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進化する魂

フリートーク
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桜の「はかなさ」について

2011-04-12 17:02:31 | スピリチュアル
桜の「はかなさ」について。

日曜日は花見日和であった。桜のあるところに人々がにぎやかしく集まり、酒を飲み交わし、一時を楽しむ。満開の桜の美しさが人々を引き寄せるのだろう。また、人はよく「桜のはかなさ」を人生のいろんなものと重ねて感傷に浸る。満開の桜で現在を分かち合い、散りゆく桜を見て行き交う時を感じ入る。時にそれは日本の美学とも言われる。

しかし、「桜のはかなさ」とは何であろうか。「はかなさ」とは、桜の花が散る様を見て語られるものだが、果たして、桜の花が散る様は「はかないもの」なのだろうか?

桜は1年を通して「休眠(秋)」「休眠打破(冬)」「生成(早春)」「開花」というプロセスを辿る。桜が美しく咲くために、冬の寒さと春の暖かさが重要な役割を果たす。つまり桜の美しさと四季の移ろいには深い関係がある。日本人が桜、四季、そして人生を重ねたとしても不思議ではない。

だが、桜のプロセスを理解すれば、桜の違った側面が見えてくる。桜の花が咲くのは昨年の夏につけた花芽の成長の結果であるが、桜の花が散るのは、次の花を咲かせるための準備である。桜の花が散るのは1つのプロセスの終わりであると同時に新しいプロセスの始まりでもあるのだ。そしてそれはより大きなプロセスの一部でしかない。

桜の花が咲くのは1年を通してわずか数日間ほどのことでしかないが、そのために1年間準備をしてきたことに想いを馳せると、私には桜吹雪が、まるで桜が皆のために新しい季節のはじまりを祝っているように思えてならない。卒業生が謝恩会で先生や在校生に催し物をするのを見て「はかなさ」を感じないように、私も桜の花が散るのをみて「はかなさ」を感じることはない。

「長期被曝」と「退避」についての考え方

2011-04-12 13:16:08 | 政治
20km圏外でも場所によっては避難エリアに指定される件について、議論が混乱しないように、話を整理しておく必要がある。

まず、今回の避難は「長期被爆」を懸念してのことだ。
今、飯舘村に行ったとしても、放射線量は既に短期的な被曝を気にする必要がない程度に落ちている。
では「長期被曝」とは何か。

原発事故後の長期被曝とは、長寿命放射性核種で汚染された地域に人々が継続して生活している状況での被爆のことで、この被爆は、適切な防護措置を実施することで線量を低減できる被爆である。

原子力緊急事態時の長期被ばく状況における放射線防護の実施と課題(日本原子力研究開発機構 安全研究センター 原子力エネルギー関連施設安全評価研究ユニット)
http://jolissrch-inter.tokai-sc.jaea.go.jp/pdfdata/JAEA-Review-2010-022.pdf

まず、基本的な考え方としては下記がある。


長期被ばく状況での防護措置の導入においては、放射線による健康影響だけではなく社会的・経済的な補償に関する判断を含む多様な観点が混在しているため、状況の正確な記述と適切な対応が困難な状況である。このような状況での判断は、必ずしも科学的及び数量的な根拠だけで正当化することができない。これを正当化する一つの方法として、多様な利害関係者の合意に基づく手続き的な方法が考えられる。


「必ずしも科学的及び数量的な根拠だけで正当化することができない。」
「これを正当化する一つの方法として、多様な利害関係者の合意に基づく手続き的な方法が考えられる。」

このあたりの考え方については、当ブログの『相変わらず人の心を掴む事ができない民主党政府』あたりも参照して欲しい。

次に、あえて語るまでもないが「放射線防護の目的」については下記がある。


3. 長期的な放射線防護措置とその判断基準

3.1. 放射線防護措置の目的

原子力及び放射線緊急事態における防護措置の基本的な目的は、短時間で高線量に達するような厳しい線量率に曝されている個人の確定的影響の防止と、より低い線量率で生ずる確率的影響を可能な限り低くすることである。また、被ばくが長期にわたって継続する場合には社会活動や経済活動の常態への復帰も防護措置の目的の一部である(Hedemann, 2002)...


では、放射線を防護するとして、どのような方法があるだろうか。


3.2. 長期的な放射線防護措置の種類

原子力事故後の時間区分は、事故の発生から放射性物質の放出までの期間、放射性物質の放出から数日程度の期間、及び数週間後以降の期間に分けられる。長期被ばく状況とはこのうち事故から数週間以降の期間のことである。この段階での被ばく経路は、主に、地表面沈着核種による外部被ばく、汚染食物の経口摂取による内部被ばくに加え、地表面から大気中への再浮遊核種の吸入による内部被ばくも含まれている。これらの被ばく経路に対する防護措置には、個人に対して介入することで被ばくを防ぐもの(移転、立入制限)と線源や被ばく経路への措置により被ばくを防ぐもの(除染、飲食物摂取制限)がある。...

(1) 移転
移転とは、地表面に沈着した放射性物質による被ばくを回避するために、汚染地域の住民を非汚染地域へ移動させることである。移転と避難は同様の措置であるが、事故後の導入時期及び退避期間が異なるので、基本的に両者は異なる防護措置である。避難の場合、住民は宿泊施設や学校等の公共施設に一時的に数日間滞在するのみであるが、移転の場合、汚染地域への復帰まで数ヶ月から数年を要する。また、生涯に予想される線量によっては永年的な移転も選択肢の一つとして考えられる。移転には高い放射線回避効果を期待できるが、個人の日常生活や共同体での活動が断絶してしまうため社会的・経済的な混乱や心的なストレスを引き起こす可能性もある。

(2) 汚染地域の除染
汚染地域の除染は、一般的に浄化作業が終了すれば徐々に活動を再開できるため、地域を長期間閉鎖する立入制限や移転よりも混乱の少ない措置である。除染の目的は、汚染された土壌からの被ばくの低減、人や動物への放射性物質の移行の低減、放射性物質の再浮遊や汚染が拡大する可能性の低減である。特に、特定の社会基盤を利用する人々や汚染地域の作業者に関して比較的大きな被ばく低減効果を期待できる。

(3) 飲食物摂取制限・農業対策
事故で環境中に放出された放射性物質が飲食物に移行し、これを摂取することで内部被ばくをもたらす可能性がある。この被ばく経路に対する措置としては、汚染された飲食物の摂取を直接制限する飲食物摂取制限と、汚染された空気、土壌および飲料水から放射性物質が食物連鎖を通して移行することを制限する農業対策などがある。飲食物摂取制限は各食品に対する介入レベルを設けて汚染食品の流通や消費を禁止することで達成できるが、代替食品の供給、加工品や原材料のモニタリング、汚染食品の処分、食品生産者に対する補償等、費用を要する措置である。...


「移転」「汚染地域の除染」「飲食物摂取制限・農業対策」を組み合わせて対応していく必要があるが、先述したように「多様な利害関係者の合意に基づく手続き的な方法」を模索しなければならない。一人ひとりの都合を聞くまでする必要はないが、少なくても一人ひとりに経済的損失のない形での選択肢が与えられなければならない。

そして、政府が介入する程度の話は下記。


3.3. 放射線防護対策の計画と実施

...

3.3.3. 個々の防護措置に関する介入レベル

... ICRP は、Publication 63 の中で約 1 Sv という平均回避線量が移転に対してほとんどいつでも正当とされるレベルとして利用可能であろうと述べている(ICRP, 1991b)。この考え方の根拠については特に述べていないものの、Publication 60(ICRP, 1991a)による職業人の線量限度が 5 年で 100mSv であることを考慮すれば、生涯約 1 Sv の回避線量は生涯を 50 年とした場合の職業人の線量限度に相当し、リスクの観点から移転をほとんど常に正当とするレベルであることは理解できる。しかし、もっと低いレベルでも正当とされる場合もあるだろうし、非常に重大な事故の場合にはこのレベルよりさらに高くなるかもしれないとして、明確な指針は示されていない。移転を含む長期の対策を必要とする状況はきわめて多様であり、事故後の状況を評価できるようになった段階で利用可能な選択肢の中から最良のものを選ぶことが望ましい。しかし、公衆への情報提供と助言が遅れると不安の原因となるので、事前に指針の要綱を作成しておく必要がある。...


「移転を含む長期の対策を必要とする状況はきわめて多様であり、事故後の状況を評価できるようになった段階で利用可能な選択肢の中から最良のものを選ぶことが望ましい。」
「しかし、公衆への情報提供と助言が遅れると不安の原因となるので、事前に指針の要綱を作成しておく必要がある。」

対応が後手に回ってしまい、不安を増大させてしまったことが今回の最大の問題であろう。

相変わらず人の心を掴む事ができない民主党政府

2011-04-12 12:46:10 | 政治
飯舘村をはじめとした福島第一原発から半径20km圏外の自治体も避難の対象になった。
他の場面でも感じるのだが、ここに来て政府の対応のあり方が変わってきている気がする。
当初は組織内部の責任論や縦割り構造の硬直性などが前面に出ていたのだが、ここに来て現実を直視するようになり、本当の意味で組織全体で解決に向けて動き始めている、1ヶ月経ってこなれて来たのではないだろうか。
しかし、相変わらず政府の対応はガサツだ。

4月5日のTweetより。

(理科もよくわからないという人向け)
放射線量に関する摂取制限量についての考え方。こう考えればきっとわかりやすい。 このページから転載します。

http://bit.ly/heDjqX

食塩(塩化ナトリウム)というのは、実は危険な物質です。そのLD50(半数致死量)は、体重60kgの人だと180~210gです。もし200gの食塩をいっぺんに摂取したら、50%ぐらいの確率で死に至るでしょう。

厚生労働省は、日本人の食塩摂取量の目安を、成人で1日10g未満と定めています。1日に10gぐらいまでなら、食塩を摂取しても害はないというわけです。

塩だろうと砂糖だろうと水だろうと酸素だろうと光だろうと、多すぎれば人間に害を及ぼします。その点では放射線も同じです。「すべての物質は毒であり、毒でないものは存在しない。毒と薬の違いはその用量による」by パラケルスス(錬金術師)


放射線量率についても塩と同じ考え方をしてみませんか。気が楽になると思いますよ。

飯舘村について。

相変わらず議論が迷走しているので昨日の塩と放射線の話の補足する。基本的に行政機関の行動指針は「基準」である(その場の気分で判断されても嫌でしょ?)。ゆえに「基準」が誤っていない限り、放射線量に基づく判断に恣意性が入っているのではと疑うのは誤り。問題はそこではない。

食塩の1日の摂取量10gが安全基準としても、だからといって全員に10gまでは「摂取しろ」とは言えない。健康状態によって摂取を控えたい人もいれば、嗜好の問題で塩分が嫌いな人もいる。または、ここ数日塩分と取り過ぎたので今日は控えたい人もいるだろう。それが健康上影響のないレベルかどうかに関わらずだ。

人それぞれの考え方によって決めればよいが、こう考えたらいいと思う。あなたが誰かに料理を振舞う時「どういう料理を作ってあげたいか」という気持ちになってみることだ。健康被害がないから避難する必要がある/ないという観点ではなく、飯舘村の人たちにどうしてあげたいかで決めればいい

行政府は基準で動くべきだが、このような弾力的運用ができるのが政治だろう。なんのための政治主導なのだ。人間の心とは、そういう気持ちで動くものだ。人をマネジメントしたことのない人たちが行政府(官邸)の幹部なので理解できないのかもしれない。

こんな政府に人の心がつかめるわけがない。少し不謹慎な言い方かもしれないが、民主党政府はせっかくのチャンスを逃した。

ちなみに、織田信長は武士ゆえに塩分の濃い料理が好きだった。貴族向けの塩分の薄い京料理を不味いと罵り、田舎料理を好んだとされる。信長に憧れる人は塩分濃い料理を食べてみるのもいいだろう。