Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

金子三勇士 8/23 出光音楽賞・受賞者ガラコンサート

2012-08-25 09:26:11 | ピアニスト 金子三勇士
今年22回を迎える若手音楽家を顕彰する出光音楽賞、
オペラシティーコンサートホールで行われる授賞式、ガラコンサート、
及び受賞者を囲んでのレセプションのご案内状を頂いた。

今年度の受賞者は三名、マリンバの塚越慎子、ピアノは金子三勇士と萩原麻未。
塚越は会場に溶け込むようなピンクベージュのワンショルダーのドレス、
萩原は鮮やかなロイヤルブルーにシルバーの縁取りがあるドレス、
金子三勇士は燕尾服、髪型がかなり短くなりさっぱりと夏らしい。

その後、一人一人の紹介と演奏になる。
塚越慎子 E・セジョルネ:マリンバと弦楽のための協奏曲
マリンバをメインにした協奏曲の演奏を観るのは初めてだった。
分野も楽器も異なるが鍵盤打楽器の演奏を今までにライヴで観たのは、
コットンクラブでのファンクブラザースのビブラフォンやロイ・エアーズなど。

今回は大きなコンサートホールでのマリンバをメインにした演奏。
1700席余りの観客を惹きつけるだけの迫力に満ちていた。
インタビューの際に700本近いマレット(マリンバの演奏に使用するバチ)
を持ち、スーツケースに約100本を詰め持っているという話が出たが、
演奏中も楽章の変わり目でマレットを換えていて、
塚越ならではの拘りがあるのだと察した。

休憩を挟み、我らが金子三勇士の登場となる。
演奏前のインタビューでは、
「音楽をやっていると楽しいこともあるけれど、つらいこともある。
このような素晴らしい賞を頂くことは多いに励まされるし、
今まで応援してきたくれた方々にも喜んでいただけて恩返しができた想い。」
と感謝の気持ちを語った。

リストの手は大きかったのではとアナウンサーの女性が尋ね、
三勇士の手と大きさを較べる。
指の長さよりも掌の部分が大きいのでは、ここには筋肉があるので大切、
というような会話になった。

今回の受賞コンサートに「リスト:ピアノ協奏曲 第1番」を選んだのは、
リストの若い頃の作品であり、元気の良さ、若々しさがあり、
出光音楽賞に相応しいだけの華やかさがあるから、とのことだった。

私は金子三勇士のこの曲の演奏をちょうど一年前にもサントリーホールで聴いている。
その時は某交響楽団に某指揮者が就任してそのお披露目的な演奏会だった。
三勇士の演奏はもちろん非の打ちどころがなかったが、
指揮者、コンマス、交響楽団の人々に気を遣いながら、その中で自分を控えめに表現した、
というような印象を受けた。

今回は三勇士の授賞式であり、三勇士のための演奏会ともいえる。
自信に満ちて何の躊躇いもなく思ったままを曲にぶつけている、
そしてこの一年間で約80公演をこなしたと聞いたが、
それだけに演奏の細部まで行き届き、
もはやどんな状況にも臆しない職人芸というレベルに彼の演奏が達していることを、
容易に察することができた。
リスト音楽院で学んできた金子三勇士、リストのスピリットを受け継ぎつつ、
自分の世界を構築し、会場、観客とのコネクトも完璧な演奏だった。

続く萩原麻未 ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲
戦争で右手を失ったピアノ演奏者のために何人かの作曲家が曲を作った。
その中でも秀逸な作品とされると司会者から説明がある。
萩原はパリに在住しピアノの研鑚に励んでいるが、自転車にも乗り、
料理もしながら自然体で生活しているそうだ。
気取りのない性格が演奏にもストレートに反映されていた。

しかし途中まで司会進行があったこの演奏会、
萩原の演奏が終わった途端にライトが点き、観客は立ち上がり帰り始める。
司会者からの〆の挨拶があるのかと思っていたので意外だった。
最後に3人の共演、という形で終わっても良かったのではとも思った。
ピアノ二人とマリンバではどのような共演が可能かは想像もつかないが。

既に9時半を回っていたので、関係者パーティーには出席せず、
そのまま失礼することに。
入り口付近で金子三勇士がタキシードに着替えて来て
多くのファンの方々に囲まれている様子が見える。
写真撮影も請われて応じている。

子供の頃からピアノ一筋を貫いてきて、日本に戻った16歳からは、
日本語や人間関係や日本の習慣、更に多くのことを学びながら、
22歳となり日本音楽界で最も栄えある賞の受賞となった。
これからもこの受賞を励みに更なる飛躍を続けて行ってほしい。

この日の演奏の様子は9月16日(日)午前中にテレビ朝日系、
「題名のない音楽会」にて放映される。

指揮:村中 大祐
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
司会:池辺晋一郎・本間智恵

金子三勇士 7/26 @津田ホール

2012-07-28 10:51:36 | ピアニスト 金子三勇士
3月中旬、都内近郊都市での金子三勇士のリサイタル、
演奏もしっかりしていたし、その後のサイン会でもにこやかな表情をしていたが、
私には心なしか三勇士が少し痩せて疲れているようにみえた。

国内、海外ともにスケジュールが立て込んでいて、
その日もリサイタルの後にも別の場所でもう一度演奏する、
翌日からは地方の演奏会へと向かう、その月の終わりには海外、
と聞き、余りの彼の忙しさに複雑な思いに駆られながら会場を後にした。

それ以来、約4か月ぶりの金子三勇士のリサイタル。
会場に早めに着くとちょうどマネージャーがやって来たところで、
楽屋に案内していただくことになる。
開演一時間前を切る頃には、演奏へと向けて集中に入っているはずだし、
遠慮したいと伝えたが、全く問題はないとのことで演奏前に挨拶をすることができた。
元気溌剌、これから演奏することが楽しみで堪らないという様子が見て取れる。

今回の演奏会の主催は(株)ヒューマンビーイング。
私自身も感じたことだが、いらしていた方からも、
電話した時の応対がとても親しみがあって感じが良かった、
振込用紙やチケットが郵送されてきた封書がきちんとしていて、
その上、綺麗な切手が貼られていた、と。
演奏会へと向けて携わる人たちの一つ一つの丁寧な作業から、
その日にやってくる観客の期待感はウォームアップされていく。

リスト:ハンガリー狂詩曲 第2番
いきなり出だしから演奏者、ピアノ、観客とのコネクトは完璧だ。
最初はピアノとしっくりこない、あるいは観客との距離感を感じる、
そんな会場もある。
グルーヴ感たっぷりの勢いのある曲で滑り出す。
思わず掛け声を上げたくなるが気持ちを抑えた。

ベートーヴェン:ピアノソナタ第8番「悲愴」
この曲にここのところ、ずっと取り組んでいる金子三勇士。
完成度がどんどん高くなってきているのがわかる。
この曲の第二楽章、一般的に演奏されている曲は実際にベートーヴェンが
起こした譜面とはテンポがかなり違っているそうだ。
その原曲を一度聴かせてもらったが、それはもっと朴訥で
メッセージがよりストレートに伝わってくる、そんな粗削りさに心が揺さぶられた。
しかし何の前触れもなくこの曲を弾いたら彼がつっかえながら演奏している、
そんな風に思われるかも、と言った人もいた。
いつか彼がこのオリジナル版を演奏会で披露することもあるかと思っている。
この原曲を弾きこんだことで「悲愴」には更に深みが加わり、情感がいっそう豊かになる。

ドゥビッシー:子供の領分
この曲を聴いたのは4年前。
あたり前かもしれないが、その時とは全く印象が異なる。
曲の間に取られる間の間も観客を惹きつけて離さない。
この4か月、大変忙しいスケジュールを送ったこと、
そして4年間の彼の努力が職人芸に達する演奏へと導いたことは間違いない。

第二部
バルトーク:6つのルーマニア民族舞曲
コダーイ:セーケイ民族の歌
バルトーク:オスティナート

この三曲は先日のラジオ放送でも聴いているが、
やはり生で聴くと迫力と三勇士のハンガリーのDNA、かの地で培ってきた底力が、
炸裂する。

リスト:ピアノソナタロ短調
初めて彼がこの曲を披露したのはシャネルのピグマリオンに選ばれた2009年だった。
あれから試行錯誤、様々な解釈を取り入れながらこの曲を三勇士は演奏してきた。
今、それが彼の中で固まって一つのスタイルを作り上げたように思う。

アンコール
この日は暑い日の続く中でも記録的な高温の日だった。
久しぶりに東京へと戻ってきて再び演奏会ができたこと、
自分も楽しんで演奏することができたと語った後、
「熱中症には水分を。」とショパン「雨だれ」
「水分補給だけでなく適度な運動も。」とリスト「ラカンパネラ」

終了後、お誘いした初めて金子三勇士の演奏を聴く友人から、
「どの曲が一番、気に入った?」と聴かれた。
それぞれが私にとって愛着のある曲なので考え込んでいると、
彼女は「悲愴」、そして「ラカンパネラ」」はフジコ・ヘミングの演奏も聴いているので、
それとの対照が興味深かったこと、ハンガリー狂詩曲やリスト・ソナタの力強さが
感動的だったと話していた。

コンサートに行った後、その印象が薄れる前に、
なるべく早くリキャップを書こうと心掛けているが、
今回は二日置いてしまった。
しかしそのことで自分の中で未だに輪郭がはっきりと刻まれ、
頭の中で聴こえ続いている曲が何曲か残った。
それは後半のすべての曲とベートーヴェンのソナタだった。

終了後のサイン会、長い列ができている。
金子三勇士の人気がどんどんと高まってきていることがわかる。
そしてこの日はたいへんな暑さだったのにもかかわらず、
涼しげで身綺麗に装った方がたくさんいらしていた。
こういうのはずっと応援してきたファンとしてはとても嬉しい。

金子三勇士、三月に会った時には過密したスケジュールに心配な気持ちになったが、
4か月振りに姿を見て演奏を聴き、この忙しさが彼を鍛え上げ、
一回りも二回りも大きくなって東京へ戻ってきたことに感慨深い思いだった。
終了後一緒に写真に収まりながら「三勇士君、良く頑張ったね。」と心の中で呟いた。

金子三勇士 7/22 @NHK FM 「リサイタル・ノヴァ」

2012-07-23 11:34:24 | ピアニスト 金子三勇士
金子三勇士、一昨年の夏にもNHK・FMに登場したが、
その時は公開収録もあり、私もNHKのスタジオでの演奏に立ち会い、
後日の放送も聴くことができた。
観客の笑いや拍手、また他の出演者達との寛いだ会話の内に、
番組は進められた。

今回はスタジオにて収録され、観客はなく司会者と二人だけの会話、
ぐっと改まった雰囲気になる。

「6つのルーマニア民族舞曲」 バルトーク作曲
「“ミクロコスモス”から“オスティナート”」 バルトーク作曲

民族的なピース、音の洪水のようなバルトークの曲が続く。
この二つの曲はいつもとてもビジュアル的だと思う。
音楽から幻想的な視界が拓けてくる。

「セーケイ民俗の歌」 コダーイ作曲
民族的でありながら、近代音楽を感じさせる調べ。
ピアノの残音が演奏後もしばらく続く。

金子三勇士、バルトーク、コダーイは最も得意とするところ。
日本では余り馴染みのないハンガリー音楽の素晴らしさを
使命感を持って伝えようとしている。

「“慰め”第3番」 リスト作曲
今回は「慰め」と記載されているが、今までの演奏会では「コンソレーション」
とタイトルが書かれてきた。
豊穣な音の流れ、ロマンティシズムに心が満たされていく。

「メフィストワルツ 第1番」 リスト作曲
演奏会では勢いや激しさが印象に残る曲だったが、
NHKの録音室からの放送を聴いていると、この曲の持つ美しさ、
そしてユーモラスなところも印象的だ。
リストが遊び心を持って作曲した曲だということがわかる。

「ピアノ・ソナタ ロ短調から 最後の部分」 リスト作曲
(3分55秒)
ずっと聴き込んで来て金子三勇士のテーマ曲ともいえるこの30分に及ぶ大曲。
3分55秒聴くことにどういう意味があるのかと最初にプログラムを見た時に思った。

この曲の最後の部分にあるメッセージ、特に終わりの三音、
そこに集約されたリストの世界観、未来への予言、
何かが終わる、それが世界なのか人生なのかは不明だが、
終わった後にも救いを感じさせる、そこに込められた祈りにも近い曲の力、
その部分に焦点を当てた司会者と三勇士の説明と共に演奏を聴けたのは、
大変意義があることだったと思う。
そしていつものように三勇士がピアノから指を放った後も音が続いていく。
コンサートでは拍手でかき消されてしまい、聴こえない部分も聞き取ることができた。

トークの中では今までのこのブログのカテゴリー「ピアニスト金子三勇士」
で書いてきたことと重複する部分は省き、新たに語られた部分のみに絞ると、
「6歳から16歳までハンガリーにいて、
ほとんどハンガリー人という自分のアイデンティティーの中で、
日本人としてのDNAを探求して行きたいと思い帰国へと至った。
帰国して6年たった今、
今後、日本とハンガリーとの融合という部分を楽曲の中で表現していきたい。」
そのような内容だった。

ラジオから流れる金子三勇士の演奏を聴くのは2年振り。
演奏会では視覚に頼りがちだし周囲の観客の反応などにも惑わされる。
じっと聴覚だけを頼りに聴くことは新鮮な感動があった。
また今回はハンガリーの作曲家に絞ったことで凝縮されたハンガリー色に満ちた演奏となった。

金子三勇士、明日NHK・FMに20:20より出演

2012-07-21 21:26:22 | ピアニスト 金子三勇士
金子三勇士、明日NHK・FMにて20:20~21:00に演奏が、
放送されると連絡が来た。

実は前回のNHK/FM出演の折には我が家のラジオの受信状態が整っていないことに、
放送直前に気づき、車の中で聴くという情けない状況になった。
今回は明日の放送前に何とか家で聴ける状態にしようと思っている。

リスト「慰め 第3番」今までに聞いたことのない曲だと思ったが、
これはおそらくリスト「コンソレーション第3番」、
昨年8月のトッパンホールで初めて聴き、
12月の葛飾シンフォニーホールでも演奏されている究極の癒しに満ちた曲。

またCDには収められていないが金子三勇士の十八番、バルトーク、コダーイ、
そして最近取り組んでいる曲で迫力満点のリスト「メフィストワルツ」
もセットリストに含まれている。

明日の放送が待ち遠しい。

7月22日(日)
午後8時20分~9時00分

リサイタル・ノヴァ 金子三勇士(ピアノ)
【支配人(司会)】本田聖嗣

「6つのルーマニア民族舞曲」 バルトーク作曲
(4分48秒)
(ピアノ)金子三勇士

「“ミクロコスモス”から“オスティナート”」 バルトーク作曲
(2分09秒)
(ピアノ)金子三勇士

「セーケイ民俗の歌」 コダーイ作曲
(2分36秒)
(ピアノ)金子三勇士

「“慰め”第3番」 リスト作曲
(3分47秒)
(ピアノ)金子三勇士

「メフィストワルツ 第1番」 リスト作曲
(11分09秒)
(ピアノ)金子三勇士

「ピアノ・ソナタ ロ短調から 最後の部分」 リスト作曲
(3分55秒)
(ピアノ)金子三勇士

金子三勇士、ピアノ・リサイタル 8/18 逗子文化プラザ

2012-07-03 22:31:55 | ピアニスト 金子三勇士
ここのところ、地方ツアーの多かった金子三勇士、
東京近郊のリサイタルが二つ入っている。

7/26(木)千駄ヶ谷 津田ホールにて19:00より、
セットリストにはベートーヴェン ピアノソナタ第8番『悲愴』
        リスト ハンガリー狂詩曲第2番・ピアノ・ソナタロ短調
等が予定されている。

そして8/18(土)逗子 逗子文化プラザにて14:00より、
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zushisalon/
こちらは、前半はバルトーク、ベートーヴェンばかりか、
ドビュッシーの「子供の領分」が予定曲に含まれている。

この曲、聴くのはいつ以来かと自分のブログのカテゴリー「ピアニスト 金子三勇士」
を検索してみた。
2008年6月に行われたデビュー前のカワイコンサートサロンでのリサイタル以来。 
実に4年振りにこの曲を聴くことになる。

金子三勇士、今から久々に演奏するこの曲へと向けて、練習に余念がない。
かつて師事したリスト音楽院の教授の執筆した「音楽史」
この曲についてのエピソードがあることから現在、熟読しつつ曲の解釈を深めているそうだ。

4年前、まだ大学に入ったばかりだった金子三勇士。
その時に自分の今現在、プロとして日本中をツアーで巡る忙しい日々が来ることを、
想像しただろうか。

これから4年後の金子三勇士、日本ばかりか世界で引く手数多に活躍する、
そんな日々がきっと来ると確信している。

金子三勇士 出光音楽賞受賞

2012-03-01 12:21:01 | ピアニスト 金子三勇士
昨日、金子三勇士君から出光音楽賞受賞決定の連絡を貰った。
公式に発表されるまでブログに書くのを待とうかと思っていたところ、
昨夜から既に音楽関係のサイトなどに受賞の記事が掲載され、
マネージャーや親族の方もツイートされていたので、
私もここに書かせていただきます。

出光音楽賞、クラシック音楽を中心に時には邦楽、ジャズなど
他分野にも賞が与えられる。
伝統的な音楽における日本で最も権威ある賞。
今までの活躍と今後の飛躍が期待される若手アーティストに授けられる。
これからの海外への遠征などの活動費として賞金もあり。
テレビ朝日系においての演奏の放映、受賞者コンサートも行われる。
http://www.idemitsu.co.jp/music_prize/about.html

金子三勇士の日々の努力がこのような形で報われた。
これはCDを買い、コンサートへと足を運んでくださった皆様の応援があってこそ。
これを糧に更なる精進を重ね、日本から世界へと羽ばたき、
日本が誇る世界的なピアニストと言われる日が待ち遠しい。

金子三勇士 ローランドデジタルピアノ CMに出演

2012-02-25 17:11:58 | ピアニスト 金子三勇士
画像は大阪いずみホール楽屋にて身支度をする金子三勇士。

金子三勇士、今年初めからツアーが続いている。
自分のリサイタルの他にデュオ、オーケストラとの共演、
少なくても週に一日、多い時では6日連続(リハーサルも含めると7日)
という過密なスケジュールだ。

週末は地方都市で演奏することも多く、
ここのところ、中々、都内で聴く機会がない。
昨日、新しい動画をみつけた。

ローランド、以前にVピアノのコマーシャル、
ジョージ・デュークなどの解説と共に、
三勇士の弾くリスト「ハンガリー狂詩曲第2番」が流れていたが、
今回は金子三勇士がメイン。

コマーシャル映像の他に、
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻より「プレリュード/No.9」、
バルトーク:オスティナート「ミクロコスモス」、
リスト:「愛の夢第3番」、コマーシャル用にテイクされたデモ映像がみつかった。

本人もこの動画、アップロードされていることを知らなかったようだ。
それぞれ様々な角度から撮影され、
またバッハはこの楽器のハープシコード・モードを使って演奏されている。
他の演奏がピアノ曲として書かれたものなら、ピアノのなかった時代のバッハ、
この演奏は実際のバッハの曲を忠実に再現していることになるのでは。

リサイタルに行けない分、映像をしっかり堪能させてもらった。
違った雰囲気の3曲から、コマーシャル用の映像としてローランドが選んだのは、
最もダイナミックなバルトーク・オスティナートだった。

HP507 Digital Piano Demo #2 Performed by Miyuji Kaneko

金子三勇士 オデッサ歌劇場管弦楽団 2/5 @横浜みなとみらいホール

2012-02-08 00:18:24 | ピアニスト 金子三勇士
地下鉄みなとみらい駅で降りると、みなとみらいホールまで直結して行くことができる。
横浜近郊でもこの辺りは未来都市のような不思議な空気感がある。

金子三勇士、2009年の8月に二日連続で東京国際フォーラムにて、
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番を演奏している。
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20090813
その年の9月にテレビで放映されたこの曲の映像もyoutubeにアップロードした。
http://www.youtube.com/watch?v=I7Bkh4ZuldU
金子三勇士の演奏するチャイコフスキー ピアノコンチェルト、
二年半振りで聴くことができるこの日を心待ちにしていた。

ウクライナ国立オデッサ歌劇場管弦楽団、
この時期のオペラ公演と合わせて来日時にオールチャイコフスキープログラムで公演を行う、
といった趣旨のコンサート。
二人のマエストロも共に来日している。

大序曲「1812年」
ピアノ協奏曲第1番
交響曲第5番

大序曲は続くピアノ協奏曲へとの序曲の如く始まり、
近未来都市を思わせるコンサート会場は一気にロシアの宮殿劇場の雰囲気へと変わる。
円熟期のチャイコフスキーの作品 交響曲第5番は、ピアノ協奏曲第1番の清々しさから、
余韻を残してコンサートを締め括った。

19才の金子三勇士の演奏したピアノ協奏曲第1番も、
若手のピアニストとして注目されるきっかけともなり、
瑞々しい演奏、ダイナミックな部分がその時は印象に残ったが、
今回は演奏の力強い部分はもちろんのこと、
弱音、例えば片手で奏でるフレーズの優しい響きの美しさが際立って感じられた。

アンコールはバルトーク「トランシルバニアの夕暮れ」
ロシアの風景を思わせるピアノ協奏曲からハンガリーの夕暮れの情景へと繋げた。

ウクライナ国立オデッサ歌劇場管弦楽団、
日本の交響楽団とは明らかに違いが感じられる。
細かい部分よりも情感に訴えてくる部分が大きい。
また自分の国の生んだ偉大な作曲家であるチャイコフスキーの曲への
誇りと思い入れが深いことも演奏を聴いていて充分に伝わってくるものがある。

ユーモラスで親しみを感じるキャラクターのマエストロ、
ウクライナの管弦楽団と金子三勇士、この日はリハーサルも入れると演奏7日目。
それぞれ疲れも出ているのかもしれないが、公演が連続していることにより、
息の合った演奏、見事な調和を生み出していた。

金子三勇士 ピアノ・リサイタル @葛飾シンフォニーヒルズ 12/3 2011

2011-12-04 09:37:28 | ピアニスト 金子三勇士
実家の両親と一緒に住む末の弟の突然の病、
その後、救急で入院した地元の病院から都心の病院に移り、
2回の手術を経て昨日の午前中、退院に至った。

文章にしてしまえばたった一行の出来事だが、
その間、手術以外の方法はないのかとか、
手術は避けられないとわかった時に、
できれば他の病院に転院させたい、
そのためにはどの病院が適切で、
どうしたらそれができるだろうなど家族で話し合ったり、
ネットで検索したり試行錯誤の日々が続いた。

転院後、2回の手術はそれぞれ5時間と13時間を超え、
手術の翌日に行なわれた検査も3時間近く掛かり、
その後に容態が悪化してしまい、ICUに6日間滞在することになった。
これも数字に出してしまえば、決して長い期間ではないかもしれないが、
この間の私の緊張と心配はマックスに達していた。

病院に通いながら弟よりもたいへんな状況にある人達やその家族を
脳外科の病棟やICUで見かけ、いろいろなことを考えさせられた。

ICUから一般病棟の集中治療室へ、
そこから普通の病室に移って一週間後、
主治医から退院の話があった。
最初は命の危険もあり、その後は障害が残る不安もあったのが、
こんなに早く退院へと運ぶとは思ってもみなかった。

その間、予定していたライブ、コンサート、イベント、
お誘いいただいていたお約束をすべてお断りしていた。
ブログ、facebook、Twitterもお休みしていました。
ご迷惑をおかけしてしまった皆さん、申し訳ありませんでした。
事情を伝えた方達から頂いたお見舞いのメッセージ、励みになりました。
ほんとうにどうもありがとうございます。

12月3日、チケットを買ってあった金子三勇士のコンサート、
行けないかもしれないと思っていたものが、
会場は実家の近くでしかも3時から。
久々で三勇士の演奏を聴くことができた。

葛飾シンフォニーヒルズ、金子三勇士は昨年にこの施設内のモーツァルトホールにて、
梅田俊明指揮のオーケストラとの共演でショパン・ピアノ協奏曲第一番第一楽章、
ガーシュウィンピアノ協奏曲、またチャイコフスキー「くるみ割り人形」の中の「あし笛の踊り」
(この曲はピアノではなくチェレスタ)などを披露している。

今回は階下のアイリスホール、客席は約300席余り。
会場に入るとピアノの調律が行なわれている。
金子三勇士専属の調律師の方の姿を見ると安心する。
必ず三勇士の演奏する曲、好みの音、会場の雰囲気に合わせて絶妙の仕事をしてくれるからだ。

リスト・ハンガリー狂詩曲第2番
三勇士のデビューCD「Miyuji Plays Liszt」にも収録されている曲。
いつもながら生で聴くと迫力に圧倒される。
コンサートのオープニングにふさわしい曲だ。

バッハ・フランス組曲第6番
厳かな調べが三勇士の雰囲気に合っている。
ピアノのない時代に作られた作品、どのように色をつけるかは、
演奏者の腕と解釈に掛かっている。

この後に続くバルトークの三曲は圧巻だった。
6つのルーマニア民族舞曲
セーケイ人達との夕べ
オスティナート

コンサートで会場に来て演奏を聴いているという状態から、
別の世界へとトリップしてしまうという素晴らしい瞬間に稀に出会うことができる。
この三曲を聴いていて秋空に夕日が沈んでいく様子、雪景色、あるいは盛夏の山の渓流、
様々な情景が浮かんできてしまった。
また弟と子供の頃に一緒に遊んだ思い出まで鮮やかに蘇ってくる。
聴きながら涙を抑えることができない。

金子三勇士、ハンガリーのライターから受けたインタビュー中で、
「自分は何世紀にも渡って受け継がれてきた偉大な作曲家達の曲を
仲介する立場であると思っています。
想像性を保ちながらも作曲家の意図に忠実に曲を再現することが
自分に課せられた役目。」と話している。
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20110330

それでもこのバルトークの演奏を聴いていると、
金子三勇士にとってバルトークとは特別な存在なのではないかと思えてくる。
先週、朝日カルチャーセンターで行なわれた演奏+真嶋雄大との講演「バルトークらしさとは」
を聴きそこなったのは残念だった。

第二部はベートーヴェン・ピアノソナタ第8番「悲愴」
第二楽章がいつになく胸に迫ってくる。
ビリー・ジョエルがこのメロディーをベースに作った"This Night"
と言えば曲が耳に浮かんでくる方もあるかもしれない。
第二楽章は厳しい状況の中にもある希望や喜びを奏でる人生賛歌に聴こえた。
ここでも目頭が熱くなってきた。

リスト・ラ カンパネラ
演奏会においては贅沢な事と思いながら、目を閉じて聴く。
目の前のピアノも演奏者も消え、聖堂で鐘の鳴る音を聴いているような美しさに身を委ねる。

リスト・コンソレーション
タイトルの通り、真の癒しを感じさせる曲だ。

リスト・メフィストワルツ
「コンソレーション」と共に8月のトッパンホールにてのランチタイムコンサートで初めて聴いたが、
こちらは思いっきり遊び心のある曲。
しかし演奏者にとっては技巧を酷使する難易度の高い曲。
先程のコンソレーションとは対極にある選曲だ。
メフィストとはゲーテの「ファースト」中からではなくレイノ―の作品がイメージされているそうだ。

「金子三勇士 トッパンホール・ランチタイムコンサート 8/3」
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20110806

ここでプログラムは終了。
金子三勇士から挨拶が入る。
天候の悪い中、風邪の流行っている中をコンサートまで足を運んでくれた観客への感謝、
自分も風邪気味なのでメフィストワルツでは汗をかいて燃焼したとの話に笑いを取る。
「お楽しみいただけましたでしょうか?」との問いかけに会場からは暖かい拍手が沸いた。

アンコールはそれに応えて、
リスト・愛の夢第3番
この曲の持つ優しさはまさに究極の愛の調べ。

まだ拍手は鳴りやまず、観客の熱い思いを受けてもう一曲アンコールが続く。
「更に体温を上げたいと思います。」との語りに何の曲だろうかと身を乗り出す。
それは「パガ二ーニ練習曲第2番」だった。

コンサート後、CDの販売と共に本人のサイン会があり長い行列ができていた。
金子三勇士が丁寧に一人一人に挨拶しサインをする姿を横目に見ながら、
時間がないので会場を後にする。

勢いのある曲で観客を元気づけて会場から送り出した金子三勇士。
本人も今日からコンサートのために北京へと旅発つとのことだった。

この日の演奏会は、いつまでも私の思い出に残る特別なリサイタルになった。

金子三勇士 10/16 「大田区障害者の日の集い」に参加

2011-10-17 08:31:30 | ピアニスト 金子三勇士

10月16日、日曜日の午前と午後に渡って蒲田駅前アプリコで行なわれた
「大田区障害者の集い」クラシックコンサート、
予定されていた視覚障害者のピアニストの方が体調を崩されたため、
急遽、金子三勇士が代役で演奏することになった。

金子三勇士、今週末には名古屋、大阪でのリサイタルを控えている。
「リスト生誕200年記念コンサート」に向けて、
演奏曲目の練習に励んでいたところに急に決まったコンサート。

代役で弾くのはショパン「ピアノ協奏曲第1番」
2010年の4月にオペラシティーで東京フィルとの共演で演奏。

2010年4/22、金子三勇士「ショパンピアノ協奏曲第1番」
広上淳一指揮、東京フィルハーモニー楽団
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20100423

その後、同年7月に葛飾シンフォニーホールでショパンピアノ協奏曲第1番第1楽章のみの演奏。

金子三勇士 2010年7月4日 「おなじみのクラシック音楽大集合」
梅田俊明指揮クラシックオーケストラ
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20100704

それ以来、コンサートでは演奏していなかった曲を短期間で仕上げることになった。
13日になってオーケストラ、東京フィルと指揮者、大友直人とのリハーサルが行なわた。

13日の朝、大田区役所に問い合わせると、
既に前売りのチケットは販売終了している。
開演1時間前に売り出される当日券のみとのことだった。

金子三勇士の弾くショパン「ピアノ協奏曲第1番」には特別な思い入れがある。
また家からそう遠くない場所にこのコンサートホールがある。
2時開演の午後の部を観に行くことに決め、地元の友人たちにも声を掛ける。
会場すぐ近くに住む友人夫婦が自転車で駆け付けてくれた。

2階席、バルコニー席もある1400人収容のホール。
一階前方は車椅子の方用に座席を外して対応。
中央が障害者の方達のための座席。
また一階後方には通常の車椅子席を更に広げて、
たくさんの方がそれぞれの障害の状況に応じて移動可能なように、
空間が作られている。

司会者の紹介で担当の方の挨拶、
そして東京フィルのメンバー、指揮者の大友直人が登場し、
ヘンデル「水上の音楽」

金子三勇士が壇上に迎い上げられショパン「ピアノ協奏曲第1番」
この曲は19才のショパンが母国ポーランドを離れる決心をし、
旅立つ前のコンサートで披露した曲。
ショパンのポーランドへの想い、これからの将来への夢など、
いろいろな気持ちが込められた曲。

また金子三勇士にとってもこの曲を初めて演奏した昨年の4月は、
ピアニストとしてプロでの契約が決まったものの、
まだデビューコンサートにも至っていなかった時期。
この曲へのショパンの想いと当時の金子三勇士自身の心境が重なる。

オーケストラの演奏が続きピアノの演奏が始まる。
その瞬間、ここに至るまでの金子三勇士のピアニストとしての
道のりが胸に迫ってきた。

階下の会場を見ると、知的障害者の方で気に入った場所で手拍子を取ったり、
リズムに乗って踊っている人もいる。
演奏中にも掛け声が掛かる。
これはクラシックコンサートでは稀でもR&Bのコンサートでは普通のこと。

本来ではクラシックコンサート、楽章の終わりでは拍手が入らないはずだが、
第一楽章の終わりに拍手が入る。
第二楽章の終わりでは最後のピアノの演奏が終わる前に拍手が始まるが、
金子三勇士、落ち着いて拍手をかき消すこともなく弱音の部分を演奏、
第三楽章に繋げる。

2009年、金子三勇士が東京国際フォーラムでの子供のための演奏会で、
チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」を演奏した際、
司会進行の三枝成彰氏が「クラシックでも楽章ごとに拍手しても、
気に入れば前に出てきて気持ちを表してもスタンディングしても良いと思う。」
と話されていた。

金子三勇士 チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 8/11・12 2009
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20090813

東京のクラシックコンサート、クラシック専門のコンサートホールでは、
独特の張りつめた空気感がある。
そういう意味ではこの日のコンサート、こちらもリラックスして観ることができた。

金子三勇士、ショパン「ピアノ協奏曲第1番」残念ながらCD化されたアルバムがない。
家で聴く他のアーティストの演奏と較べると、
三勇士のこの曲には、優しさが溢れている、
感情が込められていながら抑制の効いた格調を感じる。
金子三勇士の弾くこの曲のCD化、いつか実現するだろうか。

演奏の後、指揮者の大友直人ともに金子三勇士、
壇上で司会者からインタビューを受ける。

2~3歳からピアノを始めたとのこと、
その位の子供でも鍵盤を押すだけの力があるのか、
今は学生だが来年卒業後、社会の荒波に揉まれることになるが、
将来の抱負はなど。

演奏が終わった瞬間に思うことは?
三勇士「毎回、『生きていて良かった』と幸せに感じます。」

将来、どのような活動をしていきたいか?
「ハンガリーと日本で育ったことから、
国際交流に役立つことをしていきたい。
また音楽を通じてそれが可能だと思っています。」

インタビュー後、リスト「愛の夢第3番」
「皆さんの心に届く演奏をしたい。」との言葉の通り、
協奏曲ではオーケストラの音と調和するように音をコントロールしていたが、
この曲の後半からのクライマックス部分では2階席後方にいた私にも、
この曲にリストが込めた愛、それがひしひしと伝わってきた。

障害のある方達にもぜひトップレベルのクラシックを楽しんで欲しいという趣旨の元、
この日に向けて準備をされてきた方、
演奏者たち、指揮者、司会者、
障害者の方に付き添ってお世話されていた方達、
それぞれの暖かい真心のこもったコンサートだった。

終了後、楽屋を訪ねて近況などを聞く。
この演奏会の後は今週末の名古屋、大阪へと向け、
全力投球すると語ってくれた。

ヨーロッパの金子三勇士

2011-10-02 11:52:11 | ピアニスト 金子三勇士
金子三勇士、久々にハンガリーへと里帰りをしている。
ブタペストから育ての親、祖母のいるDebrecenへと移動。
ここでミニコンサートが開かれ、客席にいた祖母を三勇士は、
観客へと紹介。
感動的な場面だったそうだ。

Debrecenからハンガリーの地方都市Gyorへと向かう。
ここでのコンサートのリハーサル後、
翌日にはワルシャワへと飛び音楽関係者の
クローズドイベントにて演奏。

その後、ウィーンを経由して、
またGyorへと戻り、10/1にこの地でコンサートを行なった。
暖かな地元の観客、ブタペストから駆け付けた親戚や、
友人たちに囲まれて最高の演奏を聴かせたに違いない。

帰国後、10/6には川口リリアホールにての、
コンサートが早速入っている。

訪欧中は忙しかったことと思うが、
料理上手の祖母の手料理やケーキを食べて、
少しふっくらした姿で帰ってくるのではないだろうか。

金子三勇士今後のコンサートスケジュール
10/6  川口リリアホール
10/21  名古屋宗次ホール
10/22  大阪シンフォニーホール
10/29  伊那市生涯学生センター
11/3  横浜みなとみらい小ホール
11/5  桐生市市民文化会館
12/3  葛飾シンフォニーヒルズ  

金子三勇士@米沢ユアタウンコンサート 8/20

2011-08-22 09:58:07 | ピアニスト 金子三勇士
東北新幹線、正確には福島から山形へと向かう路線は「山形新幹線」と呼ばれるらしい。
車窓の風景は米沢へと近づくにつれ、ぐんぐんと緑が濃くなっていく。
しかし木々が茂った暗い森というよりも、すっきりと伸びた杉や檜の林に囲まれた明るい山道を、
列車は進んでいく。

米沢のイメージとして浮かんでくるのは、上杉謙信、上杉鷹山、
または米沢牛。
上杉鷹山が地元の産業として推進させた米沢織物、
てんぷらにしたりお茶としても飲まれているウコギも有名だ。

米沢駅に着くと駅の周辺には米沢牛専門店の看板が目につく。
この日のコンサートが開かれる場所は伝国の社(でんこくのもり)の中、
米沢市上杉博物館と併設される置賜文化ホール。
「伝国の社」とは上杉鷹山の「伝国の辞」に由来し、
「人々のために残し伝え豊かにする」という鷹山の精神を受け継いだネーミングだそうだ。

鷹山の残した言葉として伝国の辞と共に良く知られているのは、
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」
国を治める者としての心構えを後世へと伝えたとされるが、
これは人生訓としても充分生かせる言葉だ。

また同じ松を見ながら鷹山が側室の豊と詠んだ「色はえぬ松に契りて
今日よりは猶幾千代の老いがわくすえ」
それに応えてお豊の詠んだ「ちとせふる松に契りて 今日よりぞ 老いの坂ゆく
末ぞ久しき」
今までも一緒に頑張って来た、これからも仲良く年を重ねていきましょう、
と夫婦の仲睦まじいあり方を詠っている句もある。
夫婦として座右の銘にしたい言葉。
「天下の本は国、国の本は家なり」の言葉と共に国を治めるだけでなく、
家庭を大切にした鷹山の人柄が偲ばれる。

金子三勇士の演奏会のために地方都市へと向かうのは初めての経験。
東京とは異なった場所、地元のオーケストラやホールの雰囲気、
観客の反応を見るのをとても楽しみにしていた。

実は少し前にこんな夢を見てしまった。
早めにホテルに着き、うたた寝をしてしまう。
気が付くとコンサートの始まっている時間。
目が覚めて「今からでも駆け付ければ間に合うだろうか。
いや、もう終わってしまったかもしれない。」
と途方に暮れている夢だった。

夫と一緒にホテルに着いたのは4時過ぎ。
コンサートの開始時刻は6時半。
ホテルのフロントで場所を確認すると
伝国の社はホテルから歩いて10分ほど。
後1時間半ほどあると思い、横になりかけたが、
先述の夢のこともあり、しっかり起きていることにする。
ここまではるばるやってきて寝過ごしてしまったら、いったい何のために来たのやら。

伝国の社の脇には上杉謙信を祀った上杉神社、
かつては共に上杉神社に祀られていたが今は独立し、
上杉鷹山は隣の松岬神社に祀らている。
米沢城跡の松岬公園も近くにあり、
この一帯は緑と運河に囲まれた美しいテーマパークとなっている。

置賜ホールが見えてきた。
和と洋が調和した近代的な建物。
能舞台もある。
併設の米沢上杉博物館も翌日、観覧したが見応えのある物だった。
地元の特産の和菓子、うこぎ茶が飲めるカフェも寛げる。


ホールは木調でゆったりとした造りになっている。
席は500席余り。
この規模のホールでオーケストラの演奏を聴くことができるのは地方都市ならではの贅沢。
スタッフの方達も皆、感じが良くて家庭的な雰囲気だ。

観客は老若男女、ご家族やお友達、ご近所の方達が連れだって集まってくる。
ホワイエでの会話が耳に入ってくるが、
このホールで行われるイベントを近隣の方が大切にされていることがよくわかる。
一方、私達のように遠方から、車や電車などを使っていらした金子三勇士ファンの方も。

後方の席に座り前方へと目を向けた時、女性達の後ろ姿、髪型を素敵にアップにして、
お洒落な髪止めをされた方が多いことに気づく。
織物が盛んな着物の町ゆえだろうか。

開演前に指揮者、ピーター・ルバート氏より通訳を交えて、
これから演奏されるメンデルスゾーン:交響曲「イタリア」
リスト:「ピアノ協奏曲:第2番」
リスト:交響詩「ハムレット」の解説が始まる。
ルバート氏の心遣い、穏やかな人柄が感じられた。

リスト:ピアノ協奏曲第2番
リストがこの譜面を最初に書いたのは1839年。
それに何度か手を加えられ現在演奏されているのは1863年に加筆されたものとのこと。
クラリネットの夢想的な導入部から始まり、ピアノの演奏はオーケストラを引率するような形で、
途切れることなく常に奏でられていく。
曲はしだいにダイナミックになり、後半はマーチ風にさえなる。
そしてクライマックスに達したところでフィナーレを迎える。

金子三勇士がこの曲を弾くのを聴いたのは2008年、
彼が大学一年生の11月、東京音大の定期演奏会。
指揮者は広上淳一氏だった。

今回はピーター・ルバート氏の指揮、またコンサートホールの場所柄か、
演奏はゆったりと牧歌的な響きがある。
聴いているとこの地に至るまでに見た景色、
鬱蒼とした森ではなく、気持ち良いばかりにすくっと伸びた杉や
ヒノキの雑木林の優しげな風景が浮かんでくる。

金子三勇士の演奏は、オーケストラと見事に調和している。
8/3にトッパンホールで「スペイン狂詩曲」「メフィストワルツ」を聴いた時に、
より力強くなってきていると感じたが、今回の演奏にもそれが反映されている。

振り返ってみると、金子三勇士のオーケストラとの共演を聴くのは、
一昨年の国際フォーラムでの新日本フィル、小林研一郎指揮のチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、
昨年4月のオペラシティー、東京フィルとの共演、広上淳一指揮でのショパン:ピアノ協奏曲第1番。
そして昨年7月の葛飾シンフォニーフィルズ、ガーシュイン:ピアノ協奏曲から数えても、
約一年振りになる。

山形交響楽団、コンマスは凛とした女性の方だ。
オーケストラとリハーサルを重ね前日には山形市で公演もしているので、
山形フィルのオケの方達との和合の中、金子三勇士も伸び伸びと演奏をしているのがわかる。
後方の席から観ていたが、ここのところ、演奏のアピアランスが、
更に表現力豊かになりステージで映える。

演奏終了後も続く拍手。
近くの席の若い女性二人は「ブラボー!」と掛け声も。
ステージに戻って来た金子三勇士は「では短くて、静かな曲を。」
とバッハ:フランス組曲「サラバンド」を聴かせてくれた。

鳴りやまない拍手。
三たび、ステージへと戻った三勇士は恒例のピアノを閉める儀式で幕を下ろし、
客席からは暖かな頬笑みの声が漏れた。

休憩時間中に楽屋を訪ねて近況を聞く。
これからもスケジュールが詰まっていること、もっと練習したいと思っていることなど。
更なる精進を重ねていく意気込みを聞かせてくれた。

終演後、サイン会が始まる。
CDの販売もあり、多くの方が並ばれていた。
後方から様子を見守っていると、サインを頂かれた方が、
「握手してもらったよ!」とか「ほんとにカッコイイ!」
と目を輝かせて感動を語っている様子に、こちらも口元が綻ぶ。

金子三勇士、この地にたった一人でやってきた。
マネージャーも付き人もなく、自分でこの日に着るワイシャツにアイロンを掛け、
サイン会に一人で臨み、並んで下さった一人一人の方に丁寧に挨拶、
サインをしている後ろ姿を見ながら、思わず目頭が熱くなった。

地元の山形新聞には「金子さんが独奏・協奏曲 端正な音で表現」というタイトルで、
記事が掲載されていた。

金子三勇士ランチタイムコンサート@トッパンホール 8/3

2011-08-06 23:28:35 | ピアニスト 金子三勇士
それはまるで獲物を捕らえるハンターのようだった。
金子三勇士はピアノに挑みかかるようにしてリスト「スペイン狂詩曲」の演奏を始めた。

この曲は今まで、東京音大付属高校の卒業公演(金子三勇士18才)、
カワイ楽器コンサートサロンにてのリサイタル(19才)、シャネルネクサスホール(20才)
そして今年の1月に青葉台フィリアホールと4度聴いてきているはずなのに、
全く同じ曲とは思えない。
その都度、スケールが大きくなってきていることに驚かされてはきたが、
今回はより力強く、真っ向から曲へと向き合っている。

トッパンホール、開演は12時15分より開場は11時45分。
開場時間の15分ほど前に着くと既に長蛇の列ができていて、
最後尾に案内される。

このリサイタルは無料、7月初めに受け付け開始とあり、
受け付け数日後に電話したところ、既にすべて予約済み。
当日、10時に発券される50枚の券があると聞き、
当日券を取るために並ぶつもりでいたところ、
都合でキャンセルされた方から譲っていただくことができた。
400席が予約開始後ほどなく埋まってしまうとは、
このところの金子三勇士の人気上昇振りに驚くと共に嬉しい限りだ。

席は後方中央。
昨年のハロウィンでの金子三勇士デビューコンサート、
自分は前方に座っていたが、後方に座られた方達は、
どのような印象を持たれたのかと若干の杞憂があった。
8/3、このホールはどの位置に座っても、視界、音響共に、
充分に満足できるということが確認できた。
ここのところ、7/23、7/30と金子三勇士の演奏を聴いてきたが、
ここのホールには温かみのある響きがある。

リスト「コンソレーション第3番」
コンサートで披露されるのが初めての曲。
英語、仏語共に訳は「慰め」
先ほどの「スペイン狂詩曲」とはうって変わり、
あくまでも調べは優雅で、金子三勇士とピアノは友好関係の中にある。
この日は猛暑が始まる前の涼しい午前中から
夕方には天候が一転して雷雨となった。
嵐の前の静けさを予感させるような曲だ。

リスト「メフィストワルツ第1番」
ショパンが曲に先入観を持たれたくないとの思いからタイトルを付けることを好まなかった、
と伝えられているが、対してリストの曲のタイトルには興味をそそられるものが多い。
「巡礼の年 オーベルマンの谷」」しかり、"Danse Macabre"「死の舞踏」など。
それぞれ文学作品からインスパイヤーされて作曲されたとされる。
この作品中の『メフィスト』とはゲーテではなくレノ―の「ファウスト」をもとに書かれたとのこと。
先ほどの「コンソレーション」とは対照的な作品。

ランチタイムコンサート、定刻通りに始まり終わる。
終了と同時に席を立ち、会場を離れる人もいて、
まさしく近くの職場からランチタイムを利用して駆け付けた観客もいたようだ。
一つ、残念だったことは最初に携帯を切るようにと案内があっても良かったと思う。

初めて聴いた金子三勇士の「コンソレーション」と「メフィストワルツ」
個人的にはたいへん満足で「スペイン狂詩曲」と共に
この三曲が入ったNEWアルバムの発売が望まれる。
演奏が終わってホールの入口に立った時、何か不思議な感覚に捉われた。
ここに来るのは昨年の10月末に行なわれた「金子三勇士デビューコンサート」以来。
あれから既に9ヶ月が経ち、
金子三勇士はクラシック音楽界へと着実な歩みを重ねていることに感慨深い思いだった。

山下朝史出版記念パーティー、金子三勇士ゲストで演奏

2011-07-31 13:43:04 | ピアニスト 金子三勇士
今年の初め、パリの郊外にある山下農園にお年始に伺うことになり、
この時に山下さんから頼まれた日本産のサツマイモ二種、エレファントニンニク、
そして築地市場で用意したお年賀と一緒に私が持っていったもの、
それは昨年秋に発売された金子三勇士君のCD「Miyuji Plays Liszt」だった。
http://www.amazon.co.jp/Miyuji-plays-Liszt-%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E6%9B%B2%E9%9B%86/dp/B0040PBUVY/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1312090783&sr=8-1

その後、山下さんはパリの契約レストランへと配達する時、
遠くの学校に通うお嬢さんの送り迎えの際に、このCDをずっと聴き込んだそうだ。
真冬のフランスの地方都市の風景と"Miyuji Plays Liszt"はぴったりはまった。

今年の2月、山下さんが来日された際に金子三勇士君の鎌倉でのコンサートにお誘いした。
羽田から夜中に出る飛行機で帰国される当日であったのに、山下さんはいらして下さった。
以前にも一時帰国した友人を三勇士君のコンサートに誘ったことがあったが、
海外に住む人の日本滞在中は公私ともにスケジュールが詰まっていて中々難しい。
しかし山下さんは場所が鎌倉であるに係わらず、私達に同行して下さった。

山下さんが本の執筆中と聞いてはいたが、それがこの度、出版される運びとなった。
「パリで生まれた世界一おいしい日本野菜」山下朝史 主婦と生活社
http://h210133109045.mediagalaxy.ne.jp/books/00004854.html
その出版記念パーティーが昨夜、駒場ルヴェ ソン ヴェール 
http://www.leversonverre-tokyo.com/restaurant_komaba/index.html
で行なわれた。
前日の夜、広島でコンサートがある三勇士君も当日広島から駆け付けてくれて、
お祝いに何曲か演奏することになったと聞いていた。

ルヴェソンヴェール、駒場の東大構内にある。
東大の正門から入るとそこからもうフランスの雰囲気になってきた。
緑に囲まれた一軒家のレストラン。

山下さんは奥様やお嬢さんと一緒に出迎えて下さった。
日焼けしたお顔に白いスーツが良く似合う。
金子三勇士君はご家族と早めにいらして、すでに現場のピアノでのリハーサルを済ませていた。

そこのレストランのビュッフェも美味しく、随所に山下さんがフランスから持参されたカブ、
京人参、茄子、トマト、きゅうりが使われている。
塩釜で蒸し焼きにしたカブは絶品だった。

三勇士君が司会者に促されて前へと呼ばれる。
事前にその日に演奏する曲を聞きかけて「やっぱりサプライズにしたいから言わないで!」
と静止した私。
「既に選んだ曲もあるけれど、今日のこれからの雰囲気と流れに合わせて、
用意してきた曲の中から選曲中です。」とのことだった。

三勇士君が一曲目に選んだ曲はショパン・ポロネーズ「英雄」
「これはショパンがナポレオンをイメージした曲と伝えられています。
それなら僕は農業の英雄である山下さんに捧げます。」

二曲目はショパン・夜想曲第2番。
「さきほど山下さんの芸術的とも言える素晴らしいカブをいただきました。
そしてイメージした曲がこれです。
夜も更けて来ましたことですし。」

最後の曲は山下さんのお嬢さんのリクエストでリスト・ハンガリー狂詩曲第2番。



先日、オペラシティーで金子三勇士君の演奏を聴いてからまだ一週間。
コンサートとは全く違ったパーティーに集まった人達の前でのぐっとアットホームな演奏。
最初にショパンで惹きつけられ、リストでは周りも息を飲む演奏を聴かせた。
最前列で見ていたが、ピアノに踊る指、また演奏のパーフォーマンスが更にドラマチックに感じられる。
サロンコンサートで三勇士君の臨場感ある演奏を堪能した。

最後は山下さんのお嬢さんから花束贈呈があり、三勇士君の頬にキス。
CDを聴きながら「ピアノの上手なお兄さんに会いたい」と言っていた彼女の念願が叶った。
山下さんも「7/23のコンサートに間に合わなかったので、どうしても聴きたくて、
今日、呼んじゃった。」(笑)

観客も気持ちを一つにしてじっくりと演奏を聴いて下さっているのが良くわかる。
こういう空気は演奏者にも伝わる。
三勇士君も広島の後で疲れも出ているはずだが、それを感じさせない熱い演奏を聴かせてくれた。

美味しい料理と美しいピアノ演奏で室内の雰囲気はぐっと華やぐ。
山下さんのご本にサインを頂く列の隣に三勇士君のCDへサインをお願いする方達が集まる。
フランスから帰国していてこの会に出席した方も多く、
最後は"Au revoir!" "A bientot!"と挨拶が飛び交った。

今日はじっくり山下さんのご本を読ませて頂きます。
三勇士君も最近はファンも増えて有名人。
なかなかツーショットの機会もなくなったので、この日は記念に一枚一緒に撮らせて頂きました。

金子三勇士 アフタヌーンコンサート 7/23 オペラシティー

2011-07-24 18:05:09 | ピアニスト 金子三勇士
「東京オペラシティーアフタヌーンコンサートシリーズ 金子三勇士ピアノリサイタル」とあるが、
それは正式のプロデビューコンサートでもある。

昨年、10/30ハロウィーンに行なわれたデビューコンサート、
あの時は客席数450余りのトッパンホールだった。
今回のオペラシティーホール、その4倍近い1600席の大ホール。
今までもオーケストラとの共演では、このホールでの昨年4月のショパンピアノ協奏曲、
また一昨年、5000席規模の東京国際フォーラムでチャイコフスキーピアノ協奏曲第一番、
などの経験を積んできてはいるが、今回は初めてソロとしてこのレベルのホール。

客席は埋まるのだろうか、またアマチュアからプロとなって約1年半余り。
プロの演奏家として相応しい演奏でなければならない。
曲目数も多い、演奏会場の規模も大きい、いろいろな意味での緊張感を前日から感じていた。
私でさえそうなのだから、本人の心境はいかばかりかと思う。

オペラシティーホール、木調のピラミッド型の天井高のある会場。
会場は三層式になっている。
ステージの前面、左右にも2階席がある。
自然木が使われていることで音の響きに独特のものがある。
柔らかいというよりも硬質なイメージ。
ステージ前後左右、すべての客席が観客で埋め尽くされている。

出だしはリスト・ハンガリー狂詩曲第12番。
この曲は非売品のデビュー前の金子三勇士、16才の時に録音されたCDに収められている。
先日のホテルオークラ音楽賞授賞式でもこの曲を聴いたが、
厚いカーペットで覆われていたホテルのロビーに対し、木調のこのホールでは音が木霊するように響く。

続くバルトーク・セーケイ人達との夕べ、6つのルーマニア民族舞曲。
計算され尽くした中に自信を持って間が取られている。
何回か聴いてきているが、その都度、ハンガリーの村の祭りにタイムスリップしたような感覚を覚える。
とてもビジュアル的なイメージが広がる曲だ。
祭りを楽しむ村人の大人達、子供や動物、草原の緑までが舞台から香り立つ。

ベートーヴェン・ピアノソナタ 第8番 「悲愴」
この曲を聴くのは今年の2月、鎌倉でのコンサート以来。
真冬と真夏と2度に渡って聴くことができたが、
湿度の高いこの日、音の反響が大きいこのホールに合わせて、
ピアノの質感はあくまでもドライに整えられている。

ショパン・夜想曲第2番変ホ長調。
ピアニストの腕と品格ゆえにこの曲の甘さがロマンティックに表現される。
ショパン・ポロネーズ第6番「英雄」
金子三勇士の弾くこの曲を幾度となく聴いてきたが、昨日は勢いのある演奏、
ピアノ、音響共にすべてが完璧だった。

休憩後の第二部は、リスト・ラ・カンパネラから始まった。
音の洪水、色鮮やかにさえ感じられる和音が演奏会場に立ち昇って行く。
私の前にはハンガリー人と思われるご夫婦が座られていたが、この曲で二人はお互い頷き合っていた。
この曲は鐘の音を表現した曲で内容がないなどという説明もあるが、
これだけで充分に説得力を持って人の気持ちを癒すだけの美しさがある。

リスト・愛の夢。
いったい金子三勇士はこの曲を何度弾いてきたのだろうか。
演奏回数だけでなく、はたして何歳くらいから練習を重ねてきたのだろう。
その時々で彼の胸中によぎるものは何だったのだろう。
音楽や家族への愛であったり、故郷や恋人、友人や恩師、尊敬する作曲家。
彼の心の中が愛で満たされている時も失なったと感じた時もこの曲を弾き続けてきたはずだ。
この曲は彼にとって今まで慣れ親しんで弾き続けてきた曲でもあり、
これからも彼のテーマソングであり続ける曲なのだろう。
金子三勇士の奏でるこの曲を聴く時、何ともいえぬ安心感で胸が一杯になる。
昨日も全く非の打ち所のない演奏を聴かせてくれた。

リスト・ピアノソナタ。
始まる前に金子三勇士はピアノに向かい祈りともいえる沈黙の時間がある。
曲へとしばらく感情移入して演奏を始める。
ピアノの調律はすべて最後の30分に及ぶこの大曲へと向けられてきたと気づいた。
この曲の持つ哲学性、神秘的な曲のメッセージ性、
人の一生の喜びや悲しみ、怖れや安らぎ、すべてが表現されている。
ピアノから手を離した後も室内に鳴り響く残響。
この瞬間にはいつも鳥肌が立つ。
全身全霊を込め細部まで神経が行き届いた演奏を聴かせる。
消え入るような一音、金子三勇士の入魂の最後の音をかき消した拍手があった。
客席のその辺りの位置から別の曲の時も1テンポ早く拍手が起きていた。
こればかりは個人的に残念な出来事だったが、いたしかたない。

鳴りやまぬ拍手にステージに挨拶に戻る金子三勇士。
その都度、前後左右すべての席、上階へも丁寧に挨拶していく。
続く拍手にまたステージに戻った金子三勇士。
手にはマイクがある。
リスト生誕200年ということでリストの曲、リストの尊敬していたベートーヴェン、
親しかったショパン、リストの後に続く作曲家であるバルトークの曲を選曲したと話す。
その後は「こんなに大勢の人が来てくれて・・・・僕、感激しちゃって。」
言葉にならない。
いつもステージ上で敬語を使ってきた三勇士が初めて口語で話し言葉に詰まるのを聞いた。
隣席の年配の女性がハンカチを取り出して涙を拭いている。

アンコールはショパン・夜想曲(遺作)
優しい調べが演奏者とその日の観客の気持ちにぴったりと添う。
続く拍手に戻ってきた金子三勇士、
「それでは短い曲を。」とバッハ・Praeludium。
凛とした美しい調べが会場を包む。
まだ続いている拍手に出てきた金子三勇士、恒例のピアノの蓋を閉じる儀式を終えて、
舞台袖へと戻って行ったのだった。