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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

小沢は民主主義政治家

2010-01-19 18:28:23 | 政治
トラックバックを貼り付けるために前半部分を追加しました。

民主党の非民主的性格(岡田克敏)
http://agora-web.jp/archives/894605.html


「ものが言えない」ということは小沢幹事長への権力集中が相当進んでいることを示しており、宮本時代の共産党を思わせます。3名の逮捕後は散発的に批判が党内から出ているようですが、多くは匿名を条件とするボヤキのようなものです。これでは自浄能力など期待できそうにありません。


各種メディアで民主党の「ものを言わない」性質が批判されているようですが、私にはこの言説がとても恣意的なものにうつる。
ここでいう「ものを言う」というのは民主党議員が民主党執行部に対して「批判をする。」ということであろうが、この時点で何を言えというのだろう
逮捕されたといっても真相が明らかになったわけでもなく、当人達が「違う」と言っているのだから同じ政党の人間として疑うよりは信じることがより自然であるし、なによりもまだ何かを意見するには早い段階ではなかろうか。
コメントを求められても「事実関係が明らかになるのを信じて待ちます。」程度しか言えないのが実際のところで、言うこともないのに「言え」とつつかれても困るだけなのではなかろうか。

まだ何も言う段階にないことは下記ブログなどでバランスよくわかりやすく書いてある。

小沢問題に関する考察 - 検察の捜査方法への疑問(Nothing Ventured, Nothing Gained.)
http://esquire.air-nifty.com/blog/2010/01/post-a55d.html

検察「魔法の杖」に踊る司法記者クラブ(永田町異聞)
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10436946084.html

そもそも、小沢を頂点とする民主党執行部が独裁体制をしいているかの説明は陰謀説に近い。
小沢が「俺の言うことを聞け」などと言うわけがなく、ただ自分が思うところを述べているだけに過ぎない。
その時、小沢の意見が勝るのは小沢の意見を覆すだけのプレゼンができない民主党議員が劣っているだけだ。
民主党に小沢くらい大局観を持った政治家がいないのだからどうしようもない。
同じ土俵で議論できる政治家がいないのだ。
逆にそれゆえに小沢が独り批判を受け止める側にたって辛いだろう、彼の使命感が彼を突き動かしているなどと考えてしまう。

私個人としては小沢は人の話を聞かないほど頑固でもなければ頭が悪いわけでもない。
ただただ己の戦略を理解できない人がうっとおしいだけである。
(確かに実は人をバカにしているところが勘違いされるところもあるだろう。)
それを周りの人間が気を使いすぎるからといって、小沢の独裁だというのはおかしい。
何をもって独裁と認定するかは様々な定義があろうが、ただ現状はアマチュアの中に独りプロがいて、アマチュア連中がプロの意見を尊重しているだけだ。
「恐くてものが言えない」と「いや、あの人にはもっと深い考えがあるはずだ。」は全く違う。
これを独裁というのか。

鳩山首相は単に彼の性格上、小沢を尊重しているだけで、別に恐がっているわけではない。
度々小沢に意見を聞くのは鳩山首相に確固たる意見がないからで、別に小沢が強いからではない。

と、私なんかは思う。

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小沢幹事長の目的は、自民党からの利権を奪うこと、ただそれだけ(大前研一)
http://blog.goo.ne.jp/ohmaelive/e/cceb156171d8440a4e50253c9a343eb6


半分は同意で、それ以降は不同意。
小沢一郎を田中角栄路線の延長で捉えているところが間違いである。
弟子は師匠と同じ枠内で物事を思考するわけではない。
ソクラテスvs.プラトンvs.アリストテレスが好例だ。

まず同意する部分から。


[前略]

小沢幹事長の一連の行動は、これまで自民党が独占してきたあらゆる利権を全て民主党に移してしまうという、ただこの1点にのみ目的がある。

[中略]

自民党の利権を根絶する、それが難しいなら予算の理由で案そのものをつぶしてしまう、という単純なことを徹底的に繰り返しているだけだ。


当Blogで主張してきたように、小沢の目的は自民党の兵站を破壊し、自民党を過去の政党にしてしまうことだ。
そう考えれば彼の言動に合点が行くだろう。

これを聞いて多くの人は「また政局か」と思いがっかりするかもしれない。
大前氏も同様の批判のように思われる。


利権を自民党から民主党に移すことで民主党による長期政権が可能だと小沢幹事長は考えているのだろう。

こうした小沢幹事長の動きを見ていると、つくづく田中角栄元首相の染色体が入っている人なのだと感じる。
小沢幹事長とはこういう行動原理に基づく人なのだと認識するべきだろう。

[中略]

私に言わせれば、民主党の幹事長という立場にあるにも関わらず、小沢幹事長は日本という国の将来像などは全く考えていない人だと思う。

自民党による安定政権が長期間継続できたのは、日本的な利権構造を抑えたからであり、それこそが重要なのだ、これが小沢幹事長の価値観だ。


全く違うと思う。
誤解もいいところだ。

小沢が「民主党の長期政権化」を目指しているなんていうことは"ない"と私は思う。
彼は民主党が中途半端で未熟な政党だということを知っているから、民主党を鍛え上げようとは思うことはあっても、その目的はあくまでも自民党の兵站の破壊である。
旧来の利権を壊すために利権を使っているのだ。
民主党を目的のために利用しているに過ぎない。

そして、自民党の兵站を破壊を目的とするのは、その上に大目的があるからである。
それは「日本の民主化」である。

彼の哲学の一つが「国民のレベル以上の政治家が生まれることはない。」である。

それでは永遠に有能な政治家は生まれぬのであろうか。

それは違う。

国民は変わることはできるからだ。

どうすれば国民は変わることができるのか。

それは国民が様々なことを経験し、様々なことを考えることによってだ。

そのような機会を与えるものが、変化することのできる民主主義というシステムである。

何が変わるべき正しい方向なのかは誰にもわからない
時代によって善悪も変わる。
だから、間違っても変化できることが重要なのだ。
これが何度も繰り返すように「デモクラシーのコスト」である。

民主主義は間違う
しかし、間違うことによって人は学習し成長するのだ。
国民は右に左に揺れながら、そして間違えながら民度をあげていくのだ。

そういう変わることのできる社会を構築すること、それこそ小沢が政治の世界に実現しようとしている「日本の民主化」に他ならない


だから彼は言う。
「政権交代が実現した。日本に民主主義が生まれたのだ(生まれの始まり)。」
また彼は言う。
「国民の政治を実現する。国民の政治とは、国民が政治に責任を持つこと。」

そのために、変化を阻害してきた旧来の自民党政治を終わらせることこそ、彼が彼自身に課した使命なのだ。

私はその気高き意志を応援したいと思っている。

小沢バッシングに思うこの国のかたち

2010-01-19 13:16:24 | 社会
駄文&一面的な見方で申し訳ない。

連日の民主党の小沢一郎幹事長に対するバッシングを見ていて、日本という国は、まっこと保守的な国であるなと思わされる。
(「保守」と書くと誤解を生むのが日常茶飯事であるが)

(この手の議論は使い古されているのだが)
面白いことに、日本という国では、個人としてではなく総体として見た時に、「表象としての絶対的な支配者」を排除する力が働く。
(ポイントは"表象として"の部分だ。)
歴史を紐解いて欲しいのだが、この国では皇帝も絶対王政的な王も存在したためしがない。
実質的な支配者として実権を握った者や、王になろうと目指した者は多く入るが、絶対支配者としての王になることに成功した者はいない。
(3,4000年前まで遡れば日本にも存在するのかも知れないが不明。)

話を単純化して述べれば、日本人は「支配者が嫌い」だからである。
(歴史といってるけど「日本人」が成立したのはいつの時代だよ?と思うあなたは融通の利かない人だ。)

これには理由がある。
今日は、その話をしよう。
(肯定・否定を問わずコメントを待つ!)


そもそも、なぜ「支配者」なる階級が存在するのだろうか。
この世に「支配されることが好きだ」なんていうのはいわゆる変態と呼ばれる少数民族だけだ。
にも関わらず「支配者」は存在できるのだろうか。
歴史が好きではない人は「武力や経済などの理由で恐いから従う」と考えるであろう。
しかし、ミクロではそれで正しいかもしれないが、マクロでは違う。

(実は過去に当Blogの主張の焼き直しだ)
支配者が存在できる本当の理由は「被支配者が支配を必要とするから」なのである。

一番わかりやすい例は「戦争」である。
戦争は勝つか負けるかで結果が大きく異なる。
勝てば相手を従えられる可能性があるが、負ければ悲惨である。
戦争は非常にリスクが大きい。
だから戦争をする以上は負けるわけにはいかないのである。
(負ける戦を仕掛けることはある。感情が理性に勝つ時だ。)


だったら、戦争しなきゃいいじゃん。
そうすればノーリターンかもしれないがノーリスクだぜっ。と思うあなた。
めちゃくちゃ間違っている。(そんな人いないと思うけど)
だって自分が戦争したくなくても、相手が戦争しかけてくるんだから!
戦争したくないから外交手段に訴えかけ、そして攻めてきたから仕方なく防衛線張って専守防衛しようとするけど、相手はルール無視の思う付く限りの姑息な手を使ってくるんです!
しかも和解しようと外交的な妥協を重ねれば重ねるほど相手が増長するだけ、さすがに切れます。
「これを打ちのめさずして何が正義か」といわんばかりに!

戦争に負けるのを座して待つ胆力のある国についてはここでは触れない。(現代に存在するとは思えないが)
しかし、「負けたくない」と思うのならどうすればよいか。
それは「強くあること」だ。
強くあるためにはどうすればよいか。
それは「みんなの力を結集すること」である。
みんなの力を結集するために必要なものは何か?
それは「強いリーダーシップ」である。
国難に当たっては国家総動員的な協力が必要である。

で、そのための仕組みは?

代表的な仕組みが「ピラミッド型組織」である。
バラバラの個人から成る集団を組織的にまとめるには、意思決定の集約が有効である。
意思決定をそれぞれの個人に委任していたのでは組織的に無駄が生じてしまう。
個人レベルで策定される戦略では、ミクロで正しくともマクロで正しいとは限らず、組織としての力が半減する可能性が大きい。
組織としての力を最大化するためには、目的に対して無駄なくその利益を追求できるよう、組織を徹底的に合理化および効率化することが重要である。
ピラミッド上位に意思決定を集約し、指揮権を持たせるのだ。
これが軍隊式ピラミッド型組織の理由であり、これは「階級」が生まれることを意味する。
「命令する側」と「命令される側」である。


もちろん目的に応じて適切な組織の形は異なる。
一つの目的に集団として一心不乱に取り組むのに適切のにピラミッド組織は有効だが、答えがなく、何が成功するかわからないようなイノベーション創発を目的とするのであればピラミッド組織は個人の自由を奪い、創造性を失わせるため向かない。
最近では「逆ピラミッド型組織」の有用性なども議論されている。

戦争などが予測されるような状況では、国民は自分達に明るい未来を提示できる強いリーダーシップ、つまり支配者を求めるであろう。

この本質的な解釈は「被支配者は支配者の支配に順ずることで得る利益を求めるゆえに支配される道を選ぶ。」なのである。


これまで「なぜ支配者と被支配者がいるのか。」ということについて簡単に理由を述べた。
次は「なぜ日本人は支配者を嫌うのか。」という問いについて答えよう。

日本人が支配者を嫌う最大の理由、それは「名目的な支配者が必要ないから。」である。
先述したような意味で、支配者を必要とする局面が少なかったことが大きい。

例えば、日本は外敵の侵略をほとんど受けずにこれた。
侵略の危機が訪れた「白村江」「元寇」「黒船」「アメリカ(太平洋戦争)」の時はいずれも中央集権化が促進されている。
例えば、お隣の中国に目をやると領土争いはひどいことになっている。
様々な民族が入り乱れての支配権争いにあけくれ、自然と皇帝のような支配者が必要になったのだ。
外敵の侵略がほとんどなかった日本はずっと緩い連合体でこれた。
(必要がないのにあえて階級を意識する必要はない。)
戦国時代などに織田信長のような強権者が現れたが必要なくなったタイミングで排除された。

多くの時代で内乱や人心の乱れなどは経験したが、実質的な権力者によってほどよく統治されていたのだ。
天皇についても支配者であった時期は短く、そのほとんどは表象としての存在であった。
いつの時代も天皇が意識されていたかについては横に置くとして、日本人は表象としての権力者として天皇を認めつつも、実質的な権力が他にあることを知っていた。
それが誰であるかもだいたい知っていたり、実態としての支配体制があったとしても問題ではなかった。
名目としての支配者を認めないことで無駄なコンプレックスを招かず、緩い連合体を築き、そこでコミュニティの構築に専念してこれたのだ。
(抑圧されている人々のコンプレックスは第2次世界大戦も生んだし現代ではテロリストを生んでいる。)

それともう一つ日本人が支配者を必要としなかった大きな理由がある。
自然に恵まれていたため、誰かの庇護に入らずとも生活することができた。
日本国内であれば、土地と人手と少しの創意工夫があれば、なんとか生きることができた。
必要なかったから誰も強いリーダーシップを望まなかったし、支配されずに済むならそれでよかったのだ。


さて、以上で日本人がなぜ支配者が嫌いかを述べた。(つもり)
この思想は今でも日本の中に残っている。
なぜなら今でも環境が残っているように思えるからだ。
(実際には残っていない。)


あくまでも一つ観点からの要因を説明したのであって、これで説明が尽きているなどとは考えていない。


そういう意味では、「皇室」という存在は実に如実に日本の性質を表していて面白い。
「皇室」をとりまく文化は日本独自に進化を遂げている現在進行中のものである。
現在の憲法や法律がアメリカの押し付けなどという批判があるかもしれないが、この意見は無意味だ。
なぜなら、現在の皇室はその押し付けられた法の上に自生しているからである。
たとえそれが鉄条網であっても、ここで述べているのはその鉄条網の中で自生した皇室文化を述べているのである。
人々は皇室が偉くないことを知っているのに偉いと思っている。
皇室に何も権限がないことを知っているのに象徴としての存在を認めているのだ。
その脇に政治という権力構造があることがより一層皇室の存在を際立たせている。
表象としての支配者を嫌っているし、認めたくないという心理の表れであると見ている。


もう一つ大きな理由に「非連続性」もあるだろう。

「出る杭を打つ」のが好きである。
なぜ好きか?
「非連続性」を嫌うからである。
なぜ嫌うのか?
劇的な環境変化を望まぬからである。
なぜ望まぬのか?
連続性を指向することこそが持続的社会を実現するのに最も合理的に思えるからである。
なぜそう思えるのか?
過去の失敗体験と成功体験を持つがゆえである。
過去の失敗体験と成功体験とは何か?
失敗体験とは太平洋戦争であり成功体験とは日本的社会民主主義である。
なぜそれが成功であり、失敗なのか。
・・・またあとで。