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~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

認知症というお題

2015年03月06日 | エッセー
 こんなにどんどん私の周りに認知症が増えていく・・・という危機感。
 これは、一体なんなのだろう?
 糖尿病が増えている飽食の時代という時を生きる私たち、重すぎる高齢者高比重社会を息子たちにバトンタッチするというポジションにいる私たち世代は、何を彼らに残してあげればいいのだろう?

 砂糖文化からの脱却と前頭前野が活発になれる社会への挑戦・・・だろうか?

 私たちは、時代を生きる・・・。その時代という時のお題に向き合って最善を尽さんとする・・・。よくわからないけれど、何となく、人間の生きる理由ってそうなんじゃないかなぁと思ったり。お題がないとつまらないかも。

 もしかして、時代が認知症を通して、私たちに何かを問いかけている?

 前頭前野は、問題が生じたときに、その時その場で何が最善かを選択しようとするときに活発に活動するらしい。それが、いやいやではなく楽しんでできれば、きっと、もっと、活発になるんじゃないだろうか。
 もちろん、問題だけではなく、いろんな企画をワクワクしてたてたり、みんなで『あ~だ。こ~だ。』わ~わ~言いながらより高みに向かって議論しているとき・・・などに、きっと、活発になるんじゃないかなぁ。

 実は、認知症も記憶力の低下に先行して、この前頭前野という企画力が低下しているということらしいので、楽しく企画する癖を小さい時から身に(脳に)つけられたら、世界は変わるのかも・・・とワクワクしてくる。

 小さい時から、おうちで学校で、『あ~だ。こ~だ。』言いながら、楽しく会話したり議論できるような環境が用意だきたら、将来の認知症を予防できるかもしれない。もちろん、砂糖文化からの脱却もセットで。

 小さい頃に、『あ~だ。こ~だ。』言うと否定されるような家庭で育った人は、前頭前野でものを考えることが苦手になっているかもしれない。規範のルールから外れる行為をする人に対して厳しい目をもっているかもしれない。世間体という尺度で物事を見て、物事を判断しやすいかもしれない。失敗を恐れてチャレンジする勇気を持てない人になっているかもしれない。世間体という物差しで判断するときって、脳の前頭前野を使っているのかなぁ?どこを使っているんだろう?

 人は、ほんとうは、絶対否定されないという安心な場所にいられるなら、あるいは、過去に自分が勇気を出して言ったことを全面否定されたり、のけ者にされるような体験がなければ、きっと、前頭前野で前向きに物事を考えられるような人になれるんじゃないかなぁ。常に、いつも、ごく自然に前頭前野を使っているというそのことが、高齢になっても前頭前野を努力せずして使っちゃっている。きっと、そんな人は認知症になりにくいと思う。
 
 時代は、認知症を通して、『否定されない社会をつくりなさい。』というメッセージを私たちに送っているのかもしれない。
 認知症という警告は、時代からのプレゼント。
 自分らしさを世間体というルールで封じ込めたつけの一つが認知症。

 わが町のどっちかというと山手に住むある男性と面接をしていて、「やっぱり、認知症予防には歩くことがいいんですけどねぇ~。」とお話したら、「歩くことはできない。歩いていると、『よか身分じゃねぇ。歩く暇があるなんて。』と言われる。この間も、ボランティアで道路のあぜ道の草払いをしていたら、『よか身分じゃねぇ。働かんでそげなことをする暇があっで。』と言われた。無理無理。あそこでウオーキングなんてできるわけがない。山の中なら歩けるけど・・・・。余計なことをいうばあちゃんがおらんから。」とつぶやかれた。
 
 え~~~~、みんなの道路のあぜ払いをよかれと思ってやってくださるって、感謝以外の何物でもないはずなのに、そのことにすら、よか身分・・・と妬むの?
 アンビリーバブルな世間体がちがち地域だ。
 妬み度が半端じゃない。

 この男性は60代後半だから、よか身分だと妬むおばあちゃんって80歳前後?

 きっと、人生、働きづくめで苦労されたのだと想像する。だから、70歳前で働かない人・・・それが、たとえ、ボランティアで自分たちの使う道路のあぜ払いをしてくださるというありがたい人であっても、労働とはみなさず、遊んでいるとみなす心理・・・・・なんと心貧しい・・・。嫉妬心・・・・・?

 働く・・ことが善で、それ以外を認めない土壌・・・・つまり、たった一つの価値観=働くことはいいことだ、あるいは、働かざる者食うべからず・・しか認知してもらえない空間で生きていくってしんどい。たぶん、そこは、開拓地。昭和30年代スコップと斧だけで開墾してきた体力が半端じゃない人たちが住む地域で、今の80歳くらいのおばあちゃんたちは、ほんとうに苦労されたのだと想像する。体力があったからできたのか、はいあがってきたからこそ体力がついたのか・・・・。

 働きづくめで、ただ、ただ、働いてきた人生の人にとって、働かないでいる人が恨めしいのだろう。

 働くことはいいことだ。それは、働かないことは悪いことだ・・・と言っているようなもの。
 たった一つの価値観しか受け入れられない地域に生きることは、つらい。
 元気な人はいい。
 でも、そうじゃない人にとっては生きた心地がしない。

 開拓に住む人たちは、基本的に体力がある人。というか、体力ある人が開拓地に集まってきた・・わけで、体力のない人は元々開拓しようと思わないから、開拓地に住むはずも住めるはずもない。
 つまり、体力ある人しかすまない街って歪なのだ。
 普通の社会は、いろんな人が住んでいる。障碍者も住んでいる。病気がちな人も住んでいる。多様性があればあるほど住みやすくなる。

 月曜日の9時からのドラマ『デート』は、感情の機微に鈍感な超理系女で国家公務員役の杏ちゃんと作家志望だったけれど、結局ものにならず、かといって会社勤めもうまくいかず、ひきこもって高等遊民と自称するニート役の長谷川博己が嫌いなのに契約結婚という価値観に意気投合して結婚という目標に向かって、好きでもない人と頑張ってデートをしていくという物語。高等遊民こと長谷川博己は、今まで母親に寄生していたけれど、母親の体調不良を期に、寄生先を賃金的に国家公務員という安全安心な職業についている女性を選んだ。今後も高等遊民をやめて働くという気持ちはさらさらなく、杏と結婚して、主婦業に専念すると宣言した。きっぱり。
 彼曰く、『女性は、結婚して専業主婦になると宣言しても何も言われない。なのに、どうして、男が専業主婦になると言うと、それはおかしいと全面的に非難されるんだ?おかしいじゃないか。』

 テレビだから、『そうだ。そうだ。』ってうなづくけれど、これが、現実だとやっぱ、戸惑うだろうなぁ。

 いろんな人がいた方がいい。否、いろんな人がいないといけない。

 そうでないと、窒息する。
 ちゃんとした人ばかりだと、自分もちゃんとしないといけない・・・という強迫観念(って意識していないと思うけど)で自分を縛りつけて、ありのままの自分からどんどんかけ離れていくからしんどくなる。そして、ちゃんとしない人を批判しやすくなる。許せなくなる。自分だって、無理してがんばっているのに、あいつは努力していない・・・・と。

 年齢を重ねるって、ひとつには、許せるようになる寛容さを身に着けていくってことのような気がする。

 そのためには、変わってるなって人に興味を持てる力があるかどうかが大きいかなって思う。
 変わっているなって思う人を排除しようとするかユニークだなって思えるか。

 へぇ~、世の中には、こんな人もいるんだなぁ。こんな考え方をする人もいるんだなぁ。面白いなぁ。世の中って・・。

 そんな風にオモシロガルことのできる力のある人間にわが子が育ってくれたら、もう、それで十分。
 そんな風に自動思考しちゃえる才能が身につくと、生きることがとっても楽ちんになる。こうあらねばならないと自分を追い詰める生き方と正反対。こんな風な能力を身につけた人は、自分の考えや何かが起こった時の感情という反応もいろんな考えやいろんな反応感情の一つに過ぎないというような、広い視点で自分を客観的にみつめることができやすいので、自分で自分を追い込んでしまうということとは縁のない世界に住めそう。
 
 自殺者数が3万人を割ったと少し、ほっとしている。
 
 今からの時代、この多様性を認める力が問われている。
 自分は正しい、相手が間違っているという一つの価値観だけがまかりとおる世間という敵から、自分はこう思うけど、あなたはそう思うのね。へぇ~というような、ただ、いろんな価値観(同じものを見ても感じ方も考え方も違うんだ)がある・・というだけのそれだけの敵でも味方でもない世間へ進化できるか否か。

 海部町という町がある。
 ここは、日本で一番自殺者が少ない町だという。

 この町の日本人は、この町以外の日本人と野暮だと言われる基準が正反対なのだということが、多様性を自然体で受け入れる人間を育てる基盤となっているらしい。

 子育てのメッセージで、カッコいいかという基準値こそ、子どもの心のツボをギュッと握りしめるものはないと思う。もちろん、そのカッコよさの基準値はひとそれぞれなんだけど、それを地域という母体が規範として指示しているところが、この町で自殺率が日本で一番少ないということを伝えている。
 人と同じでないといけないというようなことを言うと『そんな野暮なこと、よ~せん。』という。
 実際、選挙になると、一般的には派閥とかあって、票集めにみなやっきになる。でも、この町では、そんなことをしたら、『野暮だ。』と言われる。
 
 

 
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