トラックバックを貼り付けるために前半部分を追加しました。
民主党の非民主的性格(岡田克敏)
http://agora-web.jp/archives/894605.html
「ものが言えない」ということは小沢幹事長への権力集中が相当進んでいることを示しており、宮本時代の共産党を思わせます。3名の逮捕後は散発的に批判が党内から出ているようですが、多くは匿名を条件とするボヤキのようなものです。これでは自浄能力など期待できそうにありません。
各種メディアで民主党の「ものを言わない」性質が批判されているようですが、私にはこの言説がとても恣意的なものにうつる。
ここでいう「ものを言う」というのは民主党議員が民主党執行部に対して「批判をする。」ということであろうが、この時点で何を言えというのだろう。
逮捕されたといっても真相が明らかになったわけでもなく、当人達が「違う」と言っているのだから同じ政党の人間として疑うよりは信じることがより自然であるし、なによりもまだ何かを意見するには早い段階ではなかろうか。
コメントを求められても「事実関係が明らかになるのを信じて待ちます。」程度しか言えないのが実際のところで、言うこともないのに「言え」とつつかれても困るだけなのではなかろうか。
まだ何も言う段階にないことは下記ブログなどでバランスよくわかりやすく書いてある。
小沢問題に関する考察 - 検察の捜査方法への疑問(Nothing Ventured, Nothing Gained.)
http://esquire.air-nifty.com/blog/2010/01/post-a55d.html
検察「魔法の杖」に踊る司法記者クラブ(永田町異聞)
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10436946084.html
そもそも、小沢を頂点とする民主党執行部が独裁体制をしいているかの説明は陰謀説に近い。
小沢が「俺の言うことを聞け」などと言うわけがなく、ただ自分が思うところを述べているだけに過ぎない。
その時、小沢の意見が勝るのは小沢の意見を覆すだけのプレゼンができない民主党議員が劣っているだけだ。
民主党に小沢くらい大局観を持った政治家がいないのだからどうしようもない。
同じ土俵で議論できる政治家がいないのだ。
逆にそれゆえに小沢が独り批判を受け止める側にたって辛いだろう、彼の使命感が彼を突き動かしているなどと考えてしまう。
私個人としては小沢は人の話を聞かないほど頑固でもなければ頭が悪いわけでもない。
ただただ己の戦略を理解できない人がうっとおしいだけである。
(確かに実は人をバカにしているところが勘違いされるところもあるだろう。)
それを周りの人間が気を使いすぎるからといって、小沢の独裁だというのはおかしい。
何をもって独裁と認定するかは様々な定義があろうが、ただ現状はアマチュアの中に独りプロがいて、アマチュア連中がプロの意見を尊重しているだけだ。
「恐くてものが言えない」と「いや、あの人にはもっと深い考えがあるはずだ。」は全く違う。
これを独裁というのか。
鳩山首相は単に彼の性格上、小沢を尊重しているだけで、別に恐がっているわけではない。
度々小沢に意見を聞くのは鳩山首相に確固たる意見がないからで、別に小沢が強いからではない。
と、私なんかは思う。
----------------------------------------------
小沢幹事長の目的は、自民党からの利権を奪うこと、ただそれだけ(大前研一)
http://blog.goo.ne.jp/ohmaelive/e/cceb156171d8440a4e50253c9a343eb6
半分は同意で、それ以降は不同意。
小沢一郎を田中角栄路線の延長で捉えているところが間違いである。
弟子は師匠と同じ枠内で物事を思考するわけではない。
ソクラテスvs.プラトンvs.アリストテレスが好例だ。
まず同意する部分から。
[前略]
小沢幹事長の一連の行動は、これまで自民党が独占してきたあらゆる利権を全て民主党に移してしまうという、ただこの1点にのみ目的がある。
[中略]
自民党の利権を根絶する、それが難しいなら予算の理由で案そのものをつぶしてしまう、という単純なことを徹底的に繰り返しているだけだ。
当Blogで主張してきたように、小沢の目的は自民党の兵站を破壊し、自民党を過去の政党にしてしまうことだ。
そう考えれば彼の言動に合点が行くだろう。
これを聞いて多くの人は「また政局か」と思いがっかりするかもしれない。
大前氏も同様の批判のように思われる。
利権を自民党から民主党に移すことで民主党による長期政権が可能だと小沢幹事長は考えているのだろう。
こうした小沢幹事長の動きを見ていると、つくづく田中角栄元首相の染色体が入っている人なのだと感じる。
小沢幹事長とはこういう行動原理に基づく人なのだと認識するべきだろう。
[中略]
私に言わせれば、民主党の幹事長という立場にあるにも関わらず、小沢幹事長は日本という国の将来像などは全く考えていない人だと思う。
自民党による安定政権が長期間継続できたのは、日本的な利権構造を抑えたからであり、それこそが重要なのだ、これが小沢幹事長の価値観だ。
全く違うと思う。
誤解もいいところだ。
小沢が「民主党の長期政権化」を目指しているなんていうことは"ない"と私は思う。
彼は民主党が中途半端で未熟な政党だということを知っているから、民主党を鍛え上げようとは思うことはあっても、その目的はあくまでも自民党の兵站の破壊である。
旧来の利権を壊すために利権を使っているのだ。
民主党を目的のために利用しているに過ぎない。
そして、自民党の兵站を破壊を目的とするのは、その上に大目的があるからである。
それは「日本の民主化」である。
彼の哲学の一つが「国民のレベル以上の政治家が生まれることはない。」である。
それでは永遠に有能な政治家は生まれぬのであろうか。
それは違う。
国民は変わることはできるからだ。
どうすれば国民は変わることができるのか。
それは国民が様々なことを経験し、様々なことを考えることによってだ。
そのような機会を与えるものが、変化することのできる民主主義というシステムである。
何が変わるべき正しい方向なのかは誰にもわからない。
時代によって善悪も変わる。
だから、間違っても変化できることが重要なのだ。
これが何度も繰り返すように「デモクラシーのコスト」である。
民主主義は間違う。
しかし、間違うことによって人は学習し成長するのだ。
国民は右に左に揺れながら、そして間違えながら民度をあげていくのだ。
そういう変わることのできる社会を構築すること、それこそ小沢が政治の世界に実現しようとしている「日本の民主化」に他ならない。
※
だから彼は言う。
「政権交代が実現した。日本に民主主義が生まれたのだ(生まれの始まり)。」
また彼は言う。
「国民の政治を実現する。国民の政治とは、国民が政治に責任を持つこと。」
そのために、変化を阻害してきた旧来の自民党政治を終わらせることこそ、彼が彼自身に課した使命なのだ。
私はその気高き意志を応援したいと思っている。
民主党の非民主的性格(岡田克敏)
http://agora-web.jp/archives/894605.html
「ものが言えない」ということは小沢幹事長への権力集中が相当進んでいることを示しており、宮本時代の共産党を思わせます。3名の逮捕後は散発的に批判が党内から出ているようですが、多くは匿名を条件とするボヤキのようなものです。これでは自浄能力など期待できそうにありません。
各種メディアで民主党の「ものを言わない」性質が批判されているようですが、私にはこの言説がとても恣意的なものにうつる。
ここでいう「ものを言う」というのは民主党議員が民主党執行部に対して「批判をする。」ということであろうが、この時点で何を言えというのだろう。
逮捕されたといっても真相が明らかになったわけでもなく、当人達が「違う」と言っているのだから同じ政党の人間として疑うよりは信じることがより自然であるし、なによりもまだ何かを意見するには早い段階ではなかろうか。
コメントを求められても「事実関係が明らかになるのを信じて待ちます。」程度しか言えないのが実際のところで、言うこともないのに「言え」とつつかれても困るだけなのではなかろうか。
まだ何も言う段階にないことは下記ブログなどでバランスよくわかりやすく書いてある。
小沢問題に関する考察 - 検察の捜査方法への疑問(Nothing Ventured, Nothing Gained.)
http://esquire.air-nifty.com/blog/2010/01/post-a55d.html
検察「魔法の杖」に踊る司法記者クラブ(永田町異聞)
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10436946084.html
そもそも、小沢を頂点とする民主党執行部が独裁体制をしいているかの説明は陰謀説に近い。
小沢が「俺の言うことを聞け」などと言うわけがなく、ただ自分が思うところを述べているだけに過ぎない。
その時、小沢の意見が勝るのは小沢の意見を覆すだけのプレゼンができない民主党議員が劣っているだけだ。
民主党に小沢くらい大局観を持った政治家がいないのだからどうしようもない。
同じ土俵で議論できる政治家がいないのだ。
逆にそれゆえに小沢が独り批判を受け止める側にたって辛いだろう、彼の使命感が彼を突き動かしているなどと考えてしまう。
私個人としては小沢は人の話を聞かないほど頑固でもなければ頭が悪いわけでもない。
ただただ己の戦略を理解できない人がうっとおしいだけである。
(確かに実は人をバカにしているところが勘違いされるところもあるだろう。)
それを周りの人間が気を使いすぎるからといって、小沢の独裁だというのはおかしい。
何をもって独裁と認定するかは様々な定義があろうが、ただ現状はアマチュアの中に独りプロがいて、アマチュア連中がプロの意見を尊重しているだけだ。
「恐くてものが言えない」と「いや、あの人にはもっと深い考えがあるはずだ。」は全く違う。
これを独裁というのか。
鳩山首相は単に彼の性格上、小沢を尊重しているだけで、別に恐がっているわけではない。
度々小沢に意見を聞くのは鳩山首相に確固たる意見がないからで、別に小沢が強いからではない。
と、私なんかは思う。
----------------------------------------------
小沢幹事長の目的は、自民党からの利権を奪うこと、ただそれだけ(大前研一)
http://blog.goo.ne.jp/ohmaelive/e/cceb156171d8440a4e50253c9a343eb6
半分は同意で、それ以降は不同意。
小沢一郎を田中角栄路線の延長で捉えているところが間違いである。
弟子は師匠と同じ枠内で物事を思考するわけではない。
ソクラテスvs.プラトンvs.アリストテレスが好例だ。
まず同意する部分から。
[前略]
小沢幹事長の一連の行動は、これまで自民党が独占してきたあらゆる利権を全て民主党に移してしまうという、ただこの1点にのみ目的がある。
[中略]
自民党の利権を根絶する、それが難しいなら予算の理由で案そのものをつぶしてしまう、という単純なことを徹底的に繰り返しているだけだ。
当Blogで主張してきたように、小沢の目的は自民党の兵站を破壊し、自民党を過去の政党にしてしまうことだ。
そう考えれば彼の言動に合点が行くだろう。
これを聞いて多くの人は「また政局か」と思いがっかりするかもしれない。
大前氏も同様の批判のように思われる。
利権を自民党から民主党に移すことで民主党による長期政権が可能だと小沢幹事長は考えているのだろう。
こうした小沢幹事長の動きを見ていると、つくづく田中角栄元首相の染色体が入っている人なのだと感じる。
小沢幹事長とはこういう行動原理に基づく人なのだと認識するべきだろう。
[中略]
私に言わせれば、民主党の幹事長という立場にあるにも関わらず、小沢幹事長は日本という国の将来像などは全く考えていない人だと思う。
自民党による安定政権が長期間継続できたのは、日本的な利権構造を抑えたからであり、それこそが重要なのだ、これが小沢幹事長の価値観だ。
全く違うと思う。
誤解もいいところだ。
小沢が「民主党の長期政権化」を目指しているなんていうことは"ない"と私は思う。
彼は民主党が中途半端で未熟な政党だということを知っているから、民主党を鍛え上げようとは思うことはあっても、その目的はあくまでも自民党の兵站の破壊である。
旧来の利権を壊すために利権を使っているのだ。
民主党を目的のために利用しているに過ぎない。
そして、自民党の兵站を破壊を目的とするのは、その上に大目的があるからである。
それは「日本の民主化」である。
彼の哲学の一つが「国民のレベル以上の政治家が生まれることはない。」である。
それでは永遠に有能な政治家は生まれぬのであろうか。
それは違う。
国民は変わることはできるからだ。
どうすれば国民は変わることができるのか。
それは国民が様々なことを経験し、様々なことを考えることによってだ。
そのような機会を与えるものが、変化することのできる民主主義というシステムである。
何が変わるべき正しい方向なのかは誰にもわからない。
時代によって善悪も変わる。
だから、間違っても変化できることが重要なのだ。
これが何度も繰り返すように「デモクラシーのコスト」である。
民主主義は間違う。
しかし、間違うことによって人は学習し成長するのだ。
国民は右に左に揺れながら、そして間違えながら民度をあげていくのだ。
そういう変わることのできる社会を構築すること、それこそ小沢が政治の世界に実現しようとしている「日本の民主化」に他ならない。
※
だから彼は言う。
「政権交代が実現した。日本に民主主義が生まれたのだ(生まれの始まり)。」
また彼は言う。
「国民の政治を実現する。国民の政治とは、国民が政治に責任を持つこと。」
そのために、変化を阻害してきた旧来の自民党政治を終わらせることこそ、彼が彼自身に課した使命なのだ。
私はその気高き意志を応援したいと思っている。