橋です。

Rennes(レンヌ)を拠点に、レンタカーで移動しました。以下が、今回のルートです。600キロの行程でした。地球の歩き方によれば、この地域には高速道路はなく、一般道路しかないとの説明だったので、移動にはかなり時間がかかるかな、と思っていましたが、「一般道路」は日本でいうところの高速道路でした。歴史的な経緯もあり、ブルターニュ地方の高速道路は無料だそうです。



ブルターニュ地方の道路網は非常に便利で、その考察は次の記事に譲ります。この記事はプルガステル橋の紹介に専念することにします。

RennesからBrest方面への道路に乗るのに少し苦労して、Rennesの街中をぐるぐると走ってしまいましたが、9:30ごろに「高速道路」に乗り、一回休憩をしましたが、brestまでの240kmの距離を2時間ちょっとで走破できました。記念日のため休日であり、道路が空いていたことも理由かと思います。Plougastel橋には12時前に到着しました。

以下、解説は「PC構造の原点フレシネー」(Ordonez著、監訳:池田尚治、建設図書)を参考文献としています。

Plougastel橋(プルガステル橋)は、1902年に、フェリーの代わりとしての建設の最初の要求が出され、Elorn川の両岸を安全に、永久に結ぶことが必要であった。この地方は風が強く、ブレストの停泊地は潮の干満の差が大きかった。戦争の影響もあって計画は中断され、1922年になって橋の建設が進められることになる。鉄道が必要になった場合の工夫も求められる計画であった。1930年10月9日にフランスの首相であったGaston Doumergueによってプルガステル橋の開通式が行われ、鉄筋コンクリートの分野でのフレシネーの最も大きな業績となった。

杭軸間188mのスパンをもつ3つのアーチで560mにもわたる河幅の問題を解決した。鉄筋コンクリートのアーチとしては当時、世界最長スパンであった。

この巨大アーチを施工するためのセントルは、木製の構造であり、鋼線とくぎでつなげられた4cmの分厚い板で出来ており、何百もの引張鋼線であらゆる方向から制御されていた。そして、同じセントルが3つのすべてのアーチの打込みのために使用された。以下は、アーチの施工後にセントルを移動している様子である。



第二次大戦でアーチのいくつかが損傷を受けるが、全く同じ施工方法で修復した。これ以上合理的な施工方法がなかったことを示している。

以下フレシネーの言葉である。

「ブチロン橋に関しては、悪い思い出しかない。ル・ヴァートル橋とともに、『力業』であり、少し際立ち過ぎていた。・・・・・・ 結局のところ、この2つの橋を造ったことにより、『力業』は避けなければならないことを学んだ。・・・・・・ ヴィルネヴ シェルロット橋も、プルガステル橋も『力業』ではなく、それゆえ、これらの橋は以降、模倣され、同じ形式の橋が今度は規模が大きくなって再び建造されたのである。」

プルガステル橋はフレシネーに世界的な名声を与えた。広く世界的に流通している技術誌に掲載された。その橋には、それまで不可能であるとして使用されていなかったコンクリート部材が用いられ、賞賛されるほど大胆な技術を用いて最小限のコストで建設された。

現在は、1994年に建設された斜張橋(こちらも桁はコンクリート)が主交通を担っており、プルガステル橋は以下のように歩道橋として供用されている。散歩の人や観光客でにぎわっていた。





85年、塩害環境で供用されることの厳しさは、構造物の各所で見られました。丸鋼が使われていました。かぶりの部分の質量が構造体全体に占める割合は、構造物が大きくなるほど小さくなります。従って、耐久性を確保することは構造物が大きいほど容易である、とのフレシネーのコメントが参考文献中にも見られましたが、塩害はやはりフレシネーの想像も超えてシビアな問題であった、と解釈できるでしょうか。






アーチの雄大な姿は、85年の時間を経て、貫録を増していると思われ、しばし見とれてしまいました。アーチの部分も、実は3室の箱型構造になっており、軽量化がなされています。もちろん、鉄筋コンクリート構造なので、アーチの表面には腐食した鉄筋が露出している部分も見られました。





私が一番好きな写真です。



重力に打ち克つための人類の工夫であるアーチ橋で、フレシネーをして『力業』ではない、と言わしめたプルガステル橋が85年前。その65年後に1994年に完成した斜張橋はいとも簡単に河を超えていきます。プルガステル橋の後、フレシネーが心血を注ぐプレストレストコンクリートの技術が、この斜張橋にももちろん使われています。この二つの橋を並べてみることにより、人類の挑戦と時間の重みを感じることができました。









以下は、プルガステル橋の近くにあった説明です。



ブルターニュ地方全体で、アジサイがとてもきれいでした。



以上、今後も加筆をすると思いますが、第一報としてブログに掲載しておきます。


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