本エントリは全く本質的ではない無内容なものです。
単なる妄想です。
鳩山首相が民主党による政権交代を「無血の維新」に例えたことで、現状を幕末に例える論者が多いように思います。
今はまだ公武合体の段階だとか、維新前夜だとか。
しかし、私が思うに、現状に近いのは室町幕府が力を失って下克上が置き始める戦国時代前夜であると思います。
※
多分似たようなことを感じて似たような記事とか書いてる人がいるような気がします。
いたら教えてください。
ググってないですが、予想すると室町幕府の崩壊過程になぞらえている人がいるはずです。
歴史を紐解くと、日本全国規模で中央集権国家が生まれたのは明治政府が確立された時でした。
平安時代以前は中国に似せて作られた貴族による擬似中央集権国家といえるのかもしれませんが、それ以降は幕府を中心とする緩い連合国でありました。
(そもそも大和朝廷の成り立ちからして天皇を中心とした連合国家であります。)
日本において強い中央集権国家が生まれなかったのは、日本が島国かつアジアの端にある小国で外敵の侵略を強く意識する必要がなかったからです。
人間は強い敵に立ち向かうために、強い力を持とうとし結束するのです。
しかし、時代も江戸時代末期くらいになると、世界は帝国主義の時代です。
西欧諸国列強がアジアに植民地化の手をのばしてきました。
例えば、日本にとっては長年強大な国家であったお隣の中国がイギリスなどに簡単に負けてしまったのです。
(これは中国が内政的な問題で実力出し切れずに弱かったという説が有力です。)
こうなると、日本は自分がいつやられるか心配する必要があります。
このような問題意識が維新志士を突き動かし、紆余曲折しながら日本には革命が起き、中央集権国家への道を直走るのでした。
(初めからそんな大そうな問題意識を持っていたわけではないが)
※
昔大和朝廷は緩やかな連合体であったようですが、朝鮮半島で起きた戦争に加担して負けたことがキッカケでより中央集権的国家になったそうです。防人なんかは学校で習ったのではないでしょうか。
少し簡単に歴史の話をしてしまいましたが、次になぜ私が戦国時代前夜だと考えるか説明します。
日本は明治政府確立後から太平洋戦争に敗北するまで、貴族的な緩い中央集権的国家であったと思います。
しかし、戦後、政治は徐々に武士(政治家)によるものに変わっていきました。
貴族社会が終わって幕藩体制(幕藩というか幕府による政治)に変わったのです。
実際、自民党という幕府は様々な派閥による連合体でした。
(見かけ上野党として戦っていた社会党も派閥の一つみたいなものです。)
時代が流れ自民党幕府の力は弱まりました。
社会秩序は乱れ、社会不安が広まり、世には不平不満が溢れていました。
誰もが新しい秩序を求めていたのです。
そこに生活者という御旗を掲げる反体制勢力が現れました。
その勢力はこれまで何度か立ち上がりましたが、その度に自民党幕府に潰されてきました。
しかし、もはや自民党幕府に対抗するだけの力は残されておりませんでした。
人々は自民党幕府に嫌気がさしていたので、新しい勢力に希望を託しました。
そして民主党幕府ができたのです。
※
面白い調査研究がある。
人々は「革命」という言葉を好むが、歴史上に「革命」と呼ばれる出来事は思ったよりも少ない。
なぜなら、反体制的活動は、そのほとんどが潰されて「変」や「乱」、「蜂起」といった形になるからだ。
とある著名歴史学者は、反体制活動が「革命」に至る場合とそうでない場合を分ける条件について考えた。
そしてある結論に至った。
反体制活動が成功するかどうかは、反体制側の属性にはほとんど依存せず、体制側の状態に依存する。
反体制側に倒される体制とは、そのまま放って置いてもいつかは滅ぶ体制なのだという。
つまり、「革命」が起きるかどうかの分岐点は反体制側がいかに素晴らしいかではなく、体制側がいかに自滅するかにかかっている。
しかし、民主党幕府は旧幕府が没落することによってできた体制であり、全国をまとめる能力が低かったのです。
思うように人心を掌握することができずに焦っていました。
この状況を利用して旧幕府側の残党が息を吹き返す前に、民主党幕府は徹底的に残存勢力を殲滅する必要がありますが、残存勢力によるレジスタンス活動が活発で抑えることができません。
急ごしらえの民主党幕府は危機的状況にあります。
ただ、民主党幕府によって唯一の救いは、旧幕府の残存勢力は一枚岩にはなれず力が分散してしまっていることです。
残存勢力側は衰退の道にあります。
そのため、中には新しい勢力として独立する動きも出てきています。
民主党幕府の基盤が磐石にならない今、あらゆる勢力にチャンスが回ってくる可能性があるのです。
混沌とした情勢の中、先に民意と言う御旗を手にした勢力が実権を握るチャンスがあるのです。
時代は今、群雄割拠の時代へと突入しようとしているのでした。
歴史をなぞっても無意味ですが、戦国時代に模すると、この群雄割拠の時代を制するのは織田信長的強権者ではないかと愚考します。
意見集約型の政治姿勢では、混沌とした情勢を乗り切ることは難しいからです。
人々は答えを求めているのです。
「この無意味な政治の混迷を終わらせる」と主張する誰かです。
既得権益をバッサバッサと切り崩し、日本の未来のために非情で冷酷な哲学で温かさを主張する人です。
その人は「物語」を多用してマイノリティを集団に組込むでしょう。
人々は坂本竜馬的な人を求めますが、実際には織田信長的な人が時代を制するでしょう。
ゆえに、独裁が生まれる可能性に注意する必要があります。
(既得権を切るためには、誰かに損失を与えることに他ならず、これを実行するためには2つ方法がある。一つは全体最適観点で理解を得ること。もう一つは強権を発動すること。)
聞こえのいい言葉だけに耳をかしてはいけません。
妄想です。
単なる妄想です。
鳩山首相が民主党による政権交代を「無血の維新」に例えたことで、現状を幕末に例える論者が多いように思います。
今はまだ公武合体の段階だとか、維新前夜だとか。
しかし、私が思うに、現状に近いのは室町幕府が力を失って下克上が置き始める戦国時代前夜であると思います。
※
多分似たようなことを感じて似たような記事とか書いてる人がいるような気がします。
いたら教えてください。
ググってないですが、予想すると室町幕府の崩壊過程になぞらえている人がいるはずです。
歴史を紐解くと、日本全国規模で中央集権国家が生まれたのは明治政府が確立された時でした。
平安時代以前は中国に似せて作られた貴族による擬似中央集権国家といえるのかもしれませんが、それ以降は幕府を中心とする緩い連合国でありました。
(そもそも大和朝廷の成り立ちからして天皇を中心とした連合国家であります。)
日本において強い中央集権国家が生まれなかったのは、日本が島国かつアジアの端にある小国で外敵の侵略を強く意識する必要がなかったからです。
人間は強い敵に立ち向かうために、強い力を持とうとし結束するのです。
しかし、時代も江戸時代末期くらいになると、世界は帝国主義の時代です。
西欧諸国列強がアジアに植民地化の手をのばしてきました。
例えば、日本にとっては長年強大な国家であったお隣の中国がイギリスなどに簡単に負けてしまったのです。
(これは中国が内政的な問題で実力出し切れずに弱かったという説が有力です。)
こうなると、日本は自分がいつやられるか心配する必要があります。
このような問題意識が維新志士を突き動かし、紆余曲折しながら日本には革命が起き、中央集権国家への道を直走るのでした。
(初めからそんな大そうな問題意識を持っていたわけではないが)
※
昔大和朝廷は緩やかな連合体であったようですが、朝鮮半島で起きた戦争に加担して負けたことがキッカケでより中央集権的国家になったそうです。防人なんかは学校で習ったのではないでしょうか。
少し簡単に歴史の話をしてしまいましたが、次になぜ私が戦国時代前夜だと考えるか説明します。
日本は明治政府確立後から太平洋戦争に敗北するまで、貴族的な緩い中央集権的国家であったと思います。
しかし、戦後、政治は徐々に武士(政治家)によるものに変わっていきました。
貴族社会が終わって幕藩体制(幕藩というか幕府による政治)に変わったのです。
実際、自民党という幕府は様々な派閥による連合体でした。
(見かけ上野党として戦っていた社会党も派閥の一つみたいなものです。)
時代が流れ自民党幕府の力は弱まりました。
社会秩序は乱れ、社会不安が広まり、世には不平不満が溢れていました。
誰もが新しい秩序を求めていたのです。
そこに生活者という御旗を掲げる反体制勢力が現れました。
その勢力はこれまで何度か立ち上がりましたが、その度に自民党幕府に潰されてきました。
しかし、もはや自民党幕府に対抗するだけの力は残されておりませんでした。
人々は自民党幕府に嫌気がさしていたので、新しい勢力に希望を託しました。
そして民主党幕府ができたのです。
※
面白い調査研究がある。
人々は「革命」という言葉を好むが、歴史上に「革命」と呼ばれる出来事は思ったよりも少ない。
なぜなら、反体制的活動は、そのほとんどが潰されて「変」や「乱」、「蜂起」といった形になるからだ。
とある著名歴史学者は、反体制活動が「革命」に至る場合とそうでない場合を分ける条件について考えた。
そしてある結論に至った。
反体制活動が成功するかどうかは、反体制側の属性にはほとんど依存せず、体制側の状態に依存する。
反体制側に倒される体制とは、そのまま放って置いてもいつかは滅ぶ体制なのだという。
つまり、「革命」が起きるかどうかの分岐点は反体制側がいかに素晴らしいかではなく、体制側がいかに自滅するかにかかっている。
しかし、民主党幕府は旧幕府が没落することによってできた体制であり、全国をまとめる能力が低かったのです。
思うように人心を掌握することができずに焦っていました。
この状況を利用して旧幕府側の残党が息を吹き返す前に、民主党幕府は徹底的に残存勢力を殲滅する必要がありますが、残存勢力によるレジスタンス活動が活発で抑えることができません。
急ごしらえの民主党幕府は危機的状況にあります。
ただ、民主党幕府によって唯一の救いは、旧幕府の残存勢力は一枚岩にはなれず力が分散してしまっていることです。
残存勢力側は衰退の道にあります。
そのため、中には新しい勢力として独立する動きも出てきています。
民主党幕府の基盤が磐石にならない今、あらゆる勢力にチャンスが回ってくる可能性があるのです。
混沌とした情勢の中、先に民意と言う御旗を手にした勢力が実権を握るチャンスがあるのです。
時代は今、群雄割拠の時代へと突入しようとしているのでした。
歴史をなぞっても無意味ですが、戦国時代に模すると、この群雄割拠の時代を制するのは織田信長的強権者ではないかと愚考します。
意見集約型の政治姿勢では、混沌とした情勢を乗り切ることは難しいからです。
人々は答えを求めているのです。
「この無意味な政治の混迷を終わらせる」と主張する誰かです。
既得権益をバッサバッサと切り崩し、日本の未来のために非情で冷酷な哲学で温かさを主張する人です。
その人は「物語」を多用してマイノリティを集団に組込むでしょう。
人々は坂本竜馬的な人を求めますが、実際には織田信長的な人が時代を制するでしょう。
ゆえに、独裁が生まれる可能性に注意する必要があります。
(既得権を切るためには、誰かに損失を与えることに他ならず、これを実行するためには2つ方法がある。一つは全体最適観点で理解を得ること。もう一つは強権を発動すること。)
聞こえのいい言葉だけに耳をかしてはいけません。
妄想です。