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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

坂本龍馬という物語

2010-01-07 21:54:05 | 哲学・思想
個人的に物凄く驚いて思わず絶句する出来事があった。
驚くのは私だけで他の人にはほんとどうでもよいことだけれど
なんとまた内田樹とシンクロニシティ(偶然の一致)である。
今日私は同僚に「私の未来と坂本龍馬」について語ったのだが、その内容が今日更新された内田樹氏のブログの内容とほとんど同じだったのだ。
これまでも度々見られる現象である。

ニコラス・タレブのブラックスワン的に言えば「そりゃ大河ドラマの龍馬伝始まったし、同時期に似たようなこと考えることもあるっしょ。ほとんど違うけどたまに一致するとそこだけ強調されまんがな」となるが、1度や2度ではないのである。
まぁ確かに彼とは出す結論は違えど考え方は近いと勝手に一方的に思っているので、一致することは多いのかもしれない。

坂本龍馬フィーヴァー(内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2010/01/07_1037.php

ほとんど原文ままを下記にコピペする。
自分が同僚に語った内容と同じ部分を太字で強調する


私たちの国では、システムや価値観のシフトが時代の趨勢としてやみがたいという「雰囲気」になると、ひとびとは幕末に眼を向ける。
地殻変動的な激動に対応した「成功例」として、私たちが帰趨的に参照できるものを明治維新のほかに持たないからである
日本人がある程度明確な「国家プラン」をもって集団的に思考し、行動した経験は維新前夜だけである。
それはアメリカ人が社会的激動に遭遇するたびに「建国の父たち」を想起するのと似た心理機制なのかも知れない。
司馬遼太郎によると、坂本龍馬の名前はひとにぎりの旧志士たちのあいだでこそ知られていたが、明治中期にはもうほとんど忘れ去られていた
それが国民的な知名度を得たのは、日露戦争前夜の1904年、皇后の夢枕に白衣の武士が立ち、来るべき戦争における日本海軍の守護を約したという「事件」があったせいである。
夢に出てきた侍の容貌が細部に至るまであまりにはっきりしていたため、皇后がそれを侍臣に徴したところ、当時伯爵になっていた田中光顕が「それは坂本龍馬です」と答えたとされている。
田中は旧土佐藩士、武市瑞山の門人だった人である。龍馬が京都の近江屋で遭難したとき、いちはやく現場に駆けつけ、坂本龍馬と中岡慎太郎の死に立ち会った。
このオカルト的エピソードが新聞に掲載されて、龍馬は一躍「日本海軍の守護神」という神格を獲得した。
どこにどういう作為があったのか、今となっては知る術もない。
だが、日露戦争前夜という国家的危機に遭遇したとき、「坂本龍馬」というアイコンが幻想的な国民の統合軸として、集団的に選択されたということに間違いはない。
この選択はおそらく無意識的なものであったはずである(他人の夢の中に出てきた人の容貌を聞いて人間が特定できるはずがない)。
けれども、無意識的な選択であったということは、それが日本人の「欲望の真のありか」に近かったということでもある。
私たちが現在有している坂本龍馬像はその大部分が司馬遼太郎が『竜馬がゆく』で造型したものである
けれども、これを司馬の「創作」とすることに私は微妙な違和感を覚える。
司馬遼太郎は実にさまざまな幕末の人物を列伝的に描いている(西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、近藤勇、土方歳三、沖田総司、村田蔵六、山岡鐵舟、清河八郎、以下無数)が、司馬「竜馬」ほど生き生きと描かれた人物は他にいない。
それは司馬遼太郎自身が「この人を日本人が『危機』のときに帰趨的に参照すべき『日本人の原点』としよう」と願って「竜馬」を造型したからだと私は思う。
そして、そのような種類の「期待」は司馬が描くほかの幕末人士のうちには見ることができない。
高杉晋作も土方歳三も十分魅力的に描かれてはいるが、その人間的欠点まで含めて「愛すべき」人物として描かれたのは坂本「竜馬」ひとりである。
この「えこひいき」のうちに、私は小説家の作為ではなく、田中光顕と同じ種類の「国民的願望」の投影を見るのである。
坂本龍馬が「ほんとうは」どういう人だったのかということには歴史=物語的には副次的な重要性しかない
私たちが自分たちの国民的アイデンティティとして、それに基づいて思考し、行動するのはいつだって「歴史的事実」そのものではなく、「歴史的事実として選択された『物語』」だからである
「ほんとうは何があったのか」を知ることよりもむしろ、「『ほんとうは何があった』ことに私たちがしたがっているか」を知ることのほうが切実なのである
坂本龍馬は私たちが「近代日本人の原点」として、国民的な合意に基づいて選択したアイコンである
私はこれを「賢い選択」だったと思っている。
近代日本人がなしたロールモデル選択のうちで、もしかするといちばん賢明な選択だったのではないかと思っている。


坂本龍馬は本当に国民的人気を得ている。
偉人ランキングで調査をするとほぼ間違いなく「1位坂本龍馬、2位織田信長」である。
私の周囲にもファンは多く、歴史好きでなくても坂本龍馬は好きだという人はよくみかける。
全国に同好会が腐るほどあるし、坂本龍馬の生まれ変わりを自称する輩まで大勢いるのだ。
しかし、世に語られる坂本龍馬像がフィクションであったらみんながっかりするであろう。

だからといってそれが駄目だというつもりはない。
歴史と言うのはそもそもフィクション性を持っているからだ。
その時代、現実がどうだったかということを確かめることはできない。
伝承を物証をもって裏付ける作業には限界がある。

だから、私は歴史が本当かどうかなんてことを考えることはあまり意味がないと思っている。
(歴史に対する理解が争いを解決してくれる場合もあるのかもしれないが)
みんなそれぞれが思うように歴史に物語を求めたらいいと思う。
我々が知っている坂本龍馬は「国民の願望」による創作だ。
だから未だに坂本龍馬はみんなの前に現れる。
「平成の坂本龍馬」だとか言ってね。

「人々に受け入れられる物語には願望が込められている」という仕組みを知ることは、基本的認識として持っておきたいことだ。

[妄想シリーズ] 群雄割拠の時代

2010-01-07 10:16:11 | 政治
本エントリは全く本質的ではない無内容なものです。
単なる妄想です。

鳩山首相が民主党による政権交代を「無血の維新」に例えたことで、現状を幕末に例える論者が多いように思います。
今はまだ公武合体の段階だとか、維新前夜だとか。

しかし、私が思うに、現状に近いのは室町幕府が力を失って下克上が置き始める戦国時代前夜であると思います。


多分似たようなことを感じて似たような記事とか書いてる人がいるような気がします。
いたら教えてください。
ググってないですが、予想すると室町幕府の崩壊過程になぞらえている人がいるはずです。

歴史を紐解くと、日本全国規模で中央集権国家が生まれたのは明治政府が確立された時でした。
平安時代以前は中国に似せて作られた貴族による擬似中央集権国家といえるのかもしれませんが、それ以降は幕府を中心とする緩い連合国でありました。
(そもそも大和朝廷の成り立ちからして天皇を中心とした連合国家であります。)
日本において強い中央集権国家が生まれなかったのは、日本が島国かつアジアの端にある小国で外敵の侵略を強く意識する必要がなかったからです。
人間は強い敵に立ち向かうために、強い力を持とうとし結束するのです。
しかし、時代も江戸時代末期くらいになると、世界は帝国主義の時代です。
西欧諸国列強がアジアに植民地化の手をのばしてきました。
例えば、日本にとっては長年強大な国家であったお隣の中国がイギリスなどに簡単に負けてしまったのです。
(これは中国が内政的な問題で実力出し切れずに弱かったという説が有力です。)

こうなると、日本は自分がいつやられるか心配する必要があります。
このような問題意識が維新志士を突き動かし、紆余曲折しながら日本には革命が起き、中央集権国家への道を直走るのでした。
(初めからそんな大そうな問題意識を持っていたわけではないが)


昔大和朝廷は緩やかな連合体であったようですが、朝鮮半島で起きた戦争に加担して負けたことがキッカケでより中央集権的国家になったそうです。防人なんかは学校で習ったのではないでしょうか。

少し簡単に歴史の話をしてしまいましたが、次になぜ私が戦国時代前夜だと考えるか説明します。

日本は明治政府確立後から太平洋戦争に敗北するまで、貴族的な緩い中央集権的国家であったと思います。
しかし、戦後、政治は徐々に武士(政治家)によるものに変わっていきました。
貴族社会が終わって幕藩体制(幕藩というか幕府による政治)に変わったのです。
実際、自民党という幕府は様々な派閥による連合体でした。
(見かけ上野党として戦っていた社会党も派閥の一つみたいなものです。)

時代が流れ自民党幕府の力は弱まりました。
社会秩序は乱れ、社会不安が広まり、世には不平不満が溢れていました。
誰もが新しい秩序を求めていたのです。
そこに生活者という御旗を掲げる反体制勢力が現れました。
その勢力はこれまで何度か立ち上がりましたが、その度に自民党幕府に潰されてきました。
しかし、もはや自民党幕府に対抗するだけの力は残されておりませんでした。
人々は自民党幕府に嫌気がさしていたので、新しい勢力に希望を託しました。
そして民主党幕府ができたのです。


面白い調査研究がある。
人々は「革命」という言葉を好むが、歴史上に「革命」と呼ばれる出来事は思ったよりも少ない。
なぜなら、反体制的活動は、そのほとんどが潰されて「変」や「乱」、「蜂起」といった形になるからだ。
とある著名歴史学者は、反体制活動が「革命」に至る場合とそうでない場合を分ける条件について考えた。
そしてある結論に至った。
反体制活動が成功するかどうかは、反体制側の属性にはほとんど依存せず、体制側の状態に依存する。
反体制側に倒される体制とは、そのまま放って置いてもいつかは滅ぶ体制なのだという。
つまり、「革命」が起きるかどうかの分岐点は反体制側がいかに素晴らしいかではなく、体制側がいかに自滅するかにかかっている。

しかし、民主党幕府は旧幕府が没落することによってできた体制であり、全国をまとめる能力が低かったのです。
思うように人心を掌握することができずに焦っていました。
この状況を利用して旧幕府側の残党が息を吹き返す前に、民主党幕府は徹底的に残存勢力を殲滅する必要がありますが、残存勢力によるレジスタンス活動が活発で抑えることができません。
急ごしらえの民主党幕府は危機的状況にあります。

ただ、民主党幕府によって唯一の救いは、旧幕府の残存勢力は一枚岩にはなれず力が分散してしまっていることです。
残存勢力側は衰退の道にあります。
そのため、中には新しい勢力として独立する動きも出てきています。
民主党幕府の基盤が磐石にならない今、あらゆる勢力にチャンスが回ってくる可能性があるのです。
混沌とした情勢の中、先に民意と言う御旗を手にした勢力が実権を握るチャンスがあるのです。
時代は今、群雄割拠の時代へと突入しようとしているのでした。

歴史をなぞっても無意味ですが、戦国時代に模すると、この群雄割拠の時代を制するのは織田信長的強権者ではないかと愚考します。
意見集約型の政治姿勢では、混沌とした情勢を乗り切ることは難しいからです。
人々は答えを求めているのです。
「この無意味な政治の混迷を終わらせる」と主張する誰かです。
既得権益をバッサバッサと切り崩し、日本の未来のために非情で冷酷な哲学で温かさを主張する人です。
その人は「物語」を多用してマイノリティを集団に組込むでしょう。
人々は坂本竜馬的な人を求めますが、実際には織田信長的な人が時代を制するでしょう。
ゆえに、独裁が生まれる可能性に注意する必要があります。
(既得権を切るためには、誰かに損失を与えることに他ならず、これを実行するためには2つ方法がある。一つは全体最適観点で理解を得ること。もう一つは強権を発動すること。)
聞こえのいい言葉だけに耳をかしてはいけません。

妄想です。