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進化する魂

フリートーク
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「認識に格差」ではなく「認識に偏り」が正しい表現

2010-01-05 19:09:59 | 政治
1票の格差認識も地域格差(山内康一)
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-b05f.html

太字の部分に注目。
この手の話は地方に行けばいくらでも聞けると思う。
気持ちはわかるが、誰か論理的に説明して欲しい。


年末に「1票の格差が最大2.3倍だったのは憲法違反」
とする判決を大阪高裁が出しました。
私もまったくその通りだと思います。

同じ日本国民なのにたまたま住んでいる地域が異なるだけで
1票の重みがちがうのは理不尽だと思っていました。
ふつうに考えればそうだろうと確信していました。

男と女で1票の重みがちがうのは、今の時代では理不尽です。
(むかしは女性には選挙権がありませんでした。)

納税額で1票の重みがちがうのも、今の時代では理不尽です。
(むかしは納税額で選挙権の制限がありました。)

居住地で1票の重みがちがうのも、これからは理不尽だ、
という時代にしなくてはいけないと思っています。
(今のところ1票の格差是正に本気で取り組む議員は少ないです。)

ところが年末年始に実家の福岡に帰省して驚きました。
実家で購読している西日本新聞社説に次のような記述がありました。


---------------------------------------------------------------
人口が減り続ける地方にとっては「平等の原則」を厳格に追求すれば、
地方選出の国会議員が減っていくことになる。
政治の地域間格差がさらに広がるのではないか。
そんな不安を抱かせる判決でもある。
-------------------(中略)------------------------------------
「投票価値の平等」を追求するだけでは、地方に不平等感が広がる。
---------------------------------------------------------------



私は地方紙がこの手の論説を書くのは反対ではない。
地方の人間が地方の利権を主張するのは当たり前だからだ。
(ちなみに私は都市部に住んでいる)

しかし、次の一文についてはもう少し論理的に考えてもらいたい。


「投票価値の平等」を追求するだけでは、地方に不平等感が広がる。


利権を主張するのは問題ないが、問題の本質を見極めないと自分で自分の首を絞めることになりかねないからである。

「地方における平等」とは何か。
この点についてもう少し地方の方々は考えられた方がよいように思う。
不適切な平等を求めた結果、不平等を手にすることもあるかもしれないからだ。

下記のエントリは参考になりそうだ。

沖縄行政改革(樋口耕太郎)
http://agora-web.jp/archives/865425.html

ちなみに


衆議院選挙は、明らかに「国民の代表」を選ぶ選挙です。
したがって、1票の格差は小さければ小さいほど望ましいと思います。


衆議院選挙がどうして"明らかに「国民の代表」を選ぶ選挙です。"なのか。
みんなの党は応援したいが、国会議員としてその認識はおかしいのではないか。
一票の格差の有無に関わらず小選挙区で選ばれる以上、どう考えても地域選出の議員だろう。
「地域選出の議員」を「国民の代表」と置き換えるロジックは如何なものかと思う。
(「国民に選ばれているから国民の代表」ってそういうロジック?)
(つまり「地域の国民に選ばれた地域別の国民の代表」ってことね)
日本政治の欠陥は「国民の代表」が不在のため、国家戦略に対する責任の所在が不明確なことだ。
現状の議院内閣制では国民は政府の長たる国民の代表を選べない。
衆議院選挙という狭い選択肢の中で間接的に選んでいるに過ぎない。

既成の政治システムにのっかるだけの最近の政治家はシステムそのものへの認識が足りないように思う。
それゆえ民主主義や資本主義についての議論というものが全く聞こえてこない。
その点について唯一プレゼンスを発揮しているのは小沢一郎くらいだ。
もう少ししっかりして欲しい。


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