あるく あかるく

健康長寿 めざしましょう

昭和のプロレス:見せるプロレス

2024-06-28 06:29:59 | 日記
片足で料理

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を盛り立てた脇役達を
振り返っています。
今週登場するのは「五輪に2度出場、デール・ルイス」です。
 1956年のメルボルンオリンピック、60年のローマオリンピック
に連続出場の輝かしい経歴を引っ提げて61年にプロレスデビュー。
その5年後の66年1月に日本プロレスに初来日しました。
 28日から翌月18日までに全4戦したリキパレスシリーズ、次いで
24日から28日までに全5戦したインター決戦シリーズにこちらも連続出場。

 2月26日と27日に行われた6人タッグマッチの2戦を振り返りましょう。
26日は馬場・芳の里・吉村対テーズ・ルイス・スカルパ戦。
1本目にテーズが18分29秒に芳の里を体固め。
2本目は馬場が32文キックで4分15秒にルイスを体固め。
3本目は両者リングアウトの引き分け。
 27日は馬場・吉村・モト対テーズ・ルイス・ベンス組。
1本目は吉村が19分23秒にベンスを押さえ込み、2本目はテーズが9分
44秒に吉村を体固め。
決勝の3本目はルイスが5分45秒に16文キックで馬場に押さえ込まれて負け。
 前日は32文の両足に屈し、翌日には片足で料理されてしまいました。

2局で放映

 4年後の70年1月に日プロの新春チャンピオンシリーズに参戦。
このシリーズのエースはボボ・ブラジル。
1月5日に実弟ハンク・ジェームスを率いて馬場・猪木のインタータッグ
に挑戦するも屈辱のストレート負け。
雪辱を期して27日にルイスをパートナーに再戦に臨みました。
 シリーズのパンフレットでは<前回来日では堅実なレスリングを日本の
ファンに披露した。
当時はプロとして「見せるレスリング」に欠けたがその後の活躍は目覚ましく、
今では全米の何処でもメインエベンターとして活躍している>とルイスを
持ち上げています。
 更に対戦を前にして<全国的に嵐を呼ぶ4巨体が相打つ史上空前の激突!
絶賛前売り中>の熱すぎる新聞広告も打たれ、ファンの期待は膨らみました。
ところが試合は盛り上がりもないまま王者組が2対1で防衛に成功。

 当時の日プロは馬場を主役に放映する日本テレビと猪木をメインに据える
NET(現テレビ朝日)の2局体制。
当然ながらこの試合は日テレが放映。
 一方のNETではシリーズ中に5回の中継があり、ルイスの試合は
3回放映されました。
1月21日のミツ・ヒライ戦、28日の山本小鉄戦、2月11日の大熊戦
でいずれも中堅相手です。
 主役の猪木のシングル戦が放映されたのはジン・アンダーソン戦だけ。
とうとう猪木との一騎打ちはテレビに映らずに終わりました。
 「見せるレスリング」の腕前が上がったのか否か、ファンは判定に
悩まされたのでした。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国語のおさらい:言葉の赤ちゃん | トップ | 日々の愚問:夏は怪談 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事