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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

菅さんは決して無能ではない。組織の長として無能なだけだ。

2011-04-14 19:44:27 | 政治
またしてもつぶやきから転載

菅さんについて。
「△△会議」「○○本部」ばかり作るとか「参与」が多すぎるとか批判が多いようです。「何も決められない」というのは確かにその通りなのですが、でも皆さんの菅さん批判を聞いていると、少し違うなと思うところがあります。ちょっとだけ語ります。(いつも通り「誰に?」って感じですが)

菅さんは決して無能ではありません。組織の長として無能なだけです。

菅さんが目指すのは「独善的な政治」ではなく「みんなで知恵を出し合えばよりよい答えが出せる」といったところです。これは一つの政治信念として決して間違ったものではないです。皆さんも平時にはそちらを求めているのではないですか。今は非常事態ですが。

ただ、想像して欲しいのですが、各分野の専門家の意見を集約して何か起こりますかね。起こらないのですねこれが。起こせると思うような人は、組織をマネジメントしたことが無い人なのでしょう。おそらく。

そもそも組織が何のためにあるか考えましょう。簡単に言ってしまうと、ある目的を達成するためですね。目的を達成するための仕組みを作るのがビジネス。そして、その仕組みを利用して組織に成果を上げさせるものがマネジメント。(多分にドラッカー的な話ですが、私はこの事をドラッカーから学んだわけではありません。)

菅さんは「答えを出すこと」が自分の役割だと思っているのかもしれませんね。だから会議や参与が多く必要になるのです。残念ですがこれは勘違いです。今求められているのは「答え」"だけ"ではありません。「組織に成果を上げさせること」"も"求められているのです。

前者は「リーダー」の役割、後者は「マネジメント」の役割です。この違い、この認識が、菅さんに致命的に欠けているものです。ただ菅さんだけを責めるのは酷ですね。多くの人がこれを理解しているとは思えません。

組織に成果を上げさせるためには意見を「集約」するだけではなく「統合」する必要があります。この統合力がマネジメントに求められる能力ですね。でも菅さんは「みんなの意見を引き出す」ことがリーダーの役割だと思い過ぎている。それ自体は間違っていないし重要、しかしそれだけでは足りないのです。

ですから、私は震災直後に、もともと菅さんのマネジメント能力は高くないと思っていたので、災害担当相にマネジメント能力の高い人をアサインし、全権大臣にするべきだと書きました。菅さんはリーダーとして「答え」を求めればよく、組織に成果を上げさせるマネジメントを急ぎ構築すべきだと。

さて、そろそろ結論にしましょう。現在の管政権の迷走ぶりは、決して菅さんの無能さからくるのではありません。菅さんの頭の中でマネジメントについての認識が希薄であるところから来るのです。しかし、それは組織の長として致命的な欠陥です。私は彼の政治信念が間違っているとは思いませんが、ただ野党向きの政治家といえるのではないかと思います。

「語るとか言いながら、結局みんなと同じ意見じゃないか?!」と思ったあなた。まだマネジメントを理解できていません。私は、菅さんが「リーダー」として不向きかどうかなんて話はしていません。私は「組織の長」として向いていないと言ったのです。この違いがわからない人は組織の長をやってはいけません。

組織の長に向いていない人が組織の長をやると、混乱を招いて社会的損失をもたらす可能性が高いです。あらゆる組織が社会的機関だからです。あらゆる組織は社会内存在なのです。

「復興」についての考え方

2011-04-14 17:22:46 | 社会

手抜きでつぶやきから転載。そしていつも通り抽象論に終始します。
私が言いたいのは具体的な方策ではなく、「コンセプト」です。

非情な選択迫られる被災地職員 WSJ (http://on.wsj.com/fa0x5M)

失ったものの重さ、あの時の決断の正誤、自分の内にある弱さ、一生続くかもしれない葛藤、そして背負わされた希望。被災者になるということ。


両親死亡・不明の子ども82人に…厚労省集計 (http://bit.ly/fIbjUe)

調査が難航しており、全容把握まで至っていないようだが、私は彼らが明日の日本を背負って立つと信じてやまない。


何らかの政策、戦略、作戦などには、経過や結果を評価する基準が必要だ。経済であればGDPやCPI、鉄鋼生産量などがあるし、ビジネスであれば売上げや利益、ROIなどがある。では、今回の震災における復興が成功したか否かを判断するための基準とは何であろうか?

いきなり結論から述べる。私は今回の復興が成功したか/しているか否かを判断するメルクマールとして、次のものを考える。「親を失った子供たちが、その後どうなっているか。」「20年後の彼らがどうなっているか。」だ。

経済学者に任せれば、雇用や生産量に関するものなど様々な有用な意見が出てくるだろう。しかし、私は経済的復興が非常に重要という認識を持ちながら、一方で第一義的に重要なメルクマールが他にあると考えている。

そもそも「復興」について考える時「復興とは何か?」という問いから始まらなければならない。どのように復興するかではなく、何を復興と呼ぶべきかという問いだ。3.11以前と同じ水準の生活を送れる(生活再建)、または以前よりも高い水準の生活を送れることが復興であろうか。私はそうは思わない

なぜなら、被災者の方々は既に多くの、それも取り戻すことのできないものを失っており、以前と同じ生活など望んでも手に入れることはできないからだ。失ったもの、背負っていくべきものが大き過ぎて、完全なる生活再建など不可能だ。

いや、そのような復興を望んではならない。望ませてもならない。望んだ先に何があるというのか。

これまで当Blogでは、「恋愛」「結婚」「家庭」「児童虐待」を主要なテーマとして捉えてきた(言ってるだけだけど・・)。それは「社会の実態が一番表れてくるものは何か」という問題意識からきたものだ。GDPや雇用情勢、利益、収入などでは決して理解することのできない社会の実態を炙り出すのに、どのようなテーマがより適切かを考えた結果である。

そのような観点で「復興」について考えたとき、私は「親を失った子供たちが、その後どうなっているか。」を見れば、復興がどのような形で行われているか、人々がどのように息づいているのかを見ることができるし、「20年後の彼らがどうなっているか。」を考えることで、復興のあるべき方向性を見出すことができると考えている。

彼・彼女らが人生に何らかの目的意識を持って社会と関わっていけるのであれば、それは、おそらく他の人々も同様に可能であることを示している。

ただひとつ注意を促したいことがある。

私は、弱者を助けるべきだ優先すべきだなどと言っているわけではない。「社会の軋みや歪みといったものの影響は、まずはじめに最も弱いところに表れる。」ということから弱者救済を訴えているわけではなく、であるからして弱者を見ればその社会の構造を理解出来ると言っている。弱者を輩出しない社会がよいと言っているわけではない。病気をしない人間がいないように、弱者の存在しない社会も有り得ない。そうではなく、どのような社会でも弱者は存在するということを前提に、社会について考えなければならないと問うているのだ。そうすることで、ありもしない社会の理想論を振りかざすのではなく、あるべき社会の姿が見えてくる。

続きはまたいつか語る。