2月4日/2月5日に、米沢・平嶋の両名が公の場に姿を現すということで、米騒動はいまだに燻っている状態です。
脱退理由となった事態の詳細が明らかになっていないため、判断を保留している人も多いかと思います。


私の考えは、既に↓のエントリで述べていますし、今も変っていません。
『米騒動は脱退に値するか?』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/3e441344ef76ab10a38f8fbc5a9e1572
Q:他にも問題を起こした人が謹慎なのに、なぜ二人は脱退なのか?
二人が古参メンバーだからです。
二人は、古参ゆえに事の重大性をよく理解していると思います。
アイドルになりたての新規が起こす問題とは訳が違うと、よく理解しているのです。
確信犯であることは言うまでもなく、これまで何度も考え直す機会があったにも関わらず、それでも長期間にわたって姿勢を改めることはありませんでした。(これは推測です)
だから、本人達は自分自身がAKB48のメンバーとして不適切であったと認識していたと思われます。
そして、AKB48のメンバーとしてプロになりきれない自分自身を責めていたはずです。
それでも応援してくれる人たちがいたからこそ「プロ」を演じていたのです。
そんな複雑な気持ちを内面に抱えてきたところに、今回の事が公になったのです。
「プロ」を演じる必要がなくなったとわかった以上、このままAKB48のメンバーとして活動を続けていくことに必然性はないわけです。
ゆえに、誰に言われるまでもなく、問題が発覚した時点で脱退を決断したと思います。
情報がないのでわかりませんが、米沢・平嶋の2人の脱退理由は異なるかもしれません。
特にネット上では米沢さんに対する風当たりは強い気がします。
平嶋さんまで脱退する必要があったかどうか、残って欲しいと思うファンもいるようです。
たしかに、私自身も非常に残念な気持ちでいっぱいです。
しかし、上で述べたように、2人には古参ゆえのプロ意識があるのです。(AKB48への理解)
プロ意識の欠如ゆえに引き起こしてしまった事態ですが、それと同時にプロ意識ゆえに脱退するのです。
これは、その昔、侍が切腹を誇りとしたのに近い理由です。
切腹の言い渡し理由が、理不尽である場合もあったでしょう。
なぜその人が死なねばならぬのか、疑問に思った人もいるはずです。
しかし、侍は、侍として生きる道を選ぶからこそ、切腹するのです。
侍には、他にも選択肢はあるのです。
切腹するくらいなら、死んだつもりになって違う選択肢を選ぶこともできます。
刺し違い覚悟で一矢報いることも、逃げることも、弁解することもできます。
しかし、侍は自らの体を自ら切り刻む選択をします。
クレイジーかもしれません。
でも、それが侍であるための作法なのです。
侍として生きるために死ぬ。
これを矛盾と見るか、誇りと見るか、それは考え方、視点、意識の違いです。
2人は、AKB48のメンバーゆえに辞めなければならないのです。
AKB48のメンバーとして活動中には、AKB48のメンバーになりきれていなかったのです。
だから最後に、AKB48のメンバーとして生きるために、AKB48を辞めるのです。
それが、米沢・平嶋の両名がAKB48のメンバーであることの証拠であり、誇りなのです。
2人に批判を受け入れる覚悟があるのは言うまでもありません。
2人の侍がそう思っている時に、親方はぐっと我慢するのが作法というものです。
だから、死に花を咲かせてやるのが、ファンのあり方というものです。
ここで2人を引き止めるのは、2人の誇りを傷つけるやり方であるし、2人のためになりません。
侍もAKB48も、所詮は人工物です。
人が、そういうものだと決め付けた枠組みです。
その枠組みの外で生きることだってできます。
でも、人は、誇りや気高さを手に入れるために、その枠を求めます。
ただ生きるということよりも、誇り高く、気高く生きたいと、人は心からそう思うからです。
2人には、誇り高く、気高く生きて欲しい、私はそう思います。
もし、地獄の底を見て這い上がってくるなら、その時、本当のファンなら手を差し伸べてあげてください。
2人を解雇した方が誰もが楽だったのです。
一罰百戒の効果も期待できたはずです。
でも2人とも辞退する結果になりました。
そのことをもって、AKB48はAKB48であり続けることもできる。
そう言えると、私は思っています。
参考:
『少女たちは 傷つきながら 夢を見る。傷つきながら夢を見ていいんだ。』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1dec316af2f496bb15e19912274dc3b6
脱退理由となった事態の詳細が明らかになっていないため、判断を保留している人も多いかと思います。


私の考えは、既に↓のエントリで述べていますし、今も変っていません。
『米騒動は脱退に値するか?』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/3e441344ef76ab10a38f8fbc5a9e1572
Q:他にも問題を起こした人が謹慎なのに、なぜ二人は脱退なのか?
二人が古参メンバーだからです。
二人は、古参ゆえに事の重大性をよく理解していると思います。
アイドルになりたての新規が起こす問題とは訳が違うと、よく理解しているのです。
確信犯であることは言うまでもなく、これまで何度も考え直す機会があったにも関わらず、それでも長期間にわたって姿勢を改めることはありませんでした。(これは推測です)
だから、本人達は自分自身がAKB48のメンバーとして不適切であったと認識していたと思われます。
そして、AKB48のメンバーとしてプロになりきれない自分自身を責めていたはずです。
それでも応援してくれる人たちがいたからこそ「プロ」を演じていたのです。
そんな複雑な気持ちを内面に抱えてきたところに、今回の事が公になったのです。
「プロ」を演じる必要がなくなったとわかった以上、このままAKB48のメンバーとして活動を続けていくことに必然性はないわけです。
ゆえに、誰に言われるまでもなく、問題が発覚した時点で脱退を決断したと思います。
情報がないのでわかりませんが、米沢・平嶋の2人の脱退理由は異なるかもしれません。
特にネット上では米沢さんに対する風当たりは強い気がします。
平嶋さんまで脱退する必要があったかどうか、残って欲しいと思うファンもいるようです。
たしかに、私自身も非常に残念な気持ちでいっぱいです。
しかし、上で述べたように、2人には古参ゆえのプロ意識があるのです。(AKB48への理解)
プロ意識の欠如ゆえに引き起こしてしまった事態ですが、それと同時にプロ意識ゆえに脱退するのです。
これは、その昔、侍が切腹を誇りとしたのに近い理由です。
切腹の言い渡し理由が、理不尽である場合もあったでしょう。
なぜその人が死なねばならぬのか、疑問に思った人もいるはずです。
しかし、侍は、侍として生きる道を選ぶからこそ、切腹するのです。
侍には、他にも選択肢はあるのです。
切腹するくらいなら、死んだつもりになって違う選択肢を選ぶこともできます。
刺し違い覚悟で一矢報いることも、逃げることも、弁解することもできます。
しかし、侍は自らの体を自ら切り刻む選択をします。
クレイジーかもしれません。
でも、それが侍であるための作法なのです。
侍として生きるために死ぬ。
これを矛盾と見るか、誇りと見るか、それは考え方、視点、意識の違いです。
2人は、AKB48のメンバーゆえに辞めなければならないのです。
AKB48のメンバーとして活動中には、AKB48のメンバーになりきれていなかったのです。
だから最後に、AKB48のメンバーとして生きるために、AKB48を辞めるのです。
それが、米沢・平嶋の両名がAKB48のメンバーであることの証拠であり、誇りなのです。
2人に批判を受け入れる覚悟があるのは言うまでもありません。
2人の侍がそう思っている時に、親方はぐっと我慢するのが作法というものです。
だから、死に花を咲かせてやるのが、ファンのあり方というものです。
ここで2人を引き止めるのは、2人の誇りを傷つけるやり方であるし、2人のためになりません。
侍もAKB48も、所詮は人工物です。
人が、そういうものだと決め付けた枠組みです。
その枠組みの外で生きることだってできます。
でも、人は、誇りや気高さを手に入れるために、その枠を求めます。
ただ生きるということよりも、誇り高く、気高く生きたいと、人は心からそう思うからです。
2人には、誇り高く、気高く生きて欲しい、私はそう思います。
もし、地獄の底を見て這い上がってくるなら、その時、本当のファンなら手を差し伸べてあげてください。
2人を解雇した方が誰もが楽だったのです。
一罰百戒の効果も期待できたはずです。
でも2人とも辞退する結果になりました。
そのことをもって、AKB48はAKB48であり続けることもできる。
そう言えると、私は思っています。
参考:
『少女たちは 傷つきながら 夢を見る。傷つきながら夢を見ていいんだ。』
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1dec316af2f496bb15e19912274dc3b6
正しいかわかりませんが、切腹は武士が自らの武士道を貫くための自死、または処刑の方法であると認識しています。
おそらく、お二人はAKB道を貫くために辞退された。
つまり自身とAKBを死なせないための辞退。
しかしAKB道を貫いてはいなかったと思います。
相思相愛者ができることは不可抗力の面があると思うので仕方がないと思います。
AKB道を貫くのであれば相思相愛者ができた時点で辞退すべきであった。
しかし、お二人は残った。
簡潔に言うのであれば騙していた。
その、お二人が侍と呼ばれることに侍はどう感じるのか自分にはわかりません。
いつも勉強になることばかりで助かっています。
失礼しました。
コメントありがとうございます。
説明不足でした。
後で修正します。
私は、基本的に受験生になるさんの意見に同意します。
2人は侍ではなかったが、最後に侍になりたいと思った。
だから、ファンならば最後くらい2人を侍にしてやってくれ。
というのが言いたいことです。
そんな恩情をかけてはならない、という意見もあると思いますが、ファンならば最後だけ少し認めて欲しい、そういう気持ちでエントリを書きました。
僕は平嶋さんと米沢さんの事をあまり知らない人間です。
それにもかかわらず上から言ってしまいました。
上から考えてしまっていました。
恥ずかしくて頭がかゆいです。
うまく言葉にならないのですが、お二人には乗り越えてほしいです。
コメントありがとうございます。
いえいえ、そんなに謙遜なさらずともよいと思います。
上から目線を感じてませんし、単純に疑問に思ったことを述べたに過ぎないと思います。
私自身わかりにくい文章を書いたつもりでいますので、受験生になるさんがそこまで思いつめることはないと思いますです。
またコメント頂けると嬉しいです。