高橋みなみさんがブログでコメントを出しました。



当Blogでは、↓既に意見を表明済みです。
巷で話題のメンバーの母親が逮捕された件について 何が問題なのかさっぱりわかりません。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/9a7def5f61360c29fb12f6cf6b67e7ea
まず言っておきますが、私は↑で述べたように、そもそもこの件は何ら問題ではないと思っています。
それを前提として次を述べます。
この件に問題があったとしても、彼女に責任はない。
理屈は簡単で、「責任」というのは「権限(力)」のないところには発生しないからだ。
(ドラッカーは責任のあるところに権限が生じると言いましたが)
彼女が、彼女の母親の行動に責任を持つかどうかは、彼女が彼女の母親の行動に対して行使する権限があったかにかかっている。
もちろん、彼女の母親に対する権限があったわけがない。
よって、彼女に責任はない。
もちろん母親に対する影響力を全く持たないかといえば、そんなことはないが、母親の行動を決める決定要因には関与しているとは言えない。
言うまでもなく保護責任もない。
また、監督責任もあるわけがないのだから、引責辞任も有り得ない。
勤めている会社が不祥事起こしました。
社長や役員は引責辞任するかもしれませんが、関与していない社員はやめないでしょ。
だから基本的に、高橋みなみさんが謝る必要はない。
状況の説明と、今後についての話で十分だ。
だから、よくよく読んでいると、謝罪は必要最低限におさえている。
皆さんお伝えする事が遅くなりごめんなさい
この度はご心配をお掛けしてしまった事そして
大変お騒がせさせてしまった事本当に申し訳ありませんでした、本当にごめんなさい。
その次に続くのは、今後の活動に関する意思表明である。
状況の説明があまりないのは、前述したように、彼女が母親の人生に権限を持っていないからだ。
(説明しようにも説明できないでしょ。)
このコメントは、読めば読むほどよく考えられている。
基本を外していない。
もちろん本文は彼女がよく考えて作ったものだとは思うが、顧問弁護士のチェックを受けているのではないかな。
おそらく。
それでも謝らなければならないのは、なぜだったか。
日本の文化的背景が一つ。
日本は濃密な責任関係をコミュニティの中に組み込んでいて、それは相互監視の眼を養って、コミュニティ全体で内部的な問題を抑止していく仕組みだ。
この場合、連座して責任を取らされる可能性がある。
コミュニティ内の安定性を維持するのには優れてはいるが、新しいものが芽生え難い悪しき文化的習慣でもある。



当Blogでは、↓既に意見を表明済みです。
巷で話題のメンバーの母親が逮捕された件について 何が問題なのかさっぱりわかりません。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/9a7def5f61360c29fb12f6cf6b67e7ea
まず言っておきますが、私は↑で述べたように、そもそもこの件は何ら問題ではないと思っています。
それを前提として次を述べます。
この件に問題があったとしても、彼女に責任はない。
理屈は簡単で、「責任」というのは「権限(力)」のないところには発生しないからだ。
(ドラッカーは責任のあるところに権限が生じると言いましたが)
彼女が、彼女の母親の行動に責任を持つかどうかは、彼女が彼女の母親の行動に対して行使する権限があったかにかかっている。
もちろん、彼女の母親に対する権限があったわけがない。
よって、彼女に責任はない。
もちろん母親に対する影響力を全く持たないかといえば、そんなことはないが、母親の行動を決める決定要因には関与しているとは言えない。
言うまでもなく保護責任もない。
また、監督責任もあるわけがないのだから、引責辞任も有り得ない。
勤めている会社が不祥事起こしました。
社長や役員は引責辞任するかもしれませんが、関与していない社員はやめないでしょ。
だから基本的に、高橋みなみさんが謝る必要はない。
状況の説明と、今後についての話で十分だ。
だから、よくよく読んでいると、謝罪は必要最低限におさえている。
皆さんお伝えする事が遅くなりごめんなさい
この度はご心配をお掛けしてしまった事そして
大変お騒がせさせてしまった事本当に申し訳ありませんでした、本当にごめんなさい。
その次に続くのは、今後の活動に関する意思表明である。
状況の説明があまりないのは、前述したように、彼女が母親の人生に権限を持っていないからだ。
(説明しようにも説明できないでしょ。)
このコメントは、読めば読むほどよく考えられている。
基本を外していない。
もちろん本文は彼女がよく考えて作ったものだとは思うが、顧問弁護士のチェックを受けているのではないかな。
おそらく。
それでも謝らなければならないのは、なぜだったか。
日本の文化的背景が一つ。
日本は濃密な責任関係をコミュニティの中に組み込んでいて、それは相互監視の眼を養って、コミュニティ全体で内部的な問題を抑止していく仕組みだ。
この場合、連座して責任を取らされる可能性がある。
コミュニティ内の安定性を維持するのには優れてはいるが、新しいものが芽生え難い悪しき文化的習慣でもある。